第5話 そして隣国へ
上へ上へと押し上げられるように、急速に意識が覚醒する。
けれど、持ち上げる瞼はとても、とても重く感じる。
「……」
目を開けて、目に入ったのは見慣れない天井。
ここはどこだろう?
起き上がろうとしても、指ひとつ動かせない。
頭を持ち上げるのも重く、首を動かすのを諦めて、目だけで周りを見た。
ややボヤけて見えるが、木の匂いがする質素な部屋にいるようだ。枕元の台からは花が飾られていて、いい香りがした。
ガシャッ。
「お嬢様っ!!」
何かが落ちた音、その後。バンという効果音と共に、扉が勢いよく開く。
現れたのは銀髪の青年だった。
目を細めるが、……やはり顔がよく見えない。
けれど、とても馴染みのある声だった。強張っていた身体から、自然と力が抜けた。
「……ヴィー、」
ヴィクトル、と呼ぼうとして声が掠れた。
「あぁ!……無理に、声を出してはいけません。お嬢様。お身体に障りますので」
白湯、お飲みになりますか?と、ヴィクトルはティールの身体を抱え起こし、水差しを口元へ運んでくれる。
聞き慣れた優しい声に、胸がほんのり熱くなる。
けれど、彼は銀髪ではなく濡れたような艶のある漆黒の髪ではなかったか?
白湯を1口、温かなそれが身体に行き渡るのを感じる。と、どっと疲れがのしかかった。瞼が、重い。
コクリと、ティールが飲み終えたのを確認して、ヴィクトルは再び彼女をベッドへ寝かす。布団をかけ、瞼の上、手のひらをのせる。
「疲れたでしょう……。ゆっくりと、お休みください。ここは、邸ではありませんので、お嬢様を害する者はいません」
聞きたいことはあるのに、言葉に出来ない。
ふわりと香る優しいラベンダーの香りに包まれて、睡魔に身を委ねたーー。
◇◆◇◆◇◆◇
ティールの規則正しい寝息が聞こえ始めても、ヴィクトルはしばらく、その場を動けなかった。
瞳が潤み、視界がぼやけた。口元に手をあて、込み上げる感情をかみ殺す。
ーー目が覚めて、良かった……。
魔力暴走による外傷は、森を離れすぐに丁寧に処置を施した。
幸い、痕に残るものはなく時間と共に、全て癒えることだろう。
問題は魔力枯渇と内面の損傷だった。
駆けること1時間。
隣国の馴染みの冒険者ギルドに着いた時には、ティールの身体は異常なまでに、冷たくなっていたからだ。
通常の魔力枯渇は、失った魔力を補おうと生産するために発熱を伴う。
例えるなら空のコップに水を勢いよく注ぐようなものだ。
けれど重度の枯渇や魔力暴走の場合、魔力が底をつき、生命力まで削り始めるとほぼ回復が見込めない。魔法使いとしての生命は終わる。
割れたコップには、いくら水を注いでも貯めることが出来ないからだ。
そして、魔力暴走の場合。荒れ狂う魔力に身体が耐えきれず、内臓を傷つける。
ギルド直営の上級冒険者向けの宿舎、その1フロワを貸し切り、2人きりになった室内で、絶望した。
ティールの状態はすでに、ヒーラーには治せなかったからだ。
ベッドに横たわるティールは、水晶姫さながら、生きてると言うより人形のようだった。
ベッドの傍ら膝をつき、祈るように彼女の手を握る。
自分の無力さに唇を噛みしめーーその鉄の味に気付き、瞬きをする。
ティールと出会った時、自分は重度の魔力枯渇を起こしていた。
それこそ本来の銀髪が漆黒の髪へと、色を変えるほどに。
あの時、自分はどうやって助かった……?
目を閉じて、懸命に当時をなぞる。
暖かな陽射しが届く木々の中、自由の利かない身体を、木の根本に横たえていた。
遠くから聞こえた幾つもの足音は、次第に大きくなっていった。
その中の一つ、毛が逆立つほどの強い匂いに惹かれた。
閉じかけた意識の中、懸命に目だけを動かした先、とてとてと幼い彼女が現れる。
『ーーぶ。だいじょーぶ』
濃密な甘い香りに包まれて、彼女に抱き上げられたことに気づく。
自分を見つめる表情は乏しいのに、アメジストの瞳は、魅入るほどに輝いていた。
後ろからは彼女を諌めるメイドと侍従の声。
『のんで』
彼女は、躊躇いなく親指を口に差し入れた。
ブツリ、牙に指を突き立てたのだろう。口内に鉄の味が広がる。
『のんで』
指をさらに奥へとねじ込み、血を飲むように促してくる。
ゴクリ。喉を鳴らせば、彼女は満足げに頷いた。
指はまだ口に入ったまま、まるで甘美な飲み物のように感じ始めたそれを飲む。
冷えた身体に、確かな熱が宿るのを感じた。
遠のいていく意識の中、彼女の言葉を聞いた。
『つれて帰るわ、この子は、わたしのものよ』
「……っ」
当時をハッキリと思い出して、ゴクリと喉をならす。頬は高揚し、今も、あの時の甘さが口に広がるようだ。
あの時飲んだ彼女の血が……、そう確信した。
そして今回も、"それ"が通用すると自分の中の何かが告げる。
ーーあなたの命が繋がるのなら、私は全て差し出しましょう。
迷いなく己が手に牙を突き立て、滲んだ赤を口に含むと、願うように彼女へと口づけたーー。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます