第16話 全国声明(Day85)
《午前9時/総理官邸・広報室》
原稿用紙の束が、机の上に静かに積み上がっていた。
中園広報官がペンを持ちながら言う。
「総理。
“言葉が強すぎる”と言う官僚もいれば、
“弱すぎる”と言う政治家もいて……。」
サクラは苦笑しながら原稿を受け取った。
「ねえ、中園さん。
“みんなが満足する完璧な言葉”なんて、今ある?」
「……ありませんね。」
「でしょ。 だったら私は、“伝えたいこと”を言うよ。」
中園はその言葉に、わずかに救われたように息をついた。
《午前10時/アメリカ・ニューヨーク》
ライブ映像。
繁華街では“終末セール”の看板が立ち並び、
高級ブランドショップには長蛇の列。
しかしその裏で、
別の通りでは武装警官が暴動鎮圧に追われていた。
「市民の怒りと諦めが錯綜し、
ニューヨーク市は“夜間外出禁止令”を検討しています。」
画面は揺れ、警報音が響き続ける。
《IAWN(国際小惑星警報ネットワーク)臨時連絡》
《SMPAG(宇宙ミッション計画アドバイザリーグループ)非公式調整》
ESA主任技術官
「インパクター本体の候補は
“軽量高速型”と“質量重視型”の2タイプ。
どちらもメリットがある。」
NASA・アンナ
「時間が少ない以上、
加速しやすい軽量高速型が現実的だわ。
オメガは太陽方向からの接近で観測が不十分。
“速度で押し切る”方がミスが少ない。」
JAXA・白鳥
「日本は、すでに衝突角度の最適解を計算しています。
地球軌道との交差点から逆算して——
“ここ”にぶつけるべきです。」
スクリーンに小さな光点が表示される。
ESA
「衝突ウィンドウは……
最長でも数週間だな。」
NASA主任
「政治判断が出る前に、
“技術班だけでやれる準備”は全部やっておこう。」
アンナの目が静かに光る。
(時間との戦いは、もう始まっている。)
《午後1時/総理官邸・会議室》
政府の緊急会議。
藤原危機管理監が簡潔に報告する。
「各国で治安悪化が進行中です。
国内はまだ大きな混乱はありませんが、
SNSでは“政府が何か隠している”という噂が止まず……。」
中園が続ける。
「特に“天城セラ”の配信が拡散してます。
“恐怖を捨てよ。地球は浄化される”というメッセージです。」
サクラは目を伏せた。
「恐怖を捨てる……か。簡単ならいいんだけどね。」
白鳥レイナが少し前のめりになった。
「総理、今日の声明は……“科学的説明”をどれくらい入れますか?
数字ばかりだと、国民は混乱するかもしれません。」
「うん。数字は最低限にするよ。
“人としてどう生きるか”を話すほうが、きっと届く。」
白鳥は少し安心したように頷いた。
「その方がいいと思います。
科学は道具であって……心を支えるものじゃないから。」
《午後3時/総理官邸・控室》
サクラは鏡の前で、ジャケットの襟を整えていた。
緊張ではない。
ただ、“間違ってはいけない”という静かな責任が胸に積もる。
(怖い。)
(でも、言わなきゃ。)
そのとき、控室の扉が軽くノックされた。
「総理、準備整いました。」
中園だった。
「……行くね。」
サクラは深く息を吸い、歩き出した。
《午後3時30分/総理官邸 記者会見室》
ライトが一斉に点灯し、
テレビカメラの赤いランプが次々と光る。
サクラは台に立ち、ゆっくりと口を開いた。
《鷹岡サクラ 全国声明》
「国民の皆さん。
世界は今、“オメガ・カウントダウン”という重い現実を共有しています。
隕石の衝突確率は、現在約二〇%台です。
これは“可能性はある”ということであり、
同時に“確定ではない”ということでもあります。
まず、落ち着いてください。」
カメラのフラッシュが止む。 室内が静まり返る。
「不安を抱えているのは、私も同じです。
家族が心配です。
皆さんと同じように、私にも大切な人がいます。
でも、恐怖に飲まれたままでは、
大切な人を守る力がなくなってしまいます。」
少し間を置いて、続けた。
「仕事を続ける人、休む人、
学校へ行く人、行けなくなった人。
どの選択も、間違いではありません。
“今日をどう生きるか”は、皆さん一人一人のものです。
ただひとつだけ、お願いがあります。
——冷静でいてください。」
画面の向こうで、全国の人々が息をのんでいた。
「恐怖は、人を孤独にします。
でも、私たちは一人ではありません。
政府は、可能な限り情報を共有し、
皆さんの“今日”を守るために動き続けます。
どうか、家族と、友人と、
あなたが守りたい人と、一緒にいてください。
そして……
もし空を見上げる余裕があれば、見てください。
今日の空は、まだ青いです。」
その表情は、強くも優しかった。
声明は、7分間で終わった。
最後の言葉は、 “願い”のように聞こえた。
《同時刻/全国》
◆【大学講義室】 教授は授業を止め、静かに言った。
「……今の総理の言葉、悪くなかったな。」
学生たちはスマホを見つめながら、黙って頷いた。
◆【大阪・商店街】 八百屋の店主がテレビを見ながらぼそっと言う。
「冷静でいろ、か。……難しいけどな。」
◆【北海道・小学校】 教師が教室に入り、笑顔で言った。
「みんな、ひとまず大丈夫だから。
お昼休み、外で遊んでいいよ。」
子どもたちは弾けるように走り出した。
◆【地方の病院】 看護師たちが廊下で映像に見入る。
「総理も怖いんやな……そらそうか。」
《同時刻/海外》
◆【ロンドン】 地下鉄のホームに“Stay Calm, Tokyo”の文字が流れた。
◆【ニューヨーク】 暴動中の若者がスマホでサクラの声明を見ていた。
「……なんだよ、この人。普通に聞ける。」
◆【アメリカ・NASA/PDCO(惑星防衛調整)】
アンナ・ロウエル博士が研究室で映像を止める。
「……サクラ。強いな。」
《ニュース特集「世界の動き」》
「次は“オメガ隕石”関連で拡散中の宗教的ムーブメントについてです。」
画面には、 アメリカ・オレゴン州やカナダ・バンクーバーの公園で、
白いローブをまとった小さな集団が手をつないで座る様子。
テロップ:=“Rebirth Circle”(再生の輪)海外で発生=
レポーター
「参加者は“これは破壊ではなく再生だ”とSNSで主張しており、
その多くが日本人女性・天城セラ氏の投稿を引用しています。」
海外の参加者(20代男性・インタビュー)
「セラの言葉は落ち着くんだ。
“お金も学歴も意味を失う。魂の価値だけが残る”って……
正直、救われた気がする。」
キャスター
「海外でも“祈り派”が生まれ始めていますね。
まだ少数ですが、世界の空気は確実に変わりつつあります。」
スタジオの解説者が静かに言う。
「オメガは、科学だけでなく“価値観”まで揺らしている……
その兆候でしょうね。」
《午後4時/総理官邸 控室》
サクラは控室に戻り、静かに椅子に座った。
中園が近づく。
「総理……すごく、良かったです。」
「ありがとう。
でも、“完璧じゃない”って分かってる。」
「完璧なんて、誰も求めてませんよ。
“人間の言葉”が必要だったんです。」
サクラは少しだけ笑った。
「そう……ならいいんだけど。」
そのとき、控室の窓の外で夕方の光が傾いた。
青い空は少し赤く染まり、 どこかで風の音が小さく鳴った。
世界は終わりに向かっていた。
でも、その中で人々はまだ、生きようとしていた。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.
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