第13話 ⚔️ 漆川の戦い:歴史のズレと現代の死闘
小田裕二は、スマートフォンに表示されたゲーム画面と、自分の歴史の記憶の間に、違和感を覚えた。
(漆川の戦いは、俺が最上義光の軍師としていた戦国時代にもあった。だが、このゲームが示しているのは……1368年? スポンサーが天童氏だからか?)
ゲームが示す情報は、南北朝時代に山形の地で起こったもう一つの「漆川の戦い」だった。この戦いは、後の最上氏の祖である**
小田は、自身のタイムスリップが、時代や場所の異なる複数の「漆川の戦い」の記憶を呼び起こしていることに気づいた。しかし、今はそんなことを考えている暇はない。
『対戦開始! 蓮台寺が「天童軍」を名乗り、大江時茂に加勢!』
スマホのGPSが、小田の現在地である大江町を戦場として認識し、ゲームが始まった。蓮台寺は、小田を待ち伏せるためにこの地で『BATTLEWALK』を起動し、小田がゲームに強制参加させられたのだ。
📱 戦場の軍師:位置ゲー戦術
小田は、洋装の軍服から現代のカジュアルな服装に戻っていたが、その頭脳は依然として戦国の軍師だった。彼はすぐにゲーム画面の地図を分析した。
ゲームは、現実の地形に基づき、**天童軍(蓮台寺)と斯波軍(小田)**の部隊アイコンを配置している。
「蓮台寺め、天童軍の弓隊を、現実の山の中腹に配置しやがった。このまま正面から行けば、待ち伏せされる!」
小田は、蓮台寺がこのゲームのルールを理解し、現実の地理を最大限に利用していることを悟った。小田がゲームに負ければ、リアルで命を狙われる。このゲームは、蓮台寺にとって「暗殺」のための準備運動なのだ。
小田は、天童市街地のカフェに身を隠しながら、ゲーム内の軍隊を動かした。
「斯波兼頼の戦術は、常に機動力だ。正面衝突は避け、現実の漆川沿いの細道を使って、大江軍の本陣へ奇襲をかける!」
小田は、かつての最上義光の軍師としての経験を活かし、ゲーム内で精緻な部隊の動かし方をした。彼は、現実の地理を熟知しているという優位性を最大限に利用した。
✨ 魔法の獲得と現実の襲撃
小田の的確な戦術が功を奏した。蓮台寺は、正面からの力押しに固執し、小田の奇襲を見抜けなかった。
『勝利! 斯波軍(小田裕二)の勝利です!』
ゲーム画面に、勝利の文字が躍った。
『ボーナス:魔法「瞬間移動(座標指定)」を取得しました』
小田のスマホに、文字通り「魔法」の能力が付与された。それは、短距離の座標を指定して瞬間移動できる、という能力だった。小田は、この能力が現実の脱出に使えると確信した。
しかし、安堵したのも束の間だった。
『デスペナルティ警告:蓮台寺はゲームの敗北に怒り、リアルアタックを開始します』
ゲームの警告と同時に、小田が隠れていたカフェの扉が、轟音と共に蹴破られた。
「見つけたぞ、小田裕二!」
黒いコートに身を包んだ蓮台寺が、自動式拳銃を構え、カフェに踏み込んできた。その顔は、ゲームの敗北による怒りと、長年の追跡の執念に歪んでいた。
「くそっ、ゲームに負けた腹いせか!」
小田は、咄嗟にカウンターの陰に身を隠した。蓮台寺が放った数発の弾丸が、小田がいた場所の壁にめり込む。
小田は、震える手でスマホを操作した。
「瞬間移動(座標指定)! 座標、カフェの裏口!」
小田の体が、青白い光と共に、一瞬で消えた。
蓮台寺がカウンターを乗り越えた時、そこに小田の姿はなかった。
「何だと……!?」
蓮台寺が驚愕する中、小田はカフェの裏の路地裏で息を整えていた。
「魔法……! このゲームは、俺のタイムスリップの力と、何らかの関係がある……!」
小田は、再び現代の戦場に放り込まれたのだ。彼は、蓮台寺の追跡を逃れつつ、この「BATTLEWALK」というゲームと、自身に起こるタイムスリップの真実を解明しなければならなかった。
奥羽地方での南北朝の対立は当初陸奥国多賀城を中心として行われた。多賀城に拠る鎮守府将軍北畠顕家を延元2年/建武4年(1337年)奥州総大将石塔義房が伊達郡霊山に追いやり、顕家が摂津国で戦没後は、後任の鎮守府将軍北畠顕信(顕家の弟)が興国3年/康永元年(1342年)多賀城の奪還を狙い石塔義房と陸奥国栗原郡三迫(宮城県栗原市)で戦い顕信軍は敗北、南朝の勢力は後退することになる。その後奥州管領吉良貞家・畠山国氏が赴任するが観応の擾乱で北朝側も混乱をきたし、正平6年/観応2年(1351年)北畠顕信が多賀城を奪回、しかし翌年には勢力を回復した北朝側吉良氏が取り戻し状況はめまぐるしく変化した。正平8年/文和2年(1353年)顕信は吉良に敗れ陸奥を脱出、出羽国が南北朝の争いの舞台となる。
正平9年/文和3年(1354年)吉良貞家の後任として斯波家兼が奥州管領として赴任すると畠山平石丸・石塔義基(石塔義憲)が奥州管領を自称し、吉良貞家の子満家も含めて四管領乱立の状況となる。この争いは斯波氏優勢で進み正平11年/延文元年(1356年)斯波家兼の次男斯波兼頼が羽州探題として出羽へ入部する。兼頼は事前工作として、成生荘(山形県天童市成生)に勢力を扶植しつつあった里見義景に弟義宗を養子として送り込み、また山家氏も婚姻政策によって傘下に組み入れた。
兼頼は山形城を築き山寺をはじめとする寺社勢力の懐柔につとめ、最上郡東部(現・山形市、東村山郡など)に勢力の根を下ろしていく。
出羽国寒河江荘においては、大江親広の死後北寒河江荘が闕所となっていたが、親広五世孫大江元政の代の正平6年/観応2年(1351年)回復を目指して侵略を繰り返していたことがわかる。 正平13年/延文3年(1358年)4月足利尊氏が没すると、南朝側の活動が全国的に活発になる。8月北畠顕信は鳥海山大物忌神社に願文を捧げ、南朝側の諸将を糾合して決起し、寒河江大江氏もこれに応えたとみられる。大江元政は正平14年/延文4年(1359年)斯波兼頼と争い、弟懐広・顕広とともに討ち死にしたという。なお北畠顕信の事績も大物忌神社への寄進状以降見られなくなる。
寒河江大江氏の防御拠点
大江元政の死後、跡を継いだ時茂は一族の子弟を荘内各地に配置し防御を固める戦略に出た。すなわち、嫡男茂信を溝延・次男元時を左沢楯山城・茂信の子政広を白岩城に配置し、さらに寒河江・柴橋・小泉・高屋・荻袋・見附にも楯を築いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます