2、辰巳と薫 -無いものねだりの子供達-
「ホンット、ムカつくのよあいつら。ばっかじゃないの? 何? 何なの? 男がいない年頃の女は欠陥品だとでも言いたいの?」
「……先輩、いいかげん、ここらで切り上げましょうよ」
俺の提案は黙殺された。
「ところであんた、クリスマスは? 一人?」
「一応予定は入ってますよ。残念ながらといいますか、友人と遊ぶ予定ですが」
「バーカ! クリスマスは家族で過ごしなさいよ、それが正しい過ごし方よ。私は一人でバイトだけど」
「いや、別にクリスマスとして過ごそうと思ってませんから」
その返事が気にったのか気に入らなかったのか、先輩はわざとらしい笑顔で俺の頭をぐしゃぐしゃに撫でまわしてから、だいぶ温くなったモスコミュールを一気にあおった。相変らず酒に強い人だ。俺は酒は好きだが強くはない。少し羨ましい。
「……子供の頃はさ、高校生か大学生になれば、自然と彼氏なんて出来るもんだと思ってたのよ。んなわけないよねぇ。出来ない奴には一生かかったって出来ないのよ。でもって、世間さまから後ろ指指されながら生きるんだわ」
「夢の無い事言いますね」
「厳然たる事実よ。私、一生恋愛出来ないと思うし」
冷めたように、それでもきっぱりと言い切る先輩は好ましい。酒の趣味が会う、ノリが噛み合う。それだけじゃなくこの先輩の横が居心地いいのは、鬱陶しい恋愛の気配が欠片も無くて、さらには抱えている内情が似ているからだ。
恐らく、俺も一生真っ当な恋愛というものが出来ないだろう。
先輩は空になったコップを店員に押し付け、メニューに目を落とし、下唇を軽く指で挟みながらジントニックを頼んだ。まだ飲むのか。女の人が唇をいじる仕草は総じて色っぽいと思うのは俺だけだろうか。そして、先輩は自分の外見の良さを自覚してこんな仕草をやっているのだろうか。いや、無自覚だろう。自覚があれば今頃男がぞろぞろいるはずだ。
……いや、自覚があっても、男はいないだろう。この先輩は恋人が欲しいわけじゃないのだから。
俺も同じだ。恋人が欲しいわけじゃない。好きとも言い切れない歪んだ独占欲の対象は、正々堂々と世間に言える相手ではない。けれど俺はもう、その事を諦めている。
それは多分、この先輩も同じだ。
『恋愛感情とか、わっかんないわぁ……』
出会ったばかりの時、どういう話の流れか忘れたが、お前も彼氏作れよと絡まれていた先輩がケラケラ笑いながら躱し、その後に溜息と一緒に呟いた。心底理解できない。そんな思いを乗せて。
よくあるイキリとは違う、本当に戸惑ったような、疲れたような声。途方に暮れた子供のような顔。
それが気になって話しかけたのが始まりだった。
胸を焦がすような想いなど万人に得られるものではない。いつだって周囲がそれを祝福するとは限らない。その現実が分かっていても、それでもそれを欲しがっていた。だって周りが素晴らしいものだと言うから、勧めるから。理性も何も通用しない揺ぎ無いものがあるのだと聞いて、それを信じて求めていた。無いものねだりだ。わかっている。だから諦めた。それでも欲しかった。
まるで子供だ。子供のような二人だった。
「恋なんてしなくても人生充分楽しめますよ」
「知ってるわよそんなもん。現に私は人生充分楽しんでるわ。面白おかしく生きてるわ。だけど、恋愛してる奴らは恋愛してやっと一人前みたいな顔してるじゃない。してるのよ、少なくともゼミの奴らは。むかつく。頭の中には私よりも一般常識が入ってないくせに。友達は『何で好きな人いないの?』とか言うし。作ろうと思って出来るもんかよ、好きな人って。出来ねぇよ! クソむかつく! 『従兄妹のよしみちゃん、彼氏からもらった指輪してたわよ。あんたはそういう人いないの?』悪かったな、いねぇよ、黙ってろババァ! くっそ、何で一人身でいると変な目で見られるんだ、世の中間違ってる!」
「昔の人が男は家族を養って一人前、女は子供を生んで一人前って考えてたからじゃないですか」
「古ッ! キモッ! 何なのそれ!」
吐き捨てるように言うと、先輩は出来上がったジントニックを奪うようにとって飲んだ。その隙に時計を見ると、本当に終電がなくなるぎりぎりの時間だった。もう帰らなくては。
「先輩はもう、恋愛をしたいっていうよりも周りを黙らせたいって感じですか?」
「あー、まーねー。さっきも言ったけど、別に恋愛してなくても毎日楽しいし。だから、そうね、周りを黙らせたい方が大きいわね」
素敵な宝物は何処を探しても見つからなかった。だけど周りは宝物を持っているとのたまうから。持たない人間を可哀そうと言うから。だから持っているふりをしたいのだと言う。
「だったら簡単ですよ。先輩みたいに恋愛を諦めてる人間で、やっぱり同じように周りを黙らせたいって思ってる人間と、利害一致の契約、ようするに形だけの結婚をすればいいんですよ」
俺の言葉を聞いて、先輩はきょとんとする。それを見てから俺は残っていたソルティードッグを飲み干した。
「それって偽装結婚?」
「偽装ではないと思いますけど。それに別に結婚じゃなくても、ただのお付き合いでもいいんでしょうけどね」
先輩はなにやら考え始めたけれど、ようやくその口が止まったので、俺はそろそろ帰りましょうと促した。そしてそれは受け入れられたらしく、先輩は無言のまま立ち上がる。
店を出て駅に向かっていると、黙っていた先輩がようやく口を開いた。
「ねぇ、さっきの意見、あれやっぱ駄目よ」
「何でですか」
「今ね、いろいろ考えてみたんだけど、引き受けてくれそうな相手がいない」
俺は少し驚いた。適当に言っただけだったのだが、先輩は本気にしていて、なおかつ相手を頭の中で探していたのだ。
「これから会うかもしれないじゃないですか」
「バーカ、今黙らせたいのにどうしてこれから会う人なんか考えなきゃならないの。大体これって、お互いがこういう人間だって事を話さなきゃなんないでしょ。って事はそれなりに仲が良くなきゃ駄目なわけよ。しかも結婚を重大視してない人間じゃなきゃ成立しないでしょ。そんでもって、口が堅い人。これってやっぱり古臭い考えの持ち主の方々には良い印象与えないじゃない? 言い触らされたくはないなぁ、自分の人生を円滑に進ませるためには」
何とも面白い人だ。そこまで考えていたとは。俺はつい笑ってしまう。すると、あんたが言い出したことでしょうが! と怒られた。
先輩は本当に残念そうにしていた。だから俺はただ一つある解決策を提示してみる事にした。
「駄目なんかじゃないですよ」
俺は笑いながら言う。先輩が解決策をくれるのかと少し期待した目でこちらを見た。
「だって先輩にはちゃんと引き受けてくれる相手がいますから。例えば、俺とか」
もちろん、先輩が望めば、ですけど。そう付け足した時には、先輩は立ち止まってぽかんと口を開けていた。その顔が何だかやたらと可愛かったので、また笑ってしまった。
俺も立ち止まって先輩が動き出すのを待つ。やがて長い沈黙と静止の後に、先輩は呆れたように、感心したように呟いた。
「…………なかなか良いプロポーズね」
そしてにやりと笑う。共犯者が見せるようなその笑みは、思いのほか心地良かった。
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