第4話 人攫いの噂
「おい、そういえば知ってるか?最近、獣人街のあたりで、人さらいが出るって話」
「おお、聞いた、聞いた。なんでも、若い獣人の娘ばかりが攫われてるらしいじゃねぇか」
お互いのグラスが三分の二ほど空いたころ、セレスの後ろのテーブルからそんな話が聞こえてきた。
二人の男が、向かい合ってジョッキを握り、
セレスはなんとなく聞き耳を立てる。
「ったく、あそこらへんは
「あー、でもうちの
「はんっ、そりゃあ無理ってもんだ。もっともポケットに小金貨の10枚でもを突っ込んどきゃぁ話は別だがな。」
「なんだと?てめぇ今、俺の
「おいおい、急になんだ?テメェから言い出したんじゃねぇか」
「うるせぇ、自分が言うならともかく、他人に言われるのは許せねぇんだ」
「はぁ?んなもん知るかよ」
「許せねぇ!表に出やがれ!」
「なんだかわからねぇが、やるってんならやる!」
二人は肩を怒らせ、連れだって店の外へと向かった。
セレスがどうなることかと気配を伺っていると、急に笑い声が聞こえた。
さっきの二人が、再び店の中へ入ってくる。顔中が腫れあがっており、それぞれ片目には丸い青タンを作っていた。
二人は席に着くと、ジョッキを大きく傾け、残っていた酒を一気に呷る。
そして仲良く叫んだ。
「「お~い!お代わり!」」
そして、再び何事もなかったかのようにガハハ、イヒヒと談笑を始めている。
呼ばれた給仕の女も、普段通りに
きっと、この程度の諍いは、日常茶飯事なのだろう。
「まったく、完全に酔っ払いじゃないですか・・・」
セレスはやれやれと肩を竦める。だが悪くはない。そうも思った。
彼女は、いつの間にかこのざらついた雰囲気に安らぎを感じている自分に、わずかに戸惑う。
貴族社会のように、建前という仮面をかぶり、隙あらば足を引っ張るような世界とはまるで違う。ここでは誰もが肩の力を抜いて、一日の労働の疲れを癒し、心から笑っている。
言葉ではむろん知っていたが、初めて“息を抜く”という意味が分かった気がした。
だが、真面目なセレスは、それでも締めるところは締めておかななければと思った。
「殿下、お酒を飲まれるにしても、あんな風になるまで飲んではいけません・・・」
訓戒を垂れようとして、途中で言葉を飲み込んだ。
対面に座っているレオンの目つきが恐ろしいまでに真剣なものに変わっていた。
「お勘定、ここに置くよ」
レオンは冷えた声でそう言い、革袋から勘定分の銅貨を抜き取って、テーブルの上に置いた。
「・・・いくよ」
立ち上がったレオンは、そう言って早足で出口に向かって歩き始める。
セレスが見上げると、いつもとはまるで違うレオンの横顔だった。普段の気の抜けた雰囲気がなくなり、いつの間にと思うほどの精悍な男の顔つきになっていた。
セレスは慌てて立ち上がり、背中を負った。
=====
夜空には冴え冴えとした満月が浮かび、少し肌寒い秋の風が二人を包んだ。
店を出てからも、レオンの早足は止まる気配がない。
セレスは追いかけながら、背中に向かって問いかける。
「急にどうされたのですか?それにそちらは宮殿の方角とは・・・」
「さっきの人さらいの話、聞いていたでしょ?」
「え・・・まさか、殿下・・・」
「今晩中に解決するよ」
「それは殿下のなさることでは・・・明日、私から憲兵隊に通報しておきますから」
「遅いよ。攫われた子は、今すぐにだって助けてほしいと思ってるはずさ」
「そうかもしれませんが、しかし・・・」
レオンが振り返る。
碧玉の瞳が月光を写し、真っ直ぐにセレスを見つめていた。
「邪魔するなら城に帰っていい。ついて来るなら黙って」
皇太子らしからぬ乱暴な物言い。普段の彼女であれば叱りつけるはずだった。実力行使も辞さなかったろう。
だが何も言えなかった。ただじっと息を飲んだ。こんなことは初めてだった。
レオンが前を向き、暗い道を駆けるようなスピードで歩き始める。
セレスは黙って、その背に従った。
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