第8話

過労死寸前の不死鳥を癒やせ

 その日の『コンビニ・天魔窟店』は、嵐の前の静けさに包まれていた。

 魔王ラスティアや竜王デュークといった超弩級の常連客が来ない日は、店は平和そのものだ。

 店長のカズヤは、新入荷した『ガリガリ君』を冷凍庫に詰めながら、ポーンと雑談をしていた。

「しかし、最近の客層は濃すぎるな。たまには普通のお姉さんとか来ないかな」

「マスター。この階層に来られる『普通のお姉さん』はいません。来るとしても、ゴリラかキメラです」

 ポーンの辛辣なツッコミが入った、その時だった。

 ウィィィン……と、自動ドアが弱々しく開いた。

「いらっしゃいませー」

 カズヤが条件反射で声を上げる。

 だが、入ってきた客の姿を見て、彼の営業スマイルが凍りついた。

「……あ……うぅ……」

 現れたのは、この世のものとは思えない美女だった。

 燃えるような赤髪、透き通るような白磁の肌、豪奢なドレス。

 しかし、その顔色は死人のように青白く、目の下には深いクマが刻まれている。

 足取りは幽霊のようにふらつき、今にも魂が抜け出そうだ。

 彼女は店内に入ると、商品を眺めることもなく、栄養ドリンクの棚の前までよろよろと歩き――。

 ドサッ。

 そのまま、糸が切れたように床に倒れ込んだ。

「お客様ーーーッ!?」

 カズヤがカウンターを飛び越えて駆け寄る。

 抱き起こした体は熱い。発熱か? いや、生命力そのものが暴走しつつも枯渇しているような、矛盾した状態だ。

 彼女の唇が、うわ言のように震える。

「……つかれた……もう、むり……やすみ、たい……」

 それは、現代日本でもよく聞く、ブラック企業の社畜の悲鳴だった。

 カズヤの『世話焼きスイッチ』がカチリと入る。

 これは病気ではない。極度の疲労とストレス、そして低血糖だ。

「ポーン! 『ロイヤルゼリー配合・最強ドリンクZ(三千円)』を持ってこい! あと『高級チョコ』だ!」

「イエス、マスター!」

 カズヤは彼女の上体を起こすと、ポーンが持ってきた黄金色の小瓶の蓋を開けた。

 滋養強壮、肉体疲労時の栄養補給。一本で定食三回分の値段がする、コンビニ最強の回復アイテムだ。

「お客様、飲めますか? 少しずつでいいんで!」

 美女――調停者・不死鳥フレアは、カズヤに支えられながら、震える手で瓶を口に運んだ。

 濃厚な液体が、荒れた喉を潤す。

 カフェインとタウリン、そしてロイヤルゼリーの爆発的なエネルギーが、彼女の消えかけた炎(生命力)に薪をくべる。

「ん……くぅ……」

「これも食べてください。糖分が必要です」

 続いて口に放り込まれたのは、カカオ成分高めの高級チョコレート。

 脳に直撃する甘みが、ショート寸前だった思考回路を強制再起動させる。

 フレアの瞳に、少しだけ光が戻った。

「……私、は……」

「目が覚めましたか? バックヤード(スタッフルーム)へ運びます。ここは騒がしいですから」

 カズヤは彼女を背負うと、店の奥にある休憩室へと運んだ。

 そこには、カズヤが自分用に通販で買った『人をダメにするソファ』と『最高級羽毛布団』が完備されている。

「少し眠ってください。誰にも邪魔はさせませんから」

「……誰にも?」

「ええ。たとえ魔王が来ても、竜王が来ても、今は貴方の休息が最優先です」

 カズヤは温かいアイマスク(蒸気でホットなやつ)を彼女の目に優しく被せた。

 その言葉と温もりに、フレアの張り詰めていた糸が完全に切れた。

(……ああ。なんて、暖かいのかしら……)

 彼女は不死鳥。死んでも蘇るがゆえに、誰も彼女の「死」や「疲れ」を心配しなかった。

 ルチアナは仕事を丸投げし、デュークはラーメンを作り、フェンリルは暴れ回る。

 数千年間、たった一人で世界の均衡を支え続けてきた彼女に、「休んでいい」と言ってくれた者は誰もいなかったのだ。

 彼女は深い、泥のような眠りに落ちていった。

 ***

 数時間後。

 フレアが目を覚ますと、体の重さが嘘のように消えていた。

 アイマスクを外すと、サイドテーブルには温かいハーブティーと、一枚のメモが置かれていた。

『起きたら飲んでください。リラックス効果があります。店長』

「……バカね。私は不死鳥よ? こんな人間の飲み物で……」

 フレアは悪態をつきながらも、ティーを口に含んだ。

 優しい香りが鼻腔をくすぐる。

 気がつけば、彼女の目から一筋の涙が溢れていた。

「……美味しいじゃない」

 彼女は身支度を整え(崩れていたメイクも、カズヤが置いておいたアメニティで完璧に直した)、店へと戻った。

 そこでは、カズヤがいつものようにレジに立っていた。

「あ、おはようございます。顔色、良くなりましたね」

「……ええ。おかげさまでね」

 フレアはカウンターに、通貨代わりの『鳳凰の尾羽(換金すれば城が建つ)』を置いた。

「これは代金と、お礼よ。……勘違いしないで頂戴。私はただ、ここのソファの寝心地を再確認しに来ただけだから」

「はいはい。いつでもどうぞ。うちは24時間営業ですから」

 カズヤの屈託のない笑顔に、フレアは少しだけ頬を赤らめた。

 彼女の中で、カズヤの評価が『ただの人間』から『癒やしの天使(マイ・サンクチュアリ)』へと爆上がりした瞬間だった。

「また来るわ。……次は、もっと甘いお菓子を用意しておきなさい」

 フレアはツンとした態度で店を出て行ったが、その背中から溢れ出る炎は、来た時とは比べ物にならないほど美しく、力強く輝いていた。

『ピロリン♪』

『善行を確認。対象:不死鳥フレア』

『評価:世界の管理者(ブラック労働)の精神崩壊を阻止』

『獲得善行ポイント:300,000P』

「……30万ポイント!? あの人、どれだけ重要なポストに就いてたんだよ」

 カズヤは驚愕したが、ポーンは冷静に分析した。

「マスター。彼女の過労死は、即ち世界大戦の勃発を意味していました。マスターは今、カップ麺とお昼寝で世界を救ったのです」

「……スケールがでかすぎて実感が湧かないな」

 こうして、魔王、竜王に続き、不死鳥までもがカズヤの掌(コンビニ)の上で転がされることとなった。

 だが、安息の日々は続かない。

 最強の3柱のうち、最も厄介な『暴れん坊』が、この店の噂を聞きつけていないはずがなかったのだ。

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