処暑 さよなら、大好きでした
つう、と血が垂れてきている。
胃の中が焼けるように熱くて痛い。喉はまるで燃えているかのようだ。一粒で確実に殺せるように相当強い毒を込めてくれたらしい。
――ご苦労な事だな。
これ以外の道があったのかもしれない。こんな村さっさと捨てて出て行くこともできた。しかしそうする事は絶対にできなかった。化け物を倒すことで穏やかな生活が送れると、心から信じて死んでいった者たちはあまりにも多い。
戦う力がなくてもせめて足を引っ張らないようにと日々鍛錬を積み、自分を守って死んでいった者が数多くいる。後は頼みます、おっかあや妹を頼みます、妻を頼みます、みんなを頼みます。その願いを背負い続けてきた。
化け物から恨みを買いすぎているのは自分たちのせいだ。殺さなくていい者達を殺し続け、死なせなくていい命を長年死なせ続けたのは自分の家系の人間が愚かだったから。その責任を、けじめをつけなければいけない。やれる事はやった、後はなるようになる。物事とはそういうものだ。人があれやこれやといじくりまわさなくても収まるところにおさまっていく。
咳き込みながら縁側に座った。もしあの子をここに招くことができたら、ここに座って一緒にスイカを食べたり夕方にひぐらしや鈴虫の鳴き声を聞いて涼を感じたり。山の滝壺で一緒に泳いだりもしたかったな。そんなことを考えていると近寄ってくる気配がある。
結界がないことに気がついたようだ。あの子は本当に聡い子だ。小さく微笑む。
ありがとう、君の存在に私はずっと救われていた。
ありがとう。
小太刀が刺さったままで肩が痛い。しかし抜いてしまえば血が大量に溢れるのもわかっている。なんでこんなことになった、私は何も悪くない。永遠の命を求めて一体何が悪いんだ。
生まれた時から美しいといわれたくさんの男が自分を求めてきた。それに応えると金やきれいな着物や簪もいろいろなものをくれた。よこせと言ったことなど一度もない、男たちが勝手に置いていったんだ。自分はそれをただ使ってきただけ。炊事も身の回りのこともすべて男がやってくれた。
自分がこの村の女に嫌われていることを知っているし、周辺の村の女たちからも全員から嫌われている。当たり前だ、女はこういう女が大嫌いだ。助けてくれるとしたら男しかいないのに、この村の男はもう自分に見向きもしない。どいつもこいつも役に立たない!
一体どこに行けばいいのか。いや、まだ体を重ねていない男が一人だけいた。自分に見向きもしない頭の中まで筋肉が詰まっているのではないかと思って無視していたが。そうだ、あの長と言う男の兄がまだ残っている。弟に殺されかけたと、何なら責任を取れと言う言い方をしても良いかもしれない。その家に向かっていると夜中だと言うのにあの男が家の前に立っていた。
「助けてください!」
まず最初はシナを作って、悲劇的な女を演じるところから。頭に血が上りやすい喧嘩っ早い性格のようだから、慎重にことを運ばなければ。
いきなり弟に襲われた、この刀も投げつけられた、泣きながらそう言うと彼は静かに小太刀を見る。
「……小空蓮か。確かに暁明が持っていたものだ」
よかった、これで証明できたと安堵しているといきなり小太刀を力任せに引き抜かれた。
「ぎゃあ!?」
何の心構えもしていなかったところで突然引き抜かれ肩に激痛が走る。どばどばと血が溢れてきた、大きな血管が切れているらしい。手当てをされることもなく引き抜いた刀を男はじっと見つめている。
「なにをす……」
「女に刀を向けるような奴ではない。奴が攻撃するのは化け物だけだ」
「え」
男の目はギラギラとしている。獲物を目の前にした熊か何かのように。刀を引き抜かれたことと、今の言葉がどういう意味なのかを理解するのにほんの少し時間がかかった。それを理解したときにはもう男の間合いは目の前に詰められている。
「待ってぇ!」
「何故?」
「わ、私は何も!」
「貴様がこの村に来てから明らかにおかしくなったのに信じるわけなかろう」
男は自分の刀を抜いて鞘を捨てる。体勢を低くして一歩、すり足をした。
「私は化け物じゃな――」
「みんなそう言う」
なんだそれは。それじゃあこの村の連中は化け物かどうかの区別もつけずに殺しまくってきていたのか。そう理解した瞬間には自分の頭に大太刀が勢いよく振り下ろされていた。
すぐ近くで悲鳴が聞こえた。風が強いから血の匂いを嗅ぎ取れる。あの声はあの女に間違いない。そしてあの方向は兄上殿の家がある。つまりはそういうことだ……。
違う、あの女の人は結局化け物でもなんでもないんだ。おそらくただの一人の女。本当に化け物だったらあの人が放っておくわけない、最初に床を迫った時点で切り殺されていたはずだ。見逃されたのだ。でもこういうことになってしまった。
女には悪いけれど今僕はあの人の安否だけが気になった。結界が張れないほど体力が落ちているのならもう食べ物をもっていくとか休んでもらうとか、いっそ家から連れ出すしかないかもしれない。
あなたにはたくさんのものをもらった、いろいろなことを教えてもらった、名前をくれた、それに、それに。
走って走って、あの人の家のそばまで来たら。あの人は縁側に横になっていた。それはまるで居眠りしているかのようだ。
僕は震えながらそっと近づく。近くまで来て何とか背伸びをして縁側に乗り上げることができた。そっとあの人の顔に触れる。肌がカサカサで唇もカサカサだ。暗いけどわかる位に顔色が悪い、そしてたくさん血を吐いたのだろう顔の周りが血まみれだった。
「……」
名前を呼びたいけど、そういえば名前は僕がいただいてしまっていた。長としての名前はあると言っていたけど結局それも教えてもらっていない。長の名前は好きじゃないと言っていた。なんて呼べばいいんだろう?
呼んでも、返事をしないことはわかっているけれど。
懐に近寄ってそっと耳を当てる。何も音がしない。でもまだ温かい。つい今しがたなのだろう。僕は間に合わなかったんだ……。
どうして。この人はこんな苦しい思いをしてたった一人で終わらなければいけなかったんだ。果たしてこの人は心から幸せだと思って生きていたのだろうか。僕と会って話を聞かせてくれている時はあまりにも穏やかで優しくて全然最初は気がつかなかったけど。みんなを助けているのにみんなはこの人のことを助けてくれなかった。
そうだ、僕が最初にもらった名前を返そう。名もなき者なんて嫌だ。他の人には教えない、僕とあなただけの秘密。
白。ハク様だ、貴方はハク様。
「はー、はっはっー」
一生懸命口を動かした。
僕は、しゃべってはいけない。しゃべってしまったら取り返しがつかなくなるからしゃべってはいけないよといつもハク様に言われていた。
人ならざるモノは最初はしゃべることができない。人間の言葉を覚えて喋り始めたらあっという間に姿かたちが変わってどんどん化け物となっていく。だからみんな必死に言葉を覚える、人間を殺すために、人間を誑かすために、人間で遊ぶために。
僕はこの村の人たちが憎いだろうか。その考えは真っ先に否定できる。恨んでいないとか怒っていないとかそういうことじゃないんだ。今はそんなことどうだっていいんだ、僕は言葉をしゃべりたいのは。
「は、あ、け、く」
うまくいかない。でもどうしても喋りたいんだ。
あなたの
「は、く」
貴方の名前をよびたい。
「はぁく、さ、ま」
名前を呼んでもらうことがどれだけ嬉しくて幸せなことか僕は知っているから!
「ハク様、ハク様」
体中の血が逆流したのではないかと言う位に全身に巡る。まるで沸騰しているかのように体が熱くなり痛みが走った。少しだけ体が変わったんだ、多分一回り大きくなった。何せ僕の大きさは普通の人の足首位までしかなかったから。ボロボロと涙が零れあの人の顔に擦り付ける。
「もう一度だけ、お話がしたかったです、ハク様」
争った形跡は無い、多分これはあの人が選んだ事なのだ。あの女がいいように使われたのかもしれないけど、それを退けることなくあの人はこの道を選んだ。
ざわざわと村の方が騒がしくなった。多分先程の騒ぎを聞きつけて男たちが出てきたのだろう。まずい、この後どうなるかなんて分かり切っている。絶対に、絶対にこの人に早く結界を張れとか何とかしてくれと頼みに来る。
「あいつらが来るぞ。馬鹿だから」
どこからか面白おかしそうなそんな声が聞こえた。僕はギリッと歯を食いしばる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます