Thesis.9 考察と実践 ③

 その姿と言動を見た時点で、筒粥は日向が『口裂け女』を扱っていることを瞬時に見破った。

 『口裂け女』──話しかけた相手に狙いを定め、自らと同じように口を引き裂いて殺す『怪異』だ。



(口元の赤いマジックによる落書き……おそらく『自分と同じ傷を与える』っつー『口裂け女』の目的を妥協再現した結果か。そして部屋中に書かれた同じ赤いマジックは、『口』!)



 自らの『口の拡張』に利用した赤いマジックを使って描いた線を『口』と定義することによる、『口裂け女』の攻撃条件の設定。そこから導き出される日向の反駁伝承ATリノヴェーションの機能は──『赤いマジックで引いた線をなぞるように切り裂く能力』か。

 二〇代で反駁伝承ATリノヴェーションを体得してより一〇年の業界経験を誇るベテランの筒粥の脳裏に、一気にそこまでの想定が吐き出された。そして、その『赤いマジック』が部屋に侵入させた反駁伝承ATリノヴェーション光糸機織オプティカルウェブ』の真下に位置していることも、このタイミングで気付いた。

 赤いマジックをなぞるようにして壁を切り刻むハサミを見て、筒粥は瞬時に思考する。



(この奇襲タイミング、『ポマード』の連呼には時間が足りねェ! だが、攻撃対象が赤い線に限定されるなら脅威度はきィ!)



 事前準備というコストを支払うことで大きく利便性を上げた応用。それを、目の前の一〇代の少年が成し遂げたという事実に、筒粥は戦慄した。

 しかしプロである筒粥は目の前の存在の素質ポテンシャルではなく、あくまで現実になった結果を評価する。

 乳白色の蜘蛛が、赤い線から飛び退いた。

 こうすれば、赤い線を攻撃対象にして『ついでに「光糸機織オプティカルウェブ」を破壊する』攻撃も意味を成さない。



「涙ぐましい努力だな。勝ち筋を限定して一縷の望みにかけたようだが──」



 『無駄だったな、クソガキ』。

 そう、勝ち誇ったつもりだった。


 線にさえ注意しておけば、あとは詰将棋なのである。

 『光糸機織オプティカルウェブ』は大蜘蛛の幻覚にまつわる逸話を光学操作に再解釈した反駁伝承ATリノヴェーションだ。光を糸の形で扱い、織り込むことで光学欺瞞の『布』を作り出すことができる。しかしそれだけではなく、解除された光は束ねた方向に拡散する。これを利用することによる高出力のレーザーは、並みの伝承師では不可避である。

 『口裂け女』程度の不自由な反駁伝承ATリノヴェーションなど、敵ではない。経験から来る戦力判断から、筒粥は確信していた。


 しかし、イレギュラーは凡人では想定できない結果を生み出す。


 違和感の始点は、己の口から漏れ出た『こぽっ』という水の音だった。

 温かい何かが、右頬を伝っている。

 そして口から出したはずの言葉が、言葉になっていないことに気付いた。そのつもりで放った息が、想定外のどこかから漏れ出たかのような感覚だった。


 反射的に、右手が頬を抑える。

 ぴちゃりという音と共に、右手にが触れた。


 ──それが刃物によって引き裂かれた頬の先にある自分の歯の感触だったことに、筒粥は一瞬遅れて気付いた。



「お、おぉ、ォォおおおおおおおおおおおおおおッッ!?!?」



 あり得ないはずだった。

 確かに、『口裂け女』の本来の異能は『声をかけた人間の口を引き裂いて殺すこと』だ。筒粥は日向に声をかけられたし、順当に考えるならば筒粥が攻撃を受けるのはおかしなことではない。

 だが、日向の機能は『「口」として定義した赤い線をなぞる様に攻撃すること』のはず。でなければ、赤い線なんて最初から引く必要がない──。

 そこまで考えて、筒粥は気付いた。



「──テメェ、ブラフか!!」



 赤い線は、『「口裂け女」の異能を改造した』と思わせ、直接攻撃の可能性を思考の外に追い出すための引っかけブラフ

 その証拠に、筒粥の受けた負傷は本来の『口裂け女』のそれよりも一段劣る。赤い線を「口」と定義して攻撃対象を限定する調整をしていれば、人の頭蓋くらいは軽く両断できる破壊力になっていただろう。


 半端に裂けた口を抑え、筒粥は日向を睨む。ダメージを負って一瞬警戒に空白が生まれたその瞬間に、日向は既に駆け出していた。

 不意打ちによって筒粥がダメージを負った隙に、勝負を決めるつもりだろう。──だがそれは、あまりにも無謀だ。

 確かに、日向はブラフによって筒粥との読み合いに勝利した。だがそれは、『口裂け女』の威力を下げた結果得られた苦し紛れの勝利だ。現に筒粥は深手を負ったものの致命傷ではないし、二の矢に対応する余裕も持っている。



(残念だったなァ……。テメェの敗因はその『怪異』を武器に選んだことだ!!)


 痛みや怒りを冷静さに転換しながら、筒粥はあくまで笑う。



!!」


 おそらく、先ほど何かを握っていた左手に反駁伝承ATリノヴェーションの機体を握っていたのだろう。片手を不自由にするのも調整の一環なのかもしれない。

 だが、根本的に自身を『口裂け女』と同一視する構造ならば──その弱点も自分に降りかかって然るべきである。

 必然、『魔法の言葉セーフティロック』は日向の体の動きを拘束する。


 はずだった。


 ──筒粥の敗因は、想定の不足。

 彼は日向の手札が『口裂け女』の反駁伝承ATリノヴェーションのみだと思い込み、負け筋の計算をそこに限定してしまった。

 己の経験・思考の埒外に位置する『例外』の存在を無視して、目の前の違和感に気付くことができなかった。


 つまり。




   ◆ ◆ ◆




 日向友悟は、最初から『口裂け女』による敵の攻略など考えていなかった。


 というより、ブレインストーミングを経て、日向は『口裂け女』の真価に気付いていた。

 『口裂け女』の真価は、その異能にあるのではない。呼びかけた相手に攻撃対象を限定する性質も、相手を切り裂く攻撃も、キーワードで動きを止める弱点も、『口裂け女』という『怪異』を運用する上で重要なポイントではない。真に重要なポイントは──

 ──『攻略のしやすさ』だ。


 そもそも原典からして、『口裂け女』という『怪異』は攻略される運命にあった。

 こうすればやりすごせるだとか、こうすれば撃退できるだとか、こうすれば逃げられるだとか、『口裂け女』という都市伝説にはそんな諸説ありの『対策』が付いて回る。

 その為、原典を知る者が『口裂け女』と相対する場合、反射的に『対策』の方に意識が吸い寄せられてしまう。なまじからこそ、その解決方法に無意識に拘泥してしまうのだ。本当は、別の方法でもいいのに。

 日向はそのこそ、『口裂け女』の真の厄介さだと気付いていた。


 だから、『口裂け女』はあえて見せ札に留めた。


 『口裂け女』の出番は、初撃のみ。

 あえてほぼ改造していない劣化版の一撃で敵に手傷を負わせ、『「口裂け女」に対策しなくては』という意識を植え付けた後で──あえて、『口裂け女』を手放す。

 そうすれば、相手は意味のない『口裂け女』用の対抗策で一手を無駄にしてくれる。


 その一手分の空隙で──日向の持つ『異能』が相手の喉元に突き刺さる。



!!」



 魔法の言葉セーフティロックは機能しない。

 何故なら、その時点で既に日向は『口裂け女』が封入されていた核骨を手放しているから。現在の日向は、ただ口元を赤いマジックで伸ばしただけの平凡な少年でしかない。



「まったくヒヤヒヤさせてくれるよ、本当に」



 核骨を手放す直前、あえて真上に放らせておいたハサミを、日向は掴み取る。

 そして筒粥がそれ以上何かをする前に、『光糸機織オプティカルウェブ』の頭部に勢いよくハサミを突き立て、こう宣言した。



「『寝てろ』」



 ──宣言に、力が宿る。

 おそらくは人間一人など容易く蹴散らせる機動力の『光糸機織オプティカルウェブ』が、全ての命令を拒否してその場に臥した。



「ば、なァッ!? んだテメ、その機能は一体!?」


「機能じゃねぇよ」



 全ての戦力を一時的に喪失した筒粥の前で、日向はハサミを握った拳を引き絞る。

 戦闘の一切を反駁伝承ATリノヴェーションに任せていた筒粥は、生身の戦闘に移行したことに気付けず、両腕で防御を固めることさえ忘れていた。

 構わず、日向は行動した。



「クソったれの体質だ。羨ましいだろ」



 刃は突き立てなかった。

 代わりに全力で振り抜かれた拳が、半分裂けた筒粥の顔面に突き刺さった。




   ◆ ◆ ◆




「……んで、続けるか?」



 顔面にいいのをもらって昏倒したオッサンを横目に、俺は残り二人のオッサンに呼びかけた。


 …………………………マジで危なかった。ギリギリのところだった。

 虎の子の反駁伝承ATリノヴェーションを見せ札で終わらせるっていう時点で、もう瀬戸際なんだよ。保険ゼロの勝利だった。こっちの手札のうち何か一つでも読まれてたら、かなりマズイことになってたぞ。

 そもそも、これでオッサン二人が継戦姿勢をとってもそれはそれでマズイのだが……。



「ひ、ぃ。こ……この野郎……」



 二人のうち、年老いた方が呻くように呟いた。

 まるで噴火の前兆のように、老けたオッサンの呟きは徐々に大きくなっていく。



「この野郎!! 真っ先にダウンしやがって!!!! お前が負けたら全部終わりだろぉ!!!!」



 老けたオッサンはかんしゃくを起こしたようにそう叫んで、くるりと踵を返した。……あ、逃げるんだ。それならそれで有難い。敵の身柄確保はこちらの仕事じゃないし、逃げてくれるなら仕事が減る。

 そう呑気に考えていたら、



「はいどーん!」



 オッサンが踵を返して走り出した一歩目の段階で、廊下の窓から突入したアホのドロップキックが炸裂した。

 ドロップキックを食らった老けたオッサンは壁に叩きつけられ、そのまま活動を停止してしまう。



「ん、この人あれだね。ナオライの社長の直会雉仁だ。よーし確保確保。んでそっちの人は秘書かなんかかな? やるじゃん友悟。きっちりわたしが来る前に全部終わらせてるし。良い『考察と実践』だったよ」


「もっと早く来てくれればよかったんだがな」



 上機嫌で俺を褒める御巫に、俺は呆れながらツッコミを入れつつ、



「ところで、コイツらどうすんだよ」



 両手を挙げて降伏の意志を示している秘書らしき人を壁際に押しのけつつ、俺は御巫に問いかける。

 御巫はグーで乳白色の蜘蛛型反駁伝承ATリノヴェーションを粉砕しつつ(当たり前の様にやってるけどマジで何なのそれ?)、



「ん。さっき依頼主に連絡入れたからね。しばらくしたら現場に到着すると思うよ。来たら友悟にも紹介しよう」


「分かった」



 流石に投げっぱなしではないか。

 ちょっと安心して、俺は改めて御巫の目を見る。


 真面目な話だ。ちゃらんぽらんな御巫相手だが、譲ってはいけない一線というものが存在する。お互いに他人同士だからこそ、けじめというものはつけなくてはいけない。



「それじゃあ、約束の褒賞の話をしようか。言っておくがかなり薄氷の勝利だったからな。めちゃくちゃ保険が足りなかったからな。生半可なモンでお茶を濁したら流石の俺も本気で怒るぞ」


「高いお肉」


「………………」



 真面目なトーンの俺に、御巫は即答で返した。

 高いお肉。

 そのたった六文字を耳にして、俺は決断した。たった一日、だがそれでも濃密な経験の連続だったこの日の積み重ねを、俺は迷いなく評価する。



「一生ついていきやす、御巫サマ!!」


「友悟、敬語」


「これもダメなの???」



 ────そうして、俺の初めての伝承師戦は終わりを告げたのだった。

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