第4話 共犯

「申し訳ないが、しばらくその状態でいてもらうよ。逃げ出されちゃ敵わないからね」


 冴香がロープで三人の手首を縛り終えると、彰人は告げた。

 三人とも、縛られたことにショックを受けたのか、今のところ大人しくしている。いや、ショックを受けたのは、銃を突き付けられたことに対してだろうか。

 立松まどかは怯えた表情で身をすくめるばかりで、反撃してきそうな様子はない。彼女は保身の欲求は強そうだが、そのために思い切った行動を起こすほどの覇気はないだろう。そういう意味では、霧川弘雄と最上泰広については、要注意と言える。二人とも喧嘩っ早いタイプだし、頭に血が昇ったら何をするかわからない。特に、弘雄はプライドが高い分、状況をひっくり返してやろうという意志が強いはずだ。

 事前に取り決めていた通りに冴香が行動してくれたのは、ありがたかった。もし、彼女がためらって、隙を見せていたら、何が起きていたかわからない。

 ともあれ、三人をロープで縛る、という仕事を終えた今、計画は第一段階を無事乗り切った、と言えるだろう。


「彰人兄ちゃん」冴香がそばへ来て、言った。「こいつらの荷物、どうする?」

 彰人は三人の足元を見やった。「必要ない。ここへ置いて行こう」そう言ってから、思いついて彼らに視線を向けた。「ああ、それと、スマホは取り上げさせてもらうよ。身に着けているなら出してくれ」

「縛られてて、どうやって出せっていうんだよ」泰弘が弱々しく言い返す。

「まあ、そうだよな」


 目配せをするまでもなく、冴香が肩をすくめて歩き出した。鼻歌でも聞こえてきそうなほど、軽い足取りだ。肝の据わった子だな、と彰人は思う。

 三人の背後に回り、それぞれのポケットに無造作に手を突っ込んで、スマートフォンを取り出していく。まどかの番になると、彼女は身をよじって奪い取ろうとする手をかわそうとした。しかし、そんな彼女からも、冴香は冷酷に力づくでスマートフォンを取り上げた。

 没収したスマートフォンを手に、冴香が彰人のそばへ戻ってくる。彰人は受け取ると、地面へ放り捨て、力を込めて踏みつけた。尖った砂利の上で、薄っぺらな端末が儚い音を立てる。

 まどかが悲鳴をあげた。弘雄は最早、何も言わなかったが、湯気の立ちそうな顔をしているところを見ると、憤怒しているのだろう。やはり、この男は要注意だ。


「貴様、こんなことして、ただで済むと思うなよ」

 てめえから貴様に格上げか、とよぎらせ、彰人はにやりとしそうになった。まあ、この連中のボキャブラリーの質などたかが知れているだろうが。

「ただで済むなんて思っていないよ。こっちもそれなりに覚悟は決めている」

「なんだと。どういう――」

「そうだよ。どうして、こんな真似すんだよっ」

 弘雄とまどかがほぼ同時に吠えた。

「理由か。理由は――」彰人は焦らすようにゆっくりと銃身を握り直した。「君たちのほうが、よくわかってるだろう。俺の口から説明する必要はないんじゃないか?」

 三人とも、一瞬たじろいだ様子を見せた。どうやら、駆け引きが得意な者はいないらしい。

「ど、どういう意味だよ」

「考えるまでもない。弟がこんなところへ来たのには、何か理由があるはずだ。あいつは一人旅にもキャンプにも興味がなかった。それがわざわざ、こんなことをしたのには、何かやむにやまれぬ事情があったに違いない」


 彰人はそこで言葉を切って、三人の顔を見渡した。全員、固唾を飲んで続きを待っている。弘雄がどうにか、言葉を発した。


「だから何だ。俺たちには関係ない」

 冷ややかにそちらを見返し、彰人は続けた。「この島は所謂、禁足地だ。立ち入ることはおろか、口に出すことも歓迎されてない。その結果、禁足地であるということすら、地元民の間で忘れられかけているくらいだ」肩をすくめ、「――でも、この辺に詳しい人の話では、時々、こっそりこの島に渡ろうとする者がいるらしい。お察しの通り、肝試し感覚でここに興味を持つ連中だ。多くは、地元のIQの低い高校生やなんかだろうね。そう、君らみたいな連中だ」


 なんだと、と低く唸りながら、弘雄が前へ踏み出した。勢いにつられたのか、泰広までぎこちなく身を乗り出す。


「おっと」と、彰人は身軽に後退した。

「もう一回言ってみやがれ!」そう喚きながらも、弘雄はたたらを踏むように立ち止まった。今更ながら、彰人の手にしている銃はお飾りではない、と気づいたのだろう。

「迂闊に近づかないでくれよ。手が滑って、引き金を引いちまいかねない」

 そう言いながら、ぴたりと狙いを弘雄の顔に向ける。猛り狂っていた弘雄の目から、すうっと怒りが引いていった。「やめろ。わ、わかった。わかったって」

 彰人は肩の力を緩めた。


「お喋りはこのくらいにしよう。見たところ、ここには手がかりらしきものはなさそうだ。さっきも言ったように、奥に簡易宿泊所がある。そこへ行ってみよう」

 泰広が辺りをきょろきょろと見回した。「お、奥って、あの上かよ?」

 全員が、そそり立つ岩壁の上方を見上げた。

「そう。結構険しい道のりらしいから、気をつけてくれ」

 こともなげに言うと、彰人は冴香のほうを見た。「俺が先に行くから、後方からこいつらを見張ってくれ」

「ラジャ」

「こっちだ。妙な真似はするなよ」


 それだけ言うと、さっさと先頭に立って歩き出した。三人はむっつりと押し黙っている。のろのろと歩き出したまどかに続き、泰広、そして最後に弘雄が渋々、その命令に従った。これ以上、ここで粘っていてもどうにもならない、と観念したのだろう。移動中、うまくすれば逃げられるチャンスがあるかもしれない、と望みを持っている可能性もある。

 だが、その時は冴香が気づいて、声を上げてこちらに知らせてくれるだろう。用心深く後ろを振り返りながら、彰人は考えた。

 冴香は列の最後尾で、元々白い顔をさらに青白くこわばらせている。それでいて、怖気づいている様子は微塵もない。

 実行前から、この計画における彼女への信頼は、彰人の中で揺るぎないものだった。これほど他人を信用することがあるとは、と自分でも意外なほど。

 視線を前方に戻しながら、彰人はここ数週間の出来事を振り返る。記憶のパノラマが脳内で展開し、彼をあの日へと誘った。


    ◇


「彰人兄ちゃん」


 大学構内で彼を見つけた冴香が、片手を上げて走り寄ってきた。

 彰人は足を止め、彼女を待つ。――偶然、冴香が同じ大学にいると知ったのは、半年ほど前のことだった。お互い、数年来の顔馴染みだが、連絡先を交換するほどの仲ではなかった。そのため、彼女の進学先についても知らなかったのだ。

 以来、気さくに話しかけてくれる彼女に彰人も気を許し、会えば話をする、程度の付き合いを続けてきた。

 彰人の前まで来ると、冴香は心配そうに尋ねた。「お帰り。叔母さんの容体、どうだった?」


 彼女には、急な帰省の理由について話してあった。同郷の彼女にそうするのは自然なことだったし、ひょっとしたら彼女はこの件とそれ以上の深い関りがあるかもしれなかった。

「ああ。叔母は大丈夫だった」彰人は軽い調子で答えた。そして辺りを見回し、「少し話をしたいんだけど、時間ある?」

 ある、と答えた冴香とともに、あまりうるさくない場所のベンチに移動し、話をした。彼女には叔母の体調が急変したと告げていたが、正確には体調が悪化したわけではなく、アルツハイマーによって混濁としていた記憶が蘇ったのだ、ということ。自分が帰省したのは、正気を取り戻した叔母がとんでもないことを喋り出したからであること。叔母が話した内容とは、今まで手がかりが一切なかった朋也の失踪に関係したことだったこと。


「それじゃあ、朋也はあの島に渡ったっていうの?」あらましを聞き終えると、冴香はショックの色を顔に浮かべた。


 無理もない。地元民なら誰もが、不知島しらずとうに関する薄暗い歴史を知っている。詳しくはなくても、朧げに嫌なイメージが湧く程度には、頭にすり込まれていることだろう。


「はっきりとは断言できないけど、そうかもしれない」

「だって、叔母さんにわざわざ島の話を聞きに行って、翌日いなくなった、ってことでしょ? そう考えるしかないじゃない」


 彰人も、まったくの同意見だった。証拠こそないが、朋也の行き先は不知島だとしか考えられない。


「だとしたら、あいつはどうしてあんなところへ行ったんだろう」

「そうね、どうしてだろう―― ううん」冴香は俯き加減に、頭を振った。「わかる気がする。朋也が”らしくない”ことをする時は、大抵、あいつらが関わってるんだよ」

「あいつら?」

 顔を上げた冴香の目には、怒りの火が灯っていた。「彰人兄ちゃんも聞いたことくらいあるでしょ。朋也が付き合ってた、ろくでもない連中のこと」

「朋也の友人だ、という奴らのことなら、失踪後に少し話をしたことがある」記憶を辿りながら、彰人は言った。「確か、霧川とかいったっけ」

「そう、そいつ。外面こそよかったけど、あいつの本性はろくなもんじゃなかった。そんな奴と、朋也はずっと、ずるずる付き合いを続けてたの」


 霧川―― ヘラヘラした、軽い印象の男だった、と彰人は思い出していた。まあまあ端正な顔に、ワックスでこねくり回したような髪型、やたら調子のいい話しぶり、とあまりいい印象はない。ほかにも数人と話をしたが、いずれも霧川のご機嫌取りをしている連中に見えた。


「覚えてるよ。けど、そこまで悪い奴には見えなかったな」

「高校の頃はね。所謂、不良、っていうんじゃなかった。チャラくて、クラスの女子にモテて、ほかより少し目立ってた、ってだけ」

 確かに、彰人の記憶にある霧川は、そんなところだった。

「そんな奴と、朋也は付き合ってたのか?」

「朋也だけじゃない。あの頃はクラスのみんなが、そんな雰囲気だったの。誰もがあいつのことを持ち上げてて、あいつと付き合うのが一種のステータス、だと思われてたわけ」

「朋也もそうだったのか」

「そう」冴香は声を落とした。「わたしを含む少数は、霧川の正体を見抜いてたけど、わたしがどんなに言っても、朋也はあいつと手を切ろうとしなかった。切りたくても、そうできなかったみたいね。わかるでしょ、朋也って優しい奴だけど、裏を返すと優柔不断だから。わたしも、朋也のそういうところにカッカして、喧嘩みたいになっちゃって、それで――」そこで、冴香は口を噤んだ。


 失踪前の弟と冴香の仲が少々こじれていたことは、彰人も察していた。口にはしないが、彼女はそのことをずっと悔やんでいるように見えた。仲違いしていなければ、朋也がこんなふうに消えることはなかったかもしれない、という考えが拭えないのだろう。

 似た思いを抱く者として、彰人には彼女が抱える苦しみが理解できた。弟が、周囲に何も告げずいなくなった、と知った時、最初に頭に浮かんだのは、自殺、の二文字だった。


 弟に自殺せねばならない理由があったかはわからないが、わからない、というそのことが既に弟への無関心の証しであるように思えた。実際には、朋也との間に軋轢などなく、比較的仲のいい兄弟関係を築いていたにも関わらず、弟の失踪直後は、そんな自分の認識すら甘かったように思えた。俺は弟を本当はまったくわかっていなかったのではないか。それどころか、知るのを拒んですらいたのではないか。そんなふうに思えてならなかった。大学進学後、故郷を離れていたことも、一種の責任放棄なのではないかという気がした。

 後で知ったことだが、両親もまた似たような心境でいたらしい。勝手に、円滑な親子関係が築けているものと思っていたのに、実際はそうではなかった、と落ち込んでいたのだという。皆、自分たちの信じていたものがまやかしだったと考え、強いショックを受けていた。


 しかし、二年後の今になって、それが考え違いだったのかもしれない、という可能性が浮上した。


 もしかしたら、朋也は自殺はおろか、家出さえしていないのかもしれない。悪友に騙されて、危険な場所に赴き、戻って来れなくなった、そういうことかもしれない。

 そう知った今は、一分たりとも冷静ではいられなかった。入院中の叔母のもとを辞すると、彰人は狂ったように島について調べ始めた。


「俺も、今にして思うと、あいつが家出や自殺なんかするはずがない、という考えに傾いてる」彰人は控え目な言い方をした。「だから、調べ直してみようと思うんだよ。弟の周辺を―― その、霧川って奴も含めて」

「そうね。もしかしたら、何かがわかるかもしれない」

 俯きながら、冴香は言った。


 彼女の中には、どんな考えが芽生えているのだろう。霧川という奴が朋也の失踪に関わっていると、本気で疑っているのだろうか。

 霧川の本性が冴香の話した通りなら、それは充分ありうる話だし、これまで浮上したどの仮説より不気味なリアリティがある、という気がする。

 もし、その線が当たりなら―― 膝の上に置いた手に、無意識に力がこもる。――俺は平静でいられないかもしれない。


「ねえ」冴香が、ひどく思い詰めた声を発した。「何かわかったら、わたしにも教えてね。絶対に」

 ああ、と彰人は振り返って答えた。

 冴香はベンチの上で体をこちらに向けると、手を伸ばして、固く握り締めた彰人の手に重ねた。「それと、もし手助けが必要なら、何でもする。わたしも―― 朋也に何があったのか知りたいの」

 張り詰めた冴香の顔を見つめながら、彰人は頷いた。「ああ、わかった」


 冴香はそれを聞くと、ほっとした顔つきになった。

 彰人もまた、彼女との間に連帯ができたのを感じ、自分の中の何かが安らぐのを覚えた。と、同時に、掌から伝わる彼女の熱い決意が、自分のそれと合わさり、相乗効果のような激しさを生み出すのを感じた。

 そう、それが、自分と彼女が一種の共犯関係を結んだきっかけ、だったのだ。

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