第2話 壊れた魔道具
腕の中の少女が僅かに身をよじる。
ふるふると瞼が震え、アメジストの瞳が見える。
魔力枯渇の影響か、いつもの輝きは失く、濁りくすんでしまっていた。
その視線は自分を映すことなく宙を彷徨っていた。
自分を捉えない瞳、その事実に胸の奥が締めつけられる。
「……涙が、止まらないわ。こんなに、泣くのは、お母様が亡くなった時……、以来だと思うの…」
「はい」
どうして泣いているのかしら、と、うわ言のように紡がれる少女の言葉に、返事を返す。
彼は溢れ落ちる涙を、唇で拭った。
ふと鼻先をかすめた酒の香りに、一瞬だけ眉がよる。
ーー酒を飲まされた、のだろうか?
「お嬢様、泣きたい時は泣いていいのです。お側を離れた私の落ち度です。申し訳ございません」
ああ、お嬢様の義母と義妹に邪魔されなければ、いつものように侍従としてお供したのに。
今日は、どんな嫌がらせをされたのだろうか。
女主人だからと幅を利かせ好き放題する後妻、少女の父である公爵は、それを諌めようとはしなかった。
そのことにも苛立ちを覚える。
「お嬢様と出会ったのも、木々繁る緑豊かなところでしたね」
小さな少女を思い起こし、1つの考えが思いついた。
「お嬢様、悲しいのであれば、いっそ、全てを置いて行かれませんか」
温かいとは言えない屋敷。
日々嫌がらせを企む血の繋がらない義理の家族。
守りもしない実父である公爵。
笑うこともなく、無表情に日々を淡々と過ごす少女は、その美貌から《水晶姫》と呼ばれていた。
その彼女が幼少期に拾ったのが自分だ。
忘れもしないあの日、差し出された小さな手。やわらかに香る甘い匂い。
世界が熱を帯びて色づいたのを、昨日のことのように覚えている。
なら、今度は...。
「私が、お嬢様を拾わせていただけませんか?」
拾われた際、公爵が側にいる価値を示せと言うので、冒険者として名を上げた。
今の自分なら、お嬢様になに不自由なく安寧を与えてあげられるのではないか。
問いに返事はなく、気を失ったのか瞳は固く閉ざされていた。
血の気を失った四肢はダランと力なく垂れている。
リングをつけた手とは別の方、何かを握っているのに気づく。
「……ピアス?」
見覚えの無いものだ。彼女がつけていたものか?
宝石がはまるだろう台座があるだけで、かなりボロボロだ。
手には砕けた宝石の欠片が付着していた。 月明かりを受け、キラキラと光っている。
魔道具であることを裏づけるように、台座には
模様のように術式が施されていた。
量産品ではない癖のある文字はーー。
「公爵……」
彼女の父の、仕業か。
だとすれば、と術式を見れば。
《魔力放出、循環、隠蔽》
装着者の魔力を使い、魔道具を発動し続ける機能。
ここまでは、今、お嬢様につけているリングと同じ術式が組まれていた。
自分は公爵に、目立つなとそれを与えられたが、本来は魔力過多の暴走を防ぐ目的のものだ。
ただ、ピアスにはそれ以上の術式の痕跡がある。
「……過保護」
思わず本音が漏れた。
魔道具として機能を持たせるには小さければ小さいほど限度がある。いったいどれだけねじ込んだのか。
拾われたあの日、『少女の側にいたい』と告げーー公爵に脅されたことを思い出し、ふるりと身が震えた。
だが、術式を読み解くにつれ、目に剣呑な色を宿す。
もっとも損傷の激しい部分、辛うじて読めたのは。
《感情封印》
《気配遮断》
ピアスの存在に気づかなかったのは、隠されていたからだろう。
感情そのものを殺す道具。お嬢様を《水晶姫》にしたのは、この魔道具だったのか。
思えば、彼女の涙を見るのは初めてだった。
封じられていた感情が、一気に解き放たれたのだろう。
「公爵」
こぼれた声は、ひどく低い音。
場の空気が凍る。辺りには氷が舞っていた。
切れ者と称され、国の中枢を担う宰相の地位につく公爵位の男。それが彼女の父。
だが、それがなんだと言うのだ。
彼女から、何かを奪っていい理由にはならない。
「国には戻らない」
吐き出された声は、氷よりもなお冷たかった。
目をつむり、静かに開く。
胸の奥に宿る欲望を噛みしめるように。
「お嬢様は……、私が、拾わせていただきます」
誰にも何も奪わせは、しない。
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