何時か世界にキミの物語を。──主人公になれなかった俺と、“主人公くん”を強制する少女の話
阿部れーじ
プロローグ 主人公症候群患者
「――の主人公になってよ」
綺麗な声だと思った。
唐突にかけられたセリフに思考が止まったせいでそれ以上の感想は出てこない。
声の主は至って真剣そのもので、少し怖いくらいに俺の目を真っ直ぐと見つめてくる。
愉快気に細められた瞳に映っているのは自分じゃないのではないか、そんな錯覚を覚えながら彼女に視線を向けた。
長いまつ毛に彩られた綺麗な瞳、形の良い鼻とつやのある唇。それらのパーツが小さな顔に綺麗におさまっている。
両サイドで結ばれた長い黒髪は結びなれていないのか、よく見ると少しだけ左右で結び目の高さが違っているのにそれすらも彼女の魅力なのかもと思えてしまうのが不思議だった。
彼女の口にした言葉は俺がずっと求めてきたセリフに違いない。違いなかったのだが。
なんと答えたものか。
この状況にいてもやけに頭が冴えていて冷静なのは、目覚めてから止まない微かな頭痛のせいか店内を満たす静寂とコーヒーの香りのせいか。
どうやら俺は三十分前にここに拉致されてきたらしい。
その事実に頭を抱えることすらできず、自分の人生を巻き戻すように考える。
始めから語るなら冗長気味な俺のモノローグからになるだろうか。
――――――
高校の入学から数えて二度目の四月の初週。
つまり春だ。春が来た。
昨年よりもはるかに辛く感じた冬の寒さがまだ記憶に新しいが、ようやく俺にも春が訪れようとしていた。
どのニュース番組でも例年以上だの、何年に一度の寒波だのと、去年も一昨年も聞いたようなことを語るキャスター達を見て、これまた例年通りに多少の疑心暗鬼に落ちいっていた俺にようやく春が来たのだ。
もう桜の花弁は残っていないし、入学式も卒業式も当事者では無かった俺が春に乗り遅れた感は否めないが、人生の春、つまりは物語でいう所のプロローグとか第一話とかそういうのに期待を抱きつつも僅かに勝る憂鬱さに思わず溜息をこぼす。
その憂鬱さのうち軽く見積もっても三割は目の前にそびえるように続く長い登り坂に原因があったのだが、今日の分はもうすぐ解消される。
背中にわずかに感じる汗の気配はこの暖かさのせいか、やけに長ったらしく眼前に続く登り坂のせいか。
恐らく両方だと勝手に結論を出し、坂を進んでいく。
理由はもちろん高校へ向かうためである。
比較的緩やかな坂を通る別の通学路もあるにはあるのだが、今歩いているこの道よりも遠回りになるそちらを選択するならばもう十分、いや二十分は早起きをしなければならず、時間ギリギリに登校している現状から鑑みるにそんなことは到底不可能なわけで、つまるところやはり選択肢などこの坂を通る以外には存在していなかった。
体に熱が籠るのを感じているとようやく頂上へと辿り着き、ジワリと浮かんだ額の汗を拭う。
やはりというべきか、物語は始まらない。
そしてそれが意味する所は風見晴人が主人公では無いという事だった。
十七年の人生の中で特筆すべき悲劇も喜劇も無く、挙句逃避先でさえも停滞している始末。
どうしようも無い程モブな俺を主人公に据えた物語はどんな天才作家にさえきっと書けやしないだろう。無理矢理物語として書き起こしたとして、そもそもそんな物語は誰も読みたがらないだろうし面白みに欠けるからこちらから遠慮したい。
俺が憧れた物語といえば、
世界の命運を一身に背負って奔走したり。
妹の人生相談に乗って奔走したり。
友の抱える問題を解決するために奔走したり……。
あれ?なんかやけに駆け回っていないか? と、言葉だけで突っ込んでしまうと滑稽にも聞こえてしまうだろうが、それでも憧れ、焦がれていたのだから、彼ら彼女らのそれは、かっこよくて胸が熱くなって思わず感動してしまうような、そんな奔走である。
俺は、或いは異世界転生がしたい。
異世界にわたり、女神様からもらったチート能力とか努力の末に強くなって誰かを救うとか。そういう飽和するほど存在するテンプレートと呼ばれるような異世界ものの物語もまた俺の憧れの対象だった。
中学の頃に患った厨二病もいつまでも完治しないまま、今も変な妄想ばかりしているせいか自分が特別である可能性を捨てきれていない。
とまあ、ここまで色々と長ったらしく語ったが俺が言いたいことは一つだ。
わかるだろう?
わかってくれるよな?
ここまで語ったんだ。神様が返事をくれることを祈りつつ、さらに欲を張ってそれが優しく肯定的なものであってほしいという願いも込めて言葉にする。
俺は主人公になりたかったのだ。
物語は何でもいい。ラブコメでもファンタジーでもサスペンスでも。
まあでも、何であっても今の日常よりは数倍楽しいに違いない。
こちらから何か行動を起こすわけでもないし、何処までも受動的な願望ではあるのだがそれでもいつか俺を主人公に変えてくれる存在が現れてくれるはずだ。
そう、いつか読んだライトノベルではそうだったじゃないか。
人間に化けながら、人の記憶を改竄して、あるいは堂々と。
デュラハン、妖刀使いに吸血鬼。電撃使いの女子中学生や忍者の末裔。特徴が無いことが特徴のヒロインに空から降ってきた記憶喪失の少女だって。
この世界のどこかで俺以外の主人公と物語を進める非日常達と俺も物語を始めてみたかった。
ほかに語るならば、目の前の曲がり角から美少女が食パンを咥えて飛び出してきたり。坂の上からベレー帽が風に煽られて頭上を飛んで行ったり。
そんなライトノベルの、物語的にはありふれた些細なラブコメの出会いの一幕でさえ良かった。
『宇宙人や未来人、以下略。』
的な存在もきっといる。いるに決まっている。
ファンタジーからラブコメまでおおよそこの世に存在するほぼ全ての非日常が実は自分の近くにも存在しているに違いない。
そしてなぜか俺は非日常的存在と出会って色々厄介なことに巻き込まれていくのだ。
なんせこの時期は多くの物語がプロローグから第一話を始めるのだからそれが俺にも訪れたっておかしくはない。
そう信じたいのだけど、もしかしたらもしかすると、まだ可能性の話であって確定事項では無いのだが。
どうやら俺は主人公ではないのかもしれない。
超常の物語への希望は過ぎ去る時間の中でことごとく否定されていったし。
科学や歴史や数学が、俺の妄想を全否定するように淡々と事実を語っていく。
世界が中二病患者に厳しい法則で成り立っている事に感心しつつも、いつも夢想してしまうのはまだ俺が大人になれていないからか。
ライトノベルを人生の教科書とあがめるのは卒業したし、ダース単位で抱えていた夢の多くも現実的に捨てて来たというのに。
俺はまだ自分が物語の主人公である可能性だけ捨てきれずにいた。
きっと世界は俺のあずかり知らぬところで今日も愉快に回ってるに違いないのだ。それに遭遇することを夢見るくらいいいだろう。
だからまあ、ほぼ無意識に曲がり角の前では足を速めてしまうし、下り坂の中腹程では物語の始まりを夢見ていつも足をとめてしまう。
今日も曲がり角を曲がってみるくらいはするか────そんなふうに考えていた、ほんの数秒前のことだ。
まさか誰かとぶつかるなんて思いもしなかった。今までがそうだったように、空振るつもりで足を進めた。
ほんの少しだけの希望と、あるわけは無いという諦観を持ってすぐ目の前の曲がり角を曲がった。
踏み出した足の先で、影が揺れる。
軽い衝撃に身構え、襲ってきた衝撃に思わず腕を伸ばしてしまった。
その日、俺は
これはきっと運命ではない。世界がようやく重い筆を手にしたのだ。
俺の妄想は『世界』に否定された。「主人公になって」と頼まれたその瞬間から──俺の人生は、ようやく物語への変換を遂げることになる。
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