Thesis.13 臨界稼働 ①

 鳴釜兼備が伝承師となったのは、今から三〇年前のことだった。


 怪異災害によって家族を失った鳴釜は、齢六歳にして孤児となった。親類縁者のいない当時の鳴釜に、寄る辺はない。そんな時に、当時発明されたばかりの『誰でも安価に構築できる』異能──反駁伝承ATリノヴェーションの存在は身寄りがなく鳴釜にとって渡りに船だった。

 とはいえ、齢六歳の幼伝承師──当時はまだ怪異討伐は『神憑き』の役割だったこともあり、鳴釜にとっては何かと逆風の多い時代ではあった。

 だが、鳴釜はその逆風をものともしなかった。


 鳴釜は、天才だった。


 『神憑き』の素質こそないものの、天性の怪異調整技術と機体デザインセンスにより、彼は瞬く間に伝承師としての地位を築き上げることになる。彼の足跡は、これからの時代に『神憑き』の素質が必要不可欠ではなくなったということを明示した。歴史的に伝承師が『神憑き』を駆逐した背景には、彼の活躍が関係していたといっても過言ではない。

 そうして、反駁伝承ATリノヴェーションの発明から一〇年が経つ頃には、鳴釜は既に『最強』の名をほしいままにしていた。

 海底火山噴火によって誕生した自凝島のもう一つの顔──『黄泉』において、彼の名を知らない者はいない。磨き上げた反駁伝承ATリノヴェーションと築き上げた伝承師としての経験は、彼の『最強』としての地位を不動のものとしていた。


 状況が変わったのは、それから六年後──つまり今から一四年前のことだ。

 とある少女が、伝承師の世界に現れた。

 御巫七夕。

 『椎塚』の研究施設から解放された実験体という経歴を持つその少女は、傭兵・御巫宗次の庇護のもと表舞台に現れるなり、その凶悪すぎる『怪異』の威力とそれを完璧に制御しきる天性の才によって、めきめきと頭角を現した。


 ──『怨燃小町バーンアウト』。

 江戸全域を焼き払うレベルの超火力に、炎だけでなく様々な事象を精密に操ることができる応用性、そして全身を自動で保護する爆発反応装甲を有する、攻守において最強の反駁伝承ATリノヴェーション

 その存在によって、伝承師界隈メタゲームは歪まざるを得なかった。まるでコップの中に垂らした一滴の墨のように、彼女の存在は全体を染め上げていく。


 その反駁伝承ATリノヴェーションは江戸全域を焼き払うレベルの超火力を防ぎきれるか? 


 その反駁伝承ATリノヴェーションは炎にプラズマに電気まで操る応用性に対応できるか?


 その反駁伝承ATリノヴェーションは全身を自動で保護する爆発反応装甲を貫通できるか?


 大袈裟な話ではない。

 己の目的の為に企業を隠れ蓑にして社会の裏に潜むことの多い非正規アングラ伝承師にとって、伝承師関連の事件解決を生業とする御巫七夕は『いつ相対してもおかしくない脅威』だった。

 即ち、彼らにとって御巫七夕の対策をしないということは、いずれ来るかもしれない『その日』に命を諦めることと同義だったのだ。


 ゆえに、彼らは軌道修正を余儀なくされた。

 少しでも、御巫七夕と相対した時の生存確率を上げられるように。少しでも、御巫七夕と遭遇することがないように。


 弱者の論法。


 鳴釜もまた、そこに阿った『その他大勢』の一人だった。

 彼は、伝承師を始めて以来ずっと扱ってきた反駁伝承ATリノヴェーションを手放した。炎に対して有利に立ち回れるからという理由で、新たに確保した『白の手』を封入した反駁伝承ATリノヴェーションを新規構築した。


 それは、最強だった鳴釜が、その座から追放されたことを己で認めたとしか言いようのない出来事だった。



(一生の、不覚)



 反駁伝承ATリノヴェーションは、一人につき一つしか扱えない。

 御巫七夕に対策する為の『怪異』を封入するということは、それまで扱っていた反駁伝承ATリノヴェーションは扱えないということだ。

 御巫七夕が歴史の表舞台から消え去るまで、永久に。

 己という存在を確立させてきた、アイデンティティそのものを──己の半身を、ずっと。



(一生の、不覚……!! オレはあの時、手放した……!! 最強の資格ではない。強者の誇りではない。……オレを此処まで連れて来てくれた、オレ自身の歩みの価値全てをだ…………ッ!!!!)



 だから、鳴釜はこの依頼を選んだ。

 御巫七夕によって歪められた反駁伝承ATリノヴェーションで、敗北の象徴で、御巫七夕を排除する。

 そうして、かつて己の手の中にあった最強を取り戻す。


 その為に────。




   ◆ ◆ ◆




「臨界稼働────『暗き水底へは引く手数多いさなとり』」



 ──都市迷彩の男が何事かを言った瞬間、御巫の姿が掻き消えた。


 その一部始終を見ていた俺は、流石にその異常には目を瞠らざるを得なかった。

 なんだかんだ、圧倒的だった御巫だ。今更あの男が何かしようと問題ないとは思っていたが、姿が見えなくなるのでは話が別である。いったい何が──



「ふぅ、ギリセーフ」



 と、そこで俺の後ろから御巫の声がした。



「はぁ!? いつの間に!?」


「たった今だよ。ロケットブーストで空飛んで戻って来た。流石に付与した『爆発反応装甲』を臨界稼働で狙われたら分が悪いからさ」



 ……ロケットブーストて。さっき男の方に移動した時も素早かったけど、移動に炎を合わせて加速してるのか。まぁ、確かに炎全般を操ることが可能ならそういう応用も可能だろうな。

 そしでギリセーフって自分があの男の奥の手を躱したことかと思ったら、俺の防御の方だったのね。なんか申し訳ないね。



「……『臨界稼働』って、なんだ」



 この島に来る前に腐るほど読んだ教本や参考書には、そんな用語は一度も載っていなかった。それ自体はおかしなことじゃない。現場でしかない知識なんて此処までの道のりで幾らでも見て来た。

 だが……これはそれらの『お役立ち知識』とは、重要度の次元が違う気がした。

 そういえば、男の背後に青い光の紋様みたいなものが浮かび上がっている。クラゲのような、傘のような、手のような、抽象的な図柄だ。アレが発現された状態が……『臨界稼働』なのか?



「ん、そうだね。それじゃあ反駁伝承ATリノヴェーション基礎知識の最終章、『臨界稼働』についてお話しよっかな」



 直後。

 ズズズン!! と、まるで地響きのような音を立てながら、男の傍にあった水塊の中の無数の白い手たちが、水塊を突き破って外に出て来た。

 嘘だろ……!? あれって多分、海水浴場で良く語られる都市伝説『白の手』じゃないか? だとしたら、原典的に『白の手』が届くのは『海の中』のはず。

 ただでさえあれだけの水量を操作するような拡大解釈をしているのに、影響範囲を『海の外』にまで拡大したら、そんなもんもう別の怪異じゃないか……!?



「臨界稼働っていうのは、反駁伝承ATリノヴェーションの出力制御を意図的に乱す、伝承師の奥義」



 出力制御を、意図的に乱す……?

 言葉の意図を正確に理解できない俺に補足するように、御巫はさらに話を続ける。



「出力制御を乱すことで、封入された『怪異』を暴走させるのさ。そしてその暴走を、改めて制御する。そうすることで本来はパワーが一定となる原則を無視して、通常時を遥かに超える出力を発揮することができるってワケ」



 正直、愕然とした。

 ……なんだそれ。そんなの、現実的に可能なのか!? 自分で起こした雪崩の上でスノーボードを駆るみたいなもんだぞ!?

 そんなものを、向こうは使っているっていうのか……!



「もちろん、リスクはあるよ。何だかんだ言って暴走だからね。何かしらの要素で制御が乱れれば自分が『怪異』に呑まれる可能性もある。加えて、一度使えば平常使用が可能な水準まで制御精度が戻るまで多少時間がかかるの。つまり、もう一度機能を使うまでインターバルが必要になるわけね。この辺りは個人差もあるけど、最低でも一分はかかるかなー」



 ガジン! ガジン! ガジン! と、『爆発反応装甲』の外で、伸びに伸びた『白の手』が互いにぶつかり折り重なって、一つの巨大な手を形成していく。……『爆発反応装甲』をぶち抜く一撃を形成しているのか。



「…………本来は飽和した『白の手』による空間全域の無条件ベクトル操作が強みだろうに。わざわざ一極集中させてるのは、わたしへのあてつけかね……」



 御巫は小声でつぶやいてから溜息を吐いて、



「流石にアレは、『爆発反応装甲』でも厳しいかな。爆発のベクトルとか操られそう。んー、しゃーないか。せっかくだし、友悟には見せておいてあげるよ。わたしの臨界稼働も」



 そう言って、御巫は両掌を胸の前で向かい合わせて、虚空を掴むような体勢をとる。

 ……御巫の臨界稼働。最強が持つ最強の一撃の予感に、背筋に冷たいものが走る。俺の戦慄をよそに、御巫が口を開いた。


 歌うように。

 謳うように。

 詠うように。


 御巫は、その言葉を口ずさむ。




「臨界稼働────『弔いの炎は都を焦がすぬえどりの』」

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