優しげな瞳(原題:A dog's life)
バーニーマユミ
第1話
サントラストのメインストリート、カヴァナント通りを東にひた進むと、やがてうらびれた町に行き着く。昼間でも薄暗くて、湿っぽくて、野良犬がうろついている、レディのひとり歩きには向いていない町だ。
コルトレッドタウンで丸腰は、あまりお勧めではない。今すれ違ったヤツが、札つきではないとは限らない。武装していないとは限らない。やみくもに、あんたの命を狙っていないとも限らない。
この町じゃ当たり前はないし、ルールなんてものは誰かの靴裏で潰されてる。
おれはコルトレッドタウンの外れ、あるビルで暮らしている。家賃は驚くぐらい安い。セキュリティも驚くぐらい脆弱だ。屋根があるだけの、無法地帯。
もう忘れたぐらい昔、おれは軍隊にいて、それからある人の、運転手でありボディガードをしていた。しかしおれは札つきにはならずとも、全てを取り上げられた。息を潜めなくてはならなくなった。
おれはこの町で仕事を探している。野良犬みたいな目をして。
8月のコルトレッドは、太陽のキスを浴びすぎて外壁なんぞは触れないぐらいに、熱い。からからに乾いた空気は喉の奥が火傷しそうだ。だからこの辺りのヤツは、日中はあまり出歩かない。誰だって同じだ。鉄板の上は歩きたくはない。
5階建てのおんぼろ、1階の出入り口のすぐ隣がおれの借りている部屋になる。厳密に言えば、不動産屋には無断で居着いているのだから、借りているとは言えないもしれない。しかし、出ていけ、と言われればすぐにそうするつもりではある。
今にも崩れそうな、ガスも電気も、水道も止まったままのおんぼろは、おれの他にも数人、居着いているらしいが、気配を知るぐらいで顔を合わせたためしはない。お互いに干渉しない。月初、家賃の集金に来るヤツも、金さえ払えば何をしていようが、何も言って来なかった。下の階で死体が出ようが、撃ち合いがあろうが、何があろうが、金さえ払えれば問題ない。この町の、暗黙のルールのひとつかもしれない。
ある昼、おれは腹をきめて外に出ることにした。いつまでも寝ていては仕事にはありつけない。町に出れば少しは仕事もあるかもしれない。一時金だの、なんだの、蓄えもどきはもうほとんどない。日々のつまらない生活に、泡のように消えてしまった。誰もおれを知らない町で静かに死ぬのも、そりゃありなのかもしれないが、あいにくおれは、そこまで人生に悲観しちゃいない。無気力でもない。追い詰められるとハングリーになれるらしい。たまにそう思えるときがある。
ポケットの中の小銭を確かめた。近くのダイナーでとりあえず飯は食えそうだ。おれはこの町によく馴染んだダイナーに足を向けた。
ふてくされたティーンエイジャーみたいに、まともに点かない電飾を纏った、色褪せた看板。泥水みたいなブレンドコーヒーと、しおしおのレタスに、着飾ったハムのサンドイッチがウリらしい。食えなくはない。とびっきり美味いわけでもないが、今のおれにはちょうどいい。
「あら、いらっしゃい。調子はいかが?」
ふっくらとしたレディは機嫌良さそうに、カウンターの中でひらひらとステップを踏んでいた。
「まあまあさ。ジェリーも元気そうだね。コーヒーと、バーボンをもらえるかな。あとサンドイッチ」
「オッケー、サンドイッチはハムでいいわね?」
相槌のように特大のウインクが返ってきた。赤毛のレディだけはこの辺りの雰囲気とは違って、活気があっていつも楽しそうに見える。
「ああ、よろしく頼むよ」
「ところでジョン、昨日のニュース、見た?」
「何かあったのか?」
「この町でも出たみたい。中毒でおかしくなった若い子が。ちょっと前にウワサになってたでしょ、新しいドラッグよ。えーっと、名前はなんて言ってたかなぁ、D…」
「ああ、うん、なんかあったな」
数ヶ月前から世間を賑わせているドラッグがある。青っぽい錠剤が主流らしく、飲むと深い睡眠から目覚めたような、すっきり感や、一定量を超えると、雲の上に浮かんでいるようなとろんとした夢心地を味わえるらしい。錠剤を砕いたとしても、ほんのりしょっぱいぐらいで何かに混ぜたとしても分かりづらいらしい。難しいことは分からないが、一般には、Dead Sleep Drug(DSD)と名付けられたそれは、安価に、比較的簡単に入手できるらしい。ーーあくまでも、ウワサだが。
「あなたも気をつけなさいよ。変なもん、摑まされたらダメよ」
「もうそんな歳じゃないよ、大丈夫だよ」
「んまぁ、もう、素直に分かりました、って言えばかわいいのに」
「おあいにくさまだね」
バーボンの琥珀をコーヒーの漆黒で打ち消すように、思い出しそうになった記憶を飲み込んだ。
あれからどれぐらい経つか分からないし、いちからじゅうまで、どうなっているか分からない。おれは知りたくはない。
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