2-4
「ほんとだ! 博多風ラーメンって書いてる!」
オーバーサイズの黒パーカーに着替えた花火は、ダボダボの袖をぶん回しながら大騒ぎしている。飛んだり跳ねたりと忙しい。
ちなみにこの女、下に何も着てない。さっきの服の上からパーカーを被っただけだ。
だいぶ攻めたエロい格好だが、こうもギャーギャーうるさいと何も感じない。
「落ち着け。酔っ払い」
今から行く店にはそれなりに顔を出す。出禁とかにはなりたくない。早稲田通り沿いでひっそり営業している外装が黄色尽くしのラーメン屋。
ここのとんこつラーメンは『普通』に美味しい。
決して悪い意味ではなく、その素朴さが何故か癖になってしまう。まるで伴侶のように心地よいラーメンなのだ。
俺はこの謎の中毒性に抗えず、二週間に一回はフラッと立ち寄ってしまう。
「ここが英吉の行きつけなんだー」
「花火が気に入るかは分からないけど、俺はこの店のラーメンに取り憑かれている」
「いや、言い方! もっと味の傾向とかないの!?」
「言葉には出来ない。パッションというかマインドなんだよ」
「ラーメンの話をしてるんだよね!?」
これはもう食べた人間同士でしか理解し合えない。あとは花火がそれを感じ取れるのか、それだけだ。
花火を連れて店の中に入る。店内にはカウンター席とテーブル席があり、他にお客さんがいなかったこともあってテーブル席に案内された。
そのまま店の中にある券売機に向かいメニューを選ぶ。
「あ、こっちでは『博多ラーメン』表記なんだ」
「そこはツッコんではいけない。とりあえずこれを二つ頼む感じで――」
「ちょ、待って!? 瓶ビールあるじゃん! ここって飲めるんだ! え、神なの? 英吉、瓶ビールも追加で!」
「おい、まだ飲むのかよ! 人の金でも遠慮ないな!」
一度も触れたことない『瓶ビール』のボタンを押して計三枚の食券を出す。麺の硬さは二人とも「カタメ」にして、あとはラーメンが完成するのを待つのみ。
先に届いたのは瓶ビールだ。グラスは当然一つです。
「うっしゃー、英吉。お酌してー」
「嫌でーす」
「今から成人女が店内で泣き騒ぐところ見してあげよーか?」
「どんな脅しだよ! ……ったくよー」
臆面もなくやばいことを宣言する頭おか女。完全なるモンスターである。マジで何をしでかすか分かったものじゃないので、リスクヘッジとして渋々従う。
「ちょー、ラベルを上にして注ぐんだよー。あ、早い早い! 傾けるのが早いって。泡だらけになっちゃうでしょうがー」
「ドタマかち割るぞ」
ちょうど手にビール瓶を持っている。あまりイラつかせないでほしい。
「冗談だって、ありがとー。んじゃ、かんぱーい!」
「あぁ、乾杯」
水が入ったコップを掲げて、花火のビールグラスに軽く当てる。
「ぷっはぁー!! うまい!」
「おっさんかよ」
「ひど! こんな美少女なのにー」
あらためて正面の女をまじまじと観察する。酒で酔っていることもあってか、表情が豊かになっており、クールな印象が抑えられて可愛らしさが増していた。
トロッとした目、赤く染まった頬、全体的に桃色のオーラが妙にいやらしい。
「けど、肝心の中身がこれじゃあなー」
「ちょっと、どういう意味なのよ!」
見た目に騙されないでTシャツを作成して、花火に着させてやりたい。
そんなやり取りをしていたら、お待ちかねのラーメン二杯がテーブルに到着する。
「よし、来たな」
「やったぁ(ハート)! この豚骨の匂いが堪らないわね!」
黒い丼の中には白濁したスープ、細い針金のような麺、中央には大きなチャーシューが一枚トッピングされ、脇を固めるのはノリと刻みネギ。見た目は非常にシンプルだ。
肝心の味については花火の反応を待とうじゃないか。
いただきますと呟いて、花火はスープを掬って口に含んだ。
「……っ! な、なるほど!」
「はは、そうなるよな」
その反応を待っていた。俺も最初に食べた時はそんなリアクションだったな。
第一声は「なるほど」なんだよ。そこから麺と一緒に二口三口と嚥下すると今度は「ん?」という感じになる。そうそう、まさしく今の花火のように。
「あれ、なんか止まらない……」
段々と麺を啜るスピードが速くなり、止まらなくなっていく。この段階まで来たら最後のトドメである。
これで花火も完堕ちだろう。さぁ、来い。こちら側へ。
「卓上の紅ショウガを入れてみてくれ。あとは好きな調味料で調整するだけでいい」
「りょ、了解!」
花火はただ俺の指示に従って紅ショウガを投入する。そして一口。
「あ……っ!」
「伝わったか?」
うんうん、と頷く花火。ここからは各々の自由だ。好きにすればいい。最初の数口と紅ショウガを入れる一連の流れ。そこに全ての答えがある。
それは語られるものではなく、ただ示されるものなのだ。
「本当にこれはパッションね……」
「そう、パッションなんだ」
こうして意味不明なことを言い出す人間が誕生する。
そして、こいつらは猛烈にこのラーメンへと吸い寄せられてしまう。その原理については、現代の科学をもってしても解明することができない。
俺たちはそんな魔性(?)のラーメンを一心不乱に啜り続けた。
「よーし、じゃあ今度はハイボールもらおー」
「どんだけ飲むんだ……。しかも、高校生の金でさ」
ラーメンを食べ終えたタイミングで瓶ビールが空になる。これで終わりかと思いきや、花火は「お願い(ハート)」としなを作って現金を要求してきた。
半ば強引に手にした現金を持って券売機に行き、お目当ての酒を注文していた。
「いやー、よかったね。ここのラーメン」
「だろ?」
二人ともスープを全て飲み干している。
博多『風』ではあるので替え玉も頼めるのだが、個人的には一杯くらいが丁度いい。それは花火も同じだったようだ。
「……なんかさ、こういうのも青春っぽくていいよね」
「なら酒を飲むなよ。青春から程遠いものだぞ」
「いや、それは無理な相談だねー」
なんてくだらないことを言いながら笑い合う。まぁ、ちょっと青春っぽいかもな。
青春――そのワードから、自然と話題は学校での話になる。花火の頼んだハイボールが届いた後に今日の反省会が始まった。
「周囲からは元・不登校って認識だからなー」
「うぅ、茉莉ちゃん……! もっといいバトンを受け取りたかったよー。しくしく」
花火の意志は関係なく、どうやっても色眼鏡で見られてしまう。
「ぶっちゃけた話、しばらくは様子見が丸いとは思うけどな」
「でもでも! 今のままじゃつまんないし!」
「駄々こねんなよ。……だけど、明日は風香のやつが声を掛けるとか言ってたぞ」
風香なら憐憫や同情ではなくて、等身大で会話に応じてくれるはずだ。
それだけで少しは気分転換になるんじゃないだろうか。
「あー!! あの委員長ちゃん?」
「そう、巨乳の」
「神様ってほんと理不尽」
花火は自分の胸にそっと手を当て、虚空を見つめながら呟く。戦力差は歴然だからな。何かと思うところがあるのだろう。
「胸のデカさとは対照的に態度は小さいぞ。わりと苦労人なんだよ」
「英吉って彼女と仲が良いよね。タイプは全然違うのに」
「どうだろうな。バイト中に昔は苦手だった、とか正面切って言われたけど」
パッと見の印象通り、俺と風香の相性は決して良くはないんだと思う。
だけど、不思議と今は一緒にいることが多い。もちろん士郎って共通の知り合いがいたり、職場が同じってのも大きいんだけどな。
「どうやって仲良くなったの……?」
「さぁ? 今でも果たして仲が良いと言っていいのか」
「曖昧だなー」
ある地点から『友達』という資格が手に入るわけでもない。なんとなく一緒にいて、居心地が良くて、そういうのの積み重ねで今がある。
「とにかく試しに喋ってみろよ。いい奴なのは保証する」
「それは言われなくても分かるけど……風香ちゃんってどんな子?」
「誰にでも平等。そのせいで消耗しているって感じか」
「よく見てるんだね、意外と」
花火がやけに驚いた顔をしている。失礼な話だ。
「気になる女子は事前にリサーチをちゃんとかけるんだよ」
「でも、風香ちゃんって彼氏いるんでしょ?」
「悔しいことにな! 志村士郎って小姑みたいなやつだ! ……けど、幼馴染ってだけはある。風香の弱さをちゃんと分かって、しっかりフォローしている」
あいつが風香に告白した場面に訳あって遭遇してしまったのだが、なかなか漢らしいことを言っていた。同性ながらあれはカッコイイと思う。
ま、まぁ? その数千倍、数万倍、数億倍も俺はカッケーんだけど?
「何だかんだ認めてるんだねぇ」
「それは否定しない。あの二人は俺と違って、マジでいい奴らだからな」
「…………あーしは英吉もいい奴だと思うけどね」
花火が何やら小さな声で言葉を発したが、俺の耳までは届かなかった。前々から思っていたが、こいつは聞こえないように呟くのが上手すぎる。
「聞こえるように言えよ」
「べっつにー? 英吉には関係ないもーん」
「あーそうかい」
花火は「そうですよー」と憎たらしく返事をすると、ジョッキグラスを傾けてゴクゴクと酒を流し込む。豪快すぎる。
せめて、もうちょっと可愛くは飲めないものかね。
「けど、おかげで風香ちゃんの人となりが少し分かったかも」
「そりゃ良かった。なんか彼氏がかまってくれなくて欲求不満っぽいから、その辺の愚痴を聞いてやれば喜ぶと思うぞ、たぶん」
今日のバイトでは詳しく聞けなかったが、思うこと自体はあるっぽい。
「なんですと!? それなら安心して! 夜の世界でドロドロな恋愛を見てるから、あーしは恋愛マスターと言っても過言ではないよ!」
「うわー、ちっとも安心できねー」
花火のそれは極めて局所的かつ限定的な世界での人間模様だろ。高校生の甘酸っぱい青春とは対岸にある。
「まぁ、かくいうあーしも恋愛経験は無いに等しいんだけど……」
「例の〈魅了〉頼りだと、駆け引きもクソもないもんなー」
「ほんとそれー。いざとなれば操れるから、恋愛的なドキドキが発生しないのよ」
「んで、処女を拗らせていると」
「う、うっさいわね! ほんと生意気!」
まさかの生娘だった。わりと適当に言っただけなんだが。
ド偏見だけどこの見た目にしては珍しいよな。仮に経験人数が三桁とか言われても、驚きはしないもん。
「まずは人間性を磨くのが一番だな」
「殴るわよ!」
「お淑やかさも追加で」
「ムキー!!」
わーきゃーわーきゃー騒がしい。
この後も酔っ払いとの生産性ない会話は一時間近く続いた。その間に三杯もハイボールを注文され、思いがけない出費に辟易としてしまう。
さすがの花火も「今度なんか奢るから」と言っていたので、次に二人で外食する際は高級焼肉を食べに行くと心に決めた。
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