第2話 道案内


 忌引が明けた翌日、知華は登校した。

 怪我は大したことはなく、肩や足に青痣がある程度ですんだ。

 青年に掴まれた腕にも持ち上げられた時についたのか、指の跡もあった。

(結構、危機一髪だったよんな)

 振り返ると大変な怪我をしてもおかしくない事故だった。

 しかし安心するよりも、あの青年の事が頭から消えず、心境は穏やかではなかった。

 学校は夏休みが明けたばかりの、気だるげな雰囲気が続いていた。

 休み明けの抜き打ちテストをする教師も多く、生徒からはブーイングの嵐だった。特に酷かったのが英語で、クラスの一部男子生徒から嫌われた先生というのもあり、生徒の抵抗が激しく授業は滞った。

 男子生徒と教師の言葉の応酬をただ聞いているだけの生徒が大半の中、知華もそれに漏れず、昨日の出来事を思い出していた。もう何度繰り返したか分からない。

 回想にふけっていると、隣から小さく折りたたまれた手紙が回ってきた。開いてみると、友人の奈海からで『お葬式、大変だった?』と書かれていた。

 ボーッとしていたので、心配をかけてしまったらしい。

 怪我のことは伝えていなかった。青年の事があるので上手く話せそうにないと思った。

 目線を隣に向けると、奈海と目が合う。

 大丈夫、と笑顔を向けて頷いた。

 奈海には祖母の介護の事も打ち明けていたので、これまでも話を聞いてもらっていた。

『休み時間に話すね』と書いて、手紙を回す。

 その内容を見て、うんと頷き返してくれた。


 昼食後、中庭の木陰で葬儀のことを話した。

 生徒は数グループいて、それぞれ談笑している。日差しが暑いので日陰に避難している生徒が大半だった。「正直に言うと、介護から手が離れて急に自由になった感じ。休みの日って何をすればいいんじゃろ、って思っとる」

「そっか、今まで色々あったもんなぁ。お父さん達とは話せたん?お兄さんは?」

「葬儀終わってすぐに帰った。次の日講義が朝からあるって。……お父さん達とは、変わらんな。あんま、しゃべっとらん」

「……進路とかもあるし、相談位は出来るようになれればいいんじゃけど」

 この四年間、両親とはまともに話をしていない。

 高校受験の際は事情を知っていた当時の担任が、色々と仲立ちになって話を進めてくた。

 家族の話になるといつも口数が少なる事を知っていたので、奈海は話題を変える。

「なぁ、そろそろ知華が集めとる漫画の新刊、出るんじゃないん?今日買いに行く?」

「うーん、今日はいいや」

「そっか。うち、夜は塾あるけ、途中までしか一緒に帰れんのんよ。駅前まで」

「ええよ、そこまで一緒に帰ろうな」

 そこで予鈴が鳴り、二人はそれぞれの教室へと向かった。

 しかし数人の生徒がそのまま芝生に座って喋っている。サボるつもりのようだ。

「また香西たちじゃ」

「中道先生とテストの事で揉めたから、イライラしとんじゃろ」

「また?」

 知華のクラスメイトと英語の中道教諭の騒ぎは学年で有名だった。

 中道教諭は小柄な女性教諭だったが、きしゃな体格とは相反し、強気な性格でいつも反抗する生徒に折れることなく言葉を返していた。それがより生徒の癪に触り、言葉の応酬となり授業が滞ることが多かった。

「もう教室いこ。関わることもないって」

 

 放課後、二人は塾のビルまで一緒に帰った。

 奈海は長年の労をねぎらって、たい焼きを奢ってくれた。

 これまですぐに帰宅していたので、友達と買い食いをする経験は新鮮だった。

 奈海は自身の夏休みの思い出を色々と話してくれた。母方の実家に行き、祖父母や従兄弟と会ったこと。まだ小学生の従兄弟とプールに行ったこと。海で花火をしたこと。

 知華は楽しげに語る友人を見ているだけで同じ気分になり、にこにこと話を聞いた。

 楽しい談笑の時間はあっという間で、到着した塾に入っていく背中を見送って、帰路につく。

(奈海の誕生日も近し、今度何か贈ろう)

 たい焼きをほうばりながら、奈海と別れた一人道。

 少し冷たくなってきた秋風を感じながら、知華は空を見上げ、プレゼントを考えていた。

 そこに

「それ、美味そうじゃな」

 突然声をかけられ、体が止まった。

 聞き覚えがある。

 昨日の青年の声だった。

 振り返ると、昨日と同じ格好で青年が立っていた。

 昨日はよく見なかったが、青年は色白、というよりも青白い顔色をしていた。小顔で骨っぽい輪郭。ややくせ毛な髪が襟元にかかっている。眉と目が上がっているので、少し怖い印象を受けた。

 青年は知華の食べかけのたい焼きをじっと見ていた。

「それ、なんじゃったかなぁ。……なんとか、焼き……たい焼き!」

 思い出せたことが嬉しいのか、笑った。

 そしてずいっと知華に顔を寄せて

「奢ってくれ」

と詰め寄った。

 急な事に数歩後退りした彼女を見て、「なんじゃ。嫌か?」と不満そうに言った。

「急にそんな事言われても……」

「昨日、階段から落ちそうな所を助けたじゃろ。礼はないんか?」

 それを言われると何も言い返せず、知華は先ほどのたい焼き屋に戻り、出来立てを一個購入した。

 ほかほかで熱いたい焼きを、店の前のベンチに座り、満足そうに頬張っている。

 青年を改めてみる。昨日の出来事がなければ、ただの人と思うだろう。

 その服装をみれば貧乏学生にも見えた。

 服は所々ほつれや擦り切れがあり、少し古めかしい。長年着ているように見えた。

 靴はといえば、あちこち泥がついて乾燥している。左右でちぐはぐの靴ひもが一層みすぼらしさに拍車をかけていた。

 そんな知華の視線を気にもせず、青年はたい焼きをペロリとたいあげると

「お前、八重子の孫。名前は?」

と問うてきた。

「知華、です」

 ちか、と小声で繰り返すと、おもむろに立ち上があり今度は

「知華、このあたりで祠はないか?」

 と知華を見下ろしながら聞いてきた。

「ほ、祠?」

 急なことで、知華の声が少し裏返る。

「昔、この辺りにあったんよ。知り合いがおってな。久々に会いたいんじゃ」

「祠って、どんな?」

 青年は少し考えて

「知華位の身長の石積みに、木でできた祠がのっとる。幅も知華の横幅くらいじゃ。もっとも、今もあれば、の話じゃがな」

 知華の思いつく限り、この辺りでは祠を見かけたことはなかった。

「えーっと、あなたが前に見たのってどれくらい昔なんです?」

「百年くらい前、かの。あと、オマモリサマじゃ」

「えっ?」

「人間はワシのことをそう呼ぶ。昔からの。じゃあ、行くぞ」

 オマモリサマは昔の記憶を頼りにする、と言い歩き出した。

「えっ、これから?」

 完全に相手ペースになってしまい、知華は戸惑った。

 まだ明るいとは言え、日暮れが早くなったので時間も気になる。なにより、まだ行動を共にするほどの勇気はない。

 しかしそんな事お構い無しに、オマモリサマは知華にこの周辺の道案内をするように言い、後ろをついて歩かせた。

 途中で横道に逸れて逃げようかとも思ったが、「消えてもすぐに分かるぞ」と言われてしまい、諦めた。

 家まで着いてこられても困る。

「この辺りに山はあるか?」

「すぐそこの坂を登った先に見えてきます」

 オマモリサマの後ろ姿を見ながら、その正体について考える。

 少なくとも百年以上は生きている、人間ではない者。祖母とはどんな関係だったのか。

「あの、おばあちゃんとはいつから知り合いなんです?」

「さぁ。八重子に子供が産まれる前じゃ。若い頃じゃな」

 思っていたよりも昔だ。独身時代ならば、五十年ほど前だろうか。

「八重子の息子とも会ったことがあるぞ。まだ小さかった頃じゃな」

 父とも面識があるのか、と驚く。

 しかしそんな話は聞いたことがなかった。普通の人間と思っていれば、記憶にないかもしれない。

 町を抜けて、稲刈りが済んでいない黄金色に光る田んぼを眺めながら農道を歩いていく。

 脇道に咲く彼岸花が目に入り、飛んでいる赤とんぼも多く見かけた。

 農道から伸びる小道に入ると、今度は森の入り口を入っていった。

 暑い日差しが遮られ、涼しさを感じつつも薄暗くなり不気味に感じた。

 地面が少し湿っており、雨が降っていないのにぬかるんでいる個所がある。石がゴロゴロとむき出しで、木の根もボコボコと見えているので歩きにくい。

 五分も歩かないうちに少し道が整い、ならされている場所に出た。

 近くにベニヤとトタンで作られた簡素な小屋があり、農具が置かれている。この近くに畑でもあるのだろうか。

 小屋には丸まった何かもいて、知華は少しビクッとした。よく見ると犬が寝ていた。近くに水受けもあるので、よくここにいるらしい。首輪がないので、捨て犬か野良犬かもしれない。

「こんな所に犬か」

 オマモリサマはあまり興味がなさそうにチラッと見た。

「犬は好かん」

 素っ気なくそう言うと、足元に転がっていた石を掴み、犬に投げた。

 こつん、と当たっただけで特に痛そうでもなかったが、犬は目を覚まして二人の方を見た。

「石なんて、投げんで下さいよ」

「犬は他の動物と違って、目をじっと見てくるじゃろ。何か読み取ろうとしょーるみたいで、苦手じゃ」

 二個目の石を拾おうとしたので、知華は思わず犬の前に立った。

「いじめんで下さい」

 犬は知華の方を見ていた。

 目が悪いのか、片方濁って白くなっている。威嚇するわけでも無く、静かに伏せたままだ。老犬なのかもしれない。

「ほら。大人しい子ですよ」

「知華は犬が好きか」

「飼ってはないけど、嫌いじゃないです」

 ふん、と鼻を鳴らし老犬を一瞥すると

「知華はここにおれ。奥を少し見てくる。勝手に帰るなよ。帰っても、分かるからな」

 と言い残し、更に奥へと歩いて行ってしまった。

 老犬と小屋に残された知華は、仕方なくその場に座り込んだ。

 「困ったね」と老犬に話しかけるが、再び伏せて寝てしまった。

 知華は空を見上げた。

 気温は高いが、空は高く秋を感じさせた。

 老犬は規則正し寝息を立てている。呼吸に合わせて動く背中を見ながら、時折そこをたでてみる。

 老犬は嫌がることもなく、知華の好きにさせていた。

 しばらくその姿を眺めていると、不意に足音がした。

 森の入り口の方からだ。

 こんな場所に誰だろうといぶかしんだ。しかし私有地だった場合、勝手に入った事を咎められるかもしれない。小屋もあるので、所有者だったらどうしようと急に不安になった。 

 ドキドキしながら道をみていると、やがて姿が見えてきた。

 そこにいたのは香西だった。

 二年になって同じクラスになった男子生徒だったが、付き合う友人も全く違うため、これまで話したことがなかった。英語教諭とよく言い争っているメンバーの一人だ。

 香西は知華に気がつくと歩みを止めた。一瞬間があったが、知った顔と分かり話しかけてきた。

「クラスの羽原さんやろ?こんな所で何しよん?」

 驚いた顔で近づいてくる。

 知華はというと、名前を覚えられている事を意外に感じ、驚いていた。

「まあ、ちょっと散歩」

 適応に返事を返す。

「家、この辺なんか?こんな所で人に会ったの初めてじゃ」

 小屋まで来ると彼は老犬によう、と挨拶をすると軽く頭を撫でた。

「今日もおるな。こいつ、爺さんじゃからどこでも寝るんよ」

「そうなんじゃ」

 ほとんど会話もしたことがない人間に、気さくに話しかけてくる。

 (こういう性格やから、あんなに友達できるんか)

 まさか、こんな所で同級生に出会うとは思っていなかった。

 しかも、よく授業をサボっている香西に。

 知華の中ではあまり関わりたくない類の人間だった。直接何かされた訳では無いが、普段の言動からそう思っていた。

 しかし、想像していたよりも気さくな性格なのかもしれない。とは言え、会話の糸口は浮かばず、無言の時間が流れた。

 道の奥に消えたオマモリサマが帰ってこないか、帰ってきたら何と説明すればいいのか、とも考える。

 沈黙に耐えられず、「香西くんは何しとん?」と思わず聞いた。

「たまに来るんよ。こっちの奥に畑があってな。うちはなんにもしょーらんけど、近所のばっちゃんが色々と育てとるけ、お裾分けしてくれるんよ。そのお礼に見回りしよんじゃ。このへんは狸とか出るけ」

 思ったよりもしっかりとした内容の返事が帰ってきた。

 香西の方は知華に顔を向ける。

「そんで、羽原さんは?」

「あー……。ここの奥に祠があって、そこに行く途中」

「へー。水くみしょーる川の近くにあるんかな?そんな所あるんじゃ。知らんかったわ。でも、祠って。信仰が篤いんか?」

「いや、そういうわけじゃ……」

 多弁に話す香西に戸惑う。

 いつもクラスで友人としゃべっている姿を見てはいたものの、授業中、教師に楯突く姿ばかり印象に残っていた。

(同級生相手だと、普通に話すんじゃな)

 知華が考えている途中でも、香西は話を続けている。

「祠なんか、みたことないけどなぁ。ばっちゃんなら知っとるかな?どんなやつ?見つけんといけんのん?」

(祠について深く聞かんでほしい)と願いながら、返事ができずもごもごしていた。

 そこに、オマモリサマが奥から戻ってきた。

 表情から察するに、探し物は見つからなかったらしい。

「見つからんわ。暗くなってきたし、森の中は見えん。今日は無理かの。知華、もうええぞ」

 そう言うと、知華の腕をいきなりぐいっと引っ張った。

 知華と一緒にいる香西には一切触れず、まるで見えていないかのようだ。

 急に現れた年上の青年に驚いた香西だったが、粗雑な扱いを見て「おい」とオマモリサマの前に立ちふさがる。

「急に掴んで、乱暴じゃな」

 警戒した眼差しをオマモリサマに向けたまま「知り合いなん?」と知華に質問した。

「まぁ……。何というか……」

「昨日知り合ったばっかりじゃ」

 曖昧な返事をする知華に変わり、オマモリサマがあっさりと答えた。

「知華、明日も来い。この場所でええ」

「えっ、明日も?」

「どうせ、予定もないんじゃろ。なら、付き合え。八重子の事も少し聞きたいしな」

 そう言うと香西をするりと避けて、知華を引っ張ったまま横を通り過ぎようとした。

 それを再び香西が止める。

「おい、無視するな!」

 二人の前に立ちふさがり、進路を塞ぐ。

「なんじゃ、目障りなガキじゃな」

 目の前に立たれ、オマモリサマは不愉快そうな顔をして香西を睨んだ。

「嫌がっとるじゃろ。羽原さん置いて、一人で帰れ」

「お前には何も関係ない」

「そんなワケあるか!」

 オマモリサマの腕をガシッと掴んだ。

「血の気の多いガキじゃな」

 ギラっとオマモリサマの目が不穏に光った。

 それを見て、知華はマズイと思った。

 香西はオマモリサマの正体を知らない。何かあってはダメだ。

「オマモリサマ、明日も来るから!ここでいいんやろ?」

 慌ててそう言い、オマモリサマと香西の間に割って入った。

 オマモリサマは知華の腕をあっさり離して「待っとるぞ」とだけ言い残し、さっさと森を抜けてしまう。

 その姿を見送ると、香西は剣のある声で「ほんまに知り合いなん?」と問うてきた。

 迫力のあるその声に少し腰が引けた。

「亡くなったおばあちゃんの知り合いみたいで……。少し話を聞きたいみたい……」

 自然と声が小さくなる。

 納得出来る説明とは到底言えない内容に、香西はさらに詰め寄った。

「話を聞くのに、何でここなん?それに祠探しとるってゆったよな?それ、おばあさんと関係あるん?」

 うっ、と言葉に詰まった。

 嘘は言ってないが、辻褄が合わないので上手い言い逃れも浮かばない。

 困惑した知華を察し、彼は「じゃ、俺も行く」と言い出した。

「えっ、なんで?」

 驚く知華に、香西はやや口調を荒らげて言った。

「どう見ても怪しいじゃろ!おばあさんとは知り合いかもしれんけど、年齢が離れすぎとる。どういう知り合いじゃったん?祠を見に行く、言うのもなんか変じゃし。色々と辻褄が合わん。羽原さんも上手く説明出来んのじゃろ?こんな場所で二人で待ち合わせなんか、駄目じゃろ。危ないで」

 まったくの正論で、何も言い返せない。

 知華は彼の同行をしかたなくお願いした。 

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