呪われ王子と金次第聖女

@maru0803

第1話 開幕

桟橋から一歩を踏み出して、砂浜を踏むとライアス王国の砂浜よりもサラサラしている気がした。砂埃を避けるためと、人目を避けるためにすっぽりと被ったマントは私のことを得体の知れない旅人として周囲に見せてくれているはずだ。


どうしようかな、と迷ってからつま先で砂浜の上に線を引いてみる。やっと自由の身になれたと言うのに、あまり開放感がないのは、これからのことを考えてしまっているからだろう。


つま先で引いた線をまたつま先で擦って消していく。そうしているとお腹が鳴った。船旅中は船酔いして吐きたくなかったからあまりご飯は食べなかった。


とりあえずご飯を食べよう、と視線を上げると、すぐ近くに食堂の看板が立っているのに気がついた。船旅から解放された旅人や商人たちが使う食堂なのだろう。そこで食事を摂ることに決めて、人とすれ違いながらその食堂に近づいていく。


近くまで来てみると意外と大きいことに気づいた。港側からは見えなくなっていたが、町側に向かって店が伸びている。木の扉を押し開けるとすぐに店員が声をかけてくれる。


「いらっしゃい、好きな席へどうぞ」


店の中は商人や旅人でごった返していた。船で働いている人も混じっているのだろう。各々が好きに食事をとり、好きに喋っている。


木の扉から新しい客が入ってきても誰も気にしない。それにありがたいことだと思って、窓際の席に座った。メニューと水が運ばれてきて、とりあえず食べやすそうな野菜のスープを注文する。


メニューを閉じて息を吐く。すっぽり被っているマントを外そうとして止まる。やっぱり脱ぐのはやめておこう。そう思って腕を下げた途端、木の扉が壊れるのではないかという強さで開かれて、騒がしかった食堂内がしん、となった。


「おい、誰か医者はいないか!!!」

「どうしたんです」

「我が国の王太子殿下が倒れられた。誰か医者を!!早く!!」


思わずマントで顔を隠してしまう。どうしてこんな時にここに立ち会ってしまったのだろう。


あれが王太子殿下か、と見てしまう。抱えられて入ってきた王太子殿下は明らかにぐったりとしていて意識がないように見えた。食堂の主人らしき人物が奥から出てきて、こちらへ、と誘導する。抱えていた人間がそのままその部屋の中へ引っ込むと、食堂にはまたざわめきが戻ってきた。


呼ばれてやってきたのだろう医者が慌てた様子で部屋の中に入っていく。それを見送っていると、隣のテーブルの少年が俺も今日怪我したんだ、と母親に腕を見せているのが見えた。


「あんた。これ痛いでしょう。積み荷を下ろしているときに怪我したの?」

「そう。でも舐めときゃ治るよ。医者は高いからさ」

「これは大きな怪我じゃないか」

「大丈夫だって」


気になってこっそりと覗くと、少年の腕には血が固まったような跡があった。流石に痛いだろうと思っていると、少年は気にしなくていいよ、と言って隠してしまう。


テーブルには一番安いスープとプーミが置かれている。それを二人で分け合って食べているのだろう。母のことを急に思い出して首を振る。私が国を追放された時に、母のことは弟に頼んできた。だから大丈夫なはずだ、と思うのに心配になってしまう。


「医者に診てもらおう。お金はあるから」

「ダメだよ。母さんだって咳がこないだから止まってないのに。俺は大丈夫」


確かに母親も咳き込んでいる。そこにやっとスープを持ってきてくれた。食べよう、とスプーンを手に取ってから、運んできた店員がすぐに下がらないことに気づいた。


店員を見上げると心配そうに先ほどのぐったりした人物が運ばれていった部屋の方向を見ている。


「どうかしたんですか」

「ああ、あんた旅の人かい?」

「今日アルルに入りました」

「そうかい。運ばれてきたのは王太子殿下だろう?医者に治せなかったらどうなるんだろうね。この町一体焼かれちまうのかね」

「いくらなんでもそんなことしないでしょう」

「するんだよ。第二王子のギリウス様はこないだ、食事のお茶が熱かったという理由で町の食堂を焼いたらしい」


声を顰めて教えてくれたその情報に酷いことをするもんだと驚いた。第二王子のギリウス様には極力近づかないようにしよう。心の中でそう誓う。


「怖いねえ」


そう言って店員が厨房に下がっていく。王太子殿下とここで出会うのはちょっとまずい。はるばる海を渡ってきたのに、身元が割れてこの国から出て行けとなったらまたお金がかかる。気づかれないようにしよう、と思うのにさっきから隣のテーブルでプーミとスープを分け合っている親子が気になって仕方ない。


「母さんの服を破って、傷にあてておこう」

「そんなことしなくていいよ」

「でも」

「本当に大丈夫だから」


ガリガリに痩せている少年は育ち盛りに見える。積み荷を下ろすのは過酷な仕事だ。あの傷から熱を出すこともある。そんなの元いた農村でたくさん見た。小さな怪我でも危ない。


ちゃんと治療をしておかないと、そこが膨れ出して熱を持ち始める。体力がない者ほどすぐに死んでいった。そこまで考えて、ため息をついた。結局ここでこの親子を無視してもずっと気にしてしまうなら、治してしまった方が早い。


スプーンを使って食べていたスープを椀を掴んで一気に飲み干す。熱い液体が喉を通ると、お腹の中から体が温まる。プーミもその勢いで二つに割ってむしゃむしゃ食べる。ライアスのプーミよりアルルのプーミの方が硬い。食べ終えてから立ち上がる。隣のテーブルまでは少し距離がある。


「お金、いくらある?」


立ち上がってその親子にそう尋ねると、母親の方が警戒した顔をする。医者に診てもらおうと言っていたくらいだからお金は少しはあるのだろう。こちらも慈善活動ではないからもらえるものはもらいたい。そう思っていると、少年がサッとプーミとスープを隠す。


「なんだよお前。あっちいけ」

「腕、痛いんだろう」

「聞いてたのか。放っておけよ」

「お母さん、お金いくらある?」


少年と話しても話にならない。母親の方に目を向けると、母親は戸惑ったように治していただけるのですか、と訊いてきた。


より近くでみると、より服のボロボロ具合がわかってしまう。母親は警戒しているけれど、治してくれるならお金を払おうと思っているらしい。


「10シピーくらいなら」

「母さん、ダメだよ。俺のケガはいいから。母さんの薬が買えなくなる」

「ダメだよ、あんた診てもらわなきゃ」

「お前もういいからあっち行けよ」


追い払おうとしてくる少年を相手せずに母親の隣に座る。少年はさらに何かを言い募っているが、それよりもこっちの方が先だ。


「咳はずっと?」

「ずっとです。夜の方がひどくて」

「そう」


座ってまじまじと母親をみると、母親の方も少年に負けず劣らずガリガリに痩せていた。この親子の経済状態からすれば10シピーは大金だろう。油をとっていないのか顔に粉がふいていて、乾燥していることがわかる。


そりゃ咳も出るだろう、と思ってしまった。栄養状態が全体的に良くないのだ。だから体に不調が出る。そしてその不調を治すためにお金を払って、より栄養状態が悪くなる。堂々巡りで、抜け道さえない。


「お前、」

「お母さんのことが好きなんだね」


私が振り向いてそう言うと、少年が固まる。それからこくりと頷いた。少年の腕の服も良くみると血で赤黒くなっている。それでも母親の薬の心配をするのか、と思ったらため息が出た。


「私も私のお母さんのこと好きだよ」


そう言ってから手に力を集中させる。なるべく目立たないようにテーブルの下で母親の手に力を当てると、ふわりとそこだけが明るく光った。光漏れ起こすなよ、と自分で呆れてしまう。どれだけ集中してもこの光漏れをなくすことができない。驚いた表情で私のことを見ていた母親は手を外すと、あら、と呟いた。


「喉が痛くない」

「咳ももう出ないよ」

「なんで」

「なんででしょう」


そう言って少年のことをぐい、と引っ張って椅子に座らせる。大きな声を出すなよ、と小声で言ってから服をまくって怪我に手を当てた。光がさっきよりも小さいことに満足する。


シュルシュルと小さくなっていく怪我に少年が口をぱくぱくさせ始めた。すぐに怪我は小さくなって何事もなかったかのような腕になる。


「神様?」

「ではないよ」

「こんなこと」

「10シピーでもっといいもの食べなよ。血は流れてるから肉がいい」


お金をもらおうと思っていたのに、なんだかもらう気になれずに立ち上がる。呆然としている親子に騒がれる前に、と思って支払いを済まそうとすると、いきなり腕を引っ張られて後ろにガクンと倒れ込む。なんだ、乱暴な、と思って振り返るとさっき王太子殿下を部屋に運んでいった人物が立っていた。

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