第十二話 蒼光の聖堂

 扉が完全に開いた瞬間、ナナミは思わず息を呑んだ。


 外の薄暗さからは想像もつかないほど、教会内部は幻想的な光に満ちていた。


 天井近く、岩盤に張りつくように存在する蒼光石――

 その淡い光が、壁一面に飾られたステンドグラスへと降り注いでいる。


 赤、青、緑、金……

 複雑な模様を織りなすガラス片が、蒼の光に照らされ、ゆらりと揺らめいた。


 その色彩は水に散った光の粒のように教会中を舞い、

 まるで海そのものが祈りを捧げているかのようだった。



「……きれい……」



 胸に抱えた金色の石をぎゅっと握りしめながら、ナナミは一歩、また一歩と進む。


 靴底が石床を踏むたび、小さく澄んだ音が響いた。


 教会の中央には、ぽつりと台座があり――

 その上には、両腕を広げた女神像が静かに佇んでいた。


 透明に近い白銀の石で作られたその姿は、光を受けて柔らかく輝き、見る者の心をそっと包み込むような温かさを帯びていた。


 ナナミは吸い寄せられるように女神像へ近づく。



 あと数歩というところで――



 ふ、と胸の内側に柔らかい波紋が広がった。


(……ようやく来たのですね)


「っ……え……?」


 耳から聞こえたのではない。

 言葉は、心の奥へ直接響いてきた。


 驚きに立ちすくむナナミへ、声はさらに穏やかに重ねられる。


(大丈夫。恐れる必要はありません。私はあなたを傷つけません)


「だ、誰……?」


(私はアストラル。

 この遺跡……いえ、“かつての都市”に存在した賢者の記憶です)


「記憶……?」


 ナナミが呟くと、女神像の胸元が淡く光り、ゆらりと輝きが広がった。


(あなたが望めば、この私は明確に応答できます。

 どうか、落ち着いて聞いてください)


 アストラルの声は静かで澄んでいた。

 しかしその芯には、長い時を越えた重さが宿っているように感じた。


「アストラル……さん。ここは……何なの?」


(ここはかつて地上に存在した蒼環文明――その末期に築かれた“終の聖堂”。

 あなた方の時代では……そうですね。“蒼落(そうらく)”と呼ばれている災厄の最後の避難地でした)


 ナナミは瞳を大きく見開いた。


「蒼落って……御伽噺じゃなかったの……?」


(御伽噺、ですか……。

 仕方ありません。世界が滅んでから千年も経っていますから)


 アストラルの声に、どこか寂しげな微笑みが混じった気がした。


(蒼落は実在しました。

 空が裂け、海が膨張し、大地が呑まれる――

 あの災厄が世界の九割の陸を奪い去ったのです)


 言葉の重さが、胸の奥にずしりとのしかかる。

 御伽噺だと誰もが思っていた出来事が、実際にあったなんて。


「じゃあ……ここはその……最後に残った場所?」


(はい。そして――)


 女神像の足元、台座の中心がかすかに光り始めた。

 まるで、ナナミの存在に反応するかのように。


(ここにはひとつ、特別な機能があります)


「機能……?」


(あなたが望むなら――

 あなたを浅海層――いまも人々が息づく〈人の棲む海〉へ送り届けることができます)


「……っ!」


 ナナミの胸が大きく揺れた。

 ずっと、出口の見えない深海の迷宮で彷徨っていた。

 何度も死にかけ、そしてルミナを喪った。


 その先に――出口がある。


 ひゅ、と息が漏れ、ナナミは胸に抱いた金色の石を見下ろす。

 石は光を失っているのに、それでもそこに“温度”を感じた。


(あなたはここまでよく来ました。

 ひとりで……いえ、ひとりではありませんね)


 アストラルの声が、ナナミの腕の中の石へ向けられた。


(あなたを守り、導いた小さな光。

 私は……その存在に敬意を抱きます)


「……ルミナ……」


 言葉を口にした瞬間、視界がぼやけた。

 今度こそ溢れる涙を止められなかった。


「ここから……帰れるの……? 本当に……?」


(はい。あなたはもう、生きて帰れるのです)


 声は優しかった。

 けれどその優しさが、ナナミをますます泣かせた。


 出口がある。

 助かる方法がある。

 ルミナは――その未来を残してくれたのだ。


 膝が崩れ、ナナミは女神像の前に座り込んだ。


「ルミナ……ありがとう……

 あなたが……ここまで連れてきてくれたんだね……」


 金色の石を抱え、声を震わせながら、ナナミは泣き続けた。

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