ツンデレ女子とクーデレ女子が深夜に国道沿いで駄弁る話

剃り残し@コミカライズ開始

第1話

 深夜二時。国道一六号線は、巨大な鉄の塊が死に損ないの獣みたいな声を上げて走り回る場所だ。


 大型トラックがアスファルトを削る走行音。ブレーキの軋み。湾岸道路からの走り屋のエンジン音。


 そんな音を聞くために、アタシは自宅でヒールを脱ぎ捨てた。


 死んだ魚の目をしていた会社員の皮を剥ぐ儀式だ。断線してしまったストッキングを破り捨て、厚底のラバーソールに足を突っ込む。


 首元には社章の代わりに、銀色の棘がついたチョーカーを巻き付ける。鏡の中のアタシが、ようやく息を吹き返す。黒髪の姫カットが揺れ、睨みつけるような三白眼が戻ってくる。


 これでいい。


 この世界の大半はクソだけど、この格好をしている時だけは、アタシもそのクソから脱出できる気がする。


 途中で立ち寄ったコンビニのビニール袋を提げて、国道の側道を歩く。


 深夜で既に営業していないスーパーの扉が開いている。何かと思えば、朝からの営業に備えて品物を運び入れているようだった。


 そんなことを考えながら歩いていると、アタシたちの聖域に到着。少し前に潰れたリサイクルタイヤショップ。そのシャッターの前に無造作に積み上げられた、巨大な古タイヤの山だ。


 いや……半年前か。『彼女』とここに集まるようになった直後に潰れたんだった。だから半年前だ。


「……おそーい」


 タイヤの上にのっかっているボロ布の塊が、アタシの顔を見るなり平坦な声で言った。


 正確には何枚もの古着をミルフィーユみたいに重ね着した女、野々宮ののみやだ。彼女はゴムタイヤの塊の上で膝を抱え、捨てられた猫みたいに小さくなっている。


 彼女とは、半年前に駅前で弾き語り中に厄介なおじさんに絡まれているところを助けて以来の付き合いだ。


 社会の歯車になったアタシと違って、彼女は夢を追いかけている。ターミナル駅に行けば毎晩いる、売れないシンガーソングライターっていうやつだ。


「……到着予定から2時間も遅刻してる。木島きじまの時計は故障してるの?」


「うっせ。残業だよ。課長の話が読経みたいに長かったんだよな。般若心経のVol3まで行く勢いだったぞ」


 アタシは悪態をつきながら、タイヤの一つに腰掛ける。野々宮の隣、いつもの定位置に腰を下ろす。ゴムの弾力が尻に伝わる。ひんやりとしていて、硬い。


「ふふっ。般若心経が何巻まで出てるか知らないし、ボルって言い方……ふふっ」


 アタシのジョークでひとしきり笑った野々宮が無言で鼻をひくひくさせて、アタシの革ジャンの匂いを嗅いでくる。


「っ!? おい、近えよ! 匂い嗅ぐな変態!」


「木島、臭い」


「あ? 喧嘩売ってんのか?」


「違う。サラリーマンの匂いがする。疲労と、諦めと、安い缶コーヒーの匂い……あと、ちょっとだけ木島の匂い。気持ちが安らぐんだよね、この匂い」


 野々宮は表情一つ変えずに淡々と言う。こいつはいつもそうだ。言葉よりも先に、五感で世界を測っている。


「最後のは余計だよ。単に職場のおじさんの臭いがしみついてるだけだよ。タンスの防虫剤みたいな臭いってばあさん家みたいで落ち着くだろ? ってかさ聞いてくれよ。今年で部署のメンバーの平均年齢が1つ上がって50だとさ」


「良かったね。全員、無事にハッピーバースデーできたんだ」


「そういうことじゃねぇよ……だーれも人の入れ替えがなかったってこと。流れのない水たまりと同じだよ。どんどん濁って、細菌も繁殖して、腐っていく」


「そこに投入された塩素系消毒剤が木島」


「誰が塩素系消毒剤だよ! アタシは塩素のにおいが嫌いなの! それに、アンタこそカビ臭いんだよ。その古着ちゃんと洗ってんのか?」


「洗ってる。野々宮は清潔なホームレスだから」


 野々宮は真顔でそう言うけれど、もちろん本当にホームレスだとは思っていない。


 いつも隣に座ると甘い良いにおいがするし、ウェーブのかかった髪も洗っていないのではなく、あえての無造作ヘアというやつだと分かるからだ。


 野々宮はフードを目深に被り直して、タイヤの溝を指でなぞった。


「ねえ木島。ここはタイヤの墓場だね」


「……そうだなぁ」


「あるいは、前世で大罪を犯したドーナツの成れの果て」


「ドーナツがどんな罪を犯せば、こんなゴム臭い塊に転生するんだよ」


「ゼロカロリー理論なんて意味不明な謬説を広めた罪。私、あれを信じて2キロ太った」


「あんなのガチで信じるやつ他にいねぇよ……」


 野々宮は真顔で、どうでもいいことを言う。アタシは鼻で笑って、コンビニの袋から缶チューハイを取り出し、プルタブを引いた。


 プシュ、という炭酸の音はすぐにトラックの走行音にかき消される。


「ね、木島。地獄があるとしたら、きっとこんな匂いがするんだろうね」


「地獄にタイヤはないだろ。あるとしたら、終わらない会議と、ぬるいビールだよ」


「……それも嫌」


 野々宮はアタシの手から無言で缶チューハイを奪い取り、一口だけ啜った。そして無表情のまま顔をしかめる。


「うぇー、不味い。洗剤の味がする」


「文句言うなら飲むなよ! 間接……いやなんでもない! アルコール度数9パーセントだぞ。味なんて二の次だ」


「野々宮は、もっと甘いのがいい。イチゴミルクとか」


「そんなもん飲んでたら、歯が溶けて脳みそまでピンク色になるぞ」


「それってエロいことばっか考えてるってこと? なら既にピンク色かも。木島を脳内で脱がせてるし」


「っ、お前なぁ! 真顔でそういうこと言うな!」


 野々宮が表情を崩さずにじっとアタシを見てくる。からかわれているのか、本気で言っているのか分からないのが一番タチが悪い。


 アタシは野々宮からもう一度缶を奪い返し、顔が熱くなるのをごまかすように喉に流し込む。


 野々宮はアタシの横顔をじっと見つめている。視線が物理的な重さを持っているみたいに、じっとりと絡みつく。


 彼女と出会ったのは半年前。近くにある駅前の広場で弾き語りをしていた彼女が酔っ払ったオヤジに絡まれていたのを助けた。


 最前列でストーカーまがいの付きまといをするオヤジに、アタシがラバーソールの裏を見せつけて追い払ったのだ。


 それ以来、彼女はアタシに懐いている。『野々宮』と名乗ったのでそう呼んでいるけれど、それ以外は下の名前も連絡先も知らない。ただ、この場所に来れば彼女がいる。


「ほら、餌」


 アタシはぶっきらぼうにビニール袋から、おでんの容器を取り出した。プラスチックの蓋を開けると、湯気と共にカツオ出汁の匂いが広がる。


 ちなみにこの『おやつ』係は交互に担当し、選ぶものはその人のセンスに任される制度だ。


「ああ……チッ。店員が箸を入れ忘れたな。一つしか入ってない」


「一膳」


「うるせーな。助数詞警察か、お前は」


「や、これは義務教育の範囲。でも、面白いね」


「何が?」


「箸は一本、二本って数えるのに、ペアにして数えることもある。人間もそう。一人、二人……だけどカップルやペアは二人で1つ。一組で2人、二組で4人。面白いね」


「アタシ達は別にカップルじゃねーからな」


「知ってるよ。ね、箸が一膳しかないなら食べさせて」


「はぁ!? なんでだよ! 手ぇあるだろ? 交互に使えばいいだろ」


「寒いから。ポケットから出したくない」


 野々宮はそう言うと、当然のように小さく口を開けて待機した。完全に親鳥を待つ雛のスタンスだ。


「はぁ……今回だけだからな。調子乗んなよ」


 アタシは割り箸を割り、大根を二つに割った。中まで完璧に汁が染み込んでいる。もはや大根としてのアイデンティティを喪失し、ただの出汁の塊と化している。


「ほらよ」


 箸で突き刺した半分を差し出すと、野々宮はパクりと無造作に齧り付いた。


「……ちょっとしょっぱい」


「マジかよ。文句多いな……でも、コンビニおでんなんて、どこでも同じ味じゃないのか?」


「マニュアルはあるけど。作るのは人だから、最後は人。私、昔コンビニでバイトしてるときに適当に作ってたらグーグルマップのレビューに『ここのおでんはしょっぱい』って書かれたことある」


「お前なぁ……」


 野々宮は淡々と昔話をしつつ、口の端を汁で汚しながらもぐもぐと咀嚼する。


 その顔を見て、アタシは少しだけ安堵する。


 こいつはいつも、今にも消えてしまいそうな顔をしている。


 栄養失調の野良猫みたいに、毛並みが悪くて、震えていて、誰かに守ってもらわないと次の冬を越せそうにない。


 自分のことを、弾き語りをしても集まるのはおじさんばかりというどのターミナル駅にも二、三人はいる売れないミュージシャンだと言っていた。


 よくギターケースを抱えているくせに、一度も弾いているところを見たことがない。きっと、才能がないことに絶望して、ここへ逃げてきているんだろう。


 アタシと同じだ。社会に適合できなくて、はみ出して、こんな掃き溜めで息継ぎをしている。


「……ね、木島」


 大根を飲み込んだ野々宮が、アタシの袖をぎゅっと掴んだ。


「なんだよ」


「色んなものには『致死量』って概念があるよね」


「あるな。コーヒーを一気に百杯飲んだら死ぬらしいぞ」


「ん。そうそう。もし、この大根が致死量を超えてたら、野々宮死んじゃうのかな」


「大根の致死量がおでん一切れサイズだったなら死ぬかもな」


「じゃ、木島も食べて。半分こしたんだから、死ぬときは道連れ」


 野々宮は残りの半分を指差し、ふにゃりと笑った。


 その言葉があまりに自然で、まるでプロポーズみたいに聞こえて、アタシの心臓が跳ねる。


「ばっ、馬鹿野郎! 縁起でもねえこと言うな!」


 アタシは顔を背け、溜息をついて残りの大根を口に放り込んだ。舌が痺れるほど塩辛くて、涙が出るほど温い。


「……っつかさぁ、野々宮ぁ」


「何」


「なんでアタシは死ぬときに下の名前も知らないやつと一緒じゃないといけないんだよ。閻魔大王になんて言えばいいんだ? 『こいつの名前はなんだー?』って聞かれて答えられなくて舌を引っこ抜かれたらどうすんだよ」


「……ふふっ。その服装してる人が閻魔大王にビビっちゃダメ」


 野々宮は小さく肩を揺らして笑いながら、アタシを指さす。


「論点ずらすなよ!?」


「……その服装してる人が『論点』なんて頭の良さそうなワード使っちゃダメ」


「お前なぁ!」


 アタシは照れ隠しに野々宮の首に腕を回して捕まえ、頭をこねくり回す。


「むぐ……」


 野々宮は抵抗もせず、されるがままになって目を細めた。


 その小さな声も目の前をビュンビュンと通過するトラック音にかき消される。世界中がアタシたちを無視して、ものすごいスピードで通り過ぎていくようだ。


 でも、ここだけは時間が止まっている。タイヤのゴムの匂いと、不味い酒と、致死量には至らない大根。


 それと、アタシはこっそり、致死量に至りそうな程、可愛らしい笑顔を時折見せる野々宮成分を摂取していた。

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