寒露 ハクの教え
僕は高い木に登ることができないから、よく木苺を食べていた。何故か他の動物は食べていないようでたくさん実っていた。だから木苺は僕が食べ尽くしたと言っていい。
そんなある日、大人になったばかりの小さな雀が地面に落ちていた。うまく飛べなくて落ちてしまったのか、それともカラスに襲われたのか。羽が折れていて助かるかどうかわからなかった。
せめて何か食べ物と思ったけど、雀に何もあげることができなかった。そして雀は間も無く死んでしまった。
一つだけでも木苺が残っていたら助かったかもしれないのに。僕が落ち込んでいると、ハク様がやってきた。死んだ雀を見て、僕を見て。ふむ、と言うと僕の頭を撫でてくれた。
「自分のせいで死んでしまったと思っているのかな。だが、それは間違いだよ」
びっくりしてあの人の顔を見ると、珍しく穏やかな笑みを浮かべておらず真剣な顔をしていた。
「この雀が死んだのは外敵に襲われたか飛ぶのが下手で落ちてしまったか。食べ物が食べられたかどうかではない。悲しむのは悪いことではないが、本質を間違えてはいけない」
それは確かにそうだった。僕が攻撃をしてこの雀が怪我をしたわけではない。
「背負わなくていいものを背負って苦しむのは、ただの
今思い出してみると、この時完全に僕に語り掛けていたのだから僕の考えていることを読み取っていたのだろうけど。このときの僕は全然気がつかなかった。ひたすらあの人が言った言葉を繰り返し繰り返し考え続けていた。
自分には関係ないと何でもかんでも知らんぷりをしてしまっては気づくものにも気づけない。だからといって自分が少し関わったからそれは自分の責任だと思うのも物事の本質を見失ってしまう。
難しい、自分の好きなことだけを選んで時には苦しんだり、時には嬉しくなったり。それは自分が勝手にやっていることであり、何の問題も解決しないこともある。
そして場合によってはそれが自分の生そのものを脅かすことになってしまう。
僕が山にこもったからあの人たちが死んだというわけではない。あくまで殺したのはあいつだ、あいつをどうにかしないと犠牲者が増えるだけ。
僕の姿は見られているし、稲に火をつけたのは間違いない。今更彼らと話し合ってどうにかなる問題では無いから、なんとか奴を倒す方法を考えないと。
村人たちの力で奴を倒すのは、残念だけど無理だと思う。三人いっぺんに死んでいる。おそらく一撃で全員の腹を引き裂いて、瞬時に首をねじ切ったのだろう。思っていた以上にやっぱりあいつは強いんだ。
今の村は兄上殿が取り仕切っているように見えて、実はあいつの支配下にあると言っても過言ではない。誰かが言った言葉を鵜呑みにして、とにかく目の前の敵を倒すことだけに集中してしまっている今は掛け声一つで簡単に人が動いてしまう。
隙をついたって勝てるわけない。あいつが弱って、あいつを倒せるくらい強い力がないと。僕らは怪我の治りがとても早いのだから。
ハク様。僕には明らかに荷が重いけれど、やるだけ無駄だと決めつけて、どうにもならないと諦める事だけは絶対にしたくない。
きっと貴方もそうだった。他人の都合を全て押し付けられて生きてきたけど、その中で自分のなすべきことを見つけて最後までそれを貫き通した。それなら僕もそれに習います。
大人数が近づいてくる音が聞こえた。身を隠していると先頭に見えたのは兄上殿だった。あの人に見つかったらどうすることもできない、おそらく今いる人間の仲間では一番強い。僕も逃げ切れる自信がない。
神力がないのなら僕の居場所はわからないはずだ。下手に動き回るより隠れている方が安全かもしれない。
「火をつけろ、あぶり出す」
その言葉にさすがの僕も慌てる。植物が乾燥してきた今、山に火をつけてしまったら一気に燃え広がってしまう。どうしよう、と思っているとわずかに男たちの空気が変わった。鋭い刃物のような、冷たい雰囲気。
「従えねえな、その指示には」
周りにいた男たちは全員動こうとしない。それどころか兄上殿を睨みつけている。
「火だるまになりたいならお前自身で焚火でもしたらどうだ」
「偉そうにふんぞりかえって、畑作業を嫌がってやらなかったから野焼きもしたことがない。風の向きも強さも何も考えずに平気でそんなことを言う。ここで火を熾したら村がまる焼けだ」
「ここまで頭が悪い男はそうそういないだろうよ。頭の中まで筋肉が詰まっているようだ。おかしなことがたくさんあったと言うのに、見たものを見たままでしか判断しない。子供よりひどい」
取り囲んでいる男は五人。その全員が……おそらくもう兄上殿にはついていかないのだと思う。
「……」
兄上殿は何も言わない。怒りに染まった様子もない。ただ、案山子のように無表情だ。
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