異形
「...知らん。」
その声に訓練生の誰もが勝利を確信した。
人間らしさが極端に薄いこの男。
勝つだろう、という無条件の信頼。
それほどまでに、武下が負けるところを想像するのは難しい。
「だよねぇ。ま、いいや。あとお願いね。」
妖狐は異形と対峙する武下に声をかける。
「この黒い奴、俺の術吸収しちゃうからさ──
ダン
手を撃つ。
バン
肩を撃つ。
ガン
腰を撃つ。
わかっていると言うように立て続けに三発。
言い終わる前に武下の銃声が響く。
ガチャン、とリロードの音。
異形の大小の目が一回転した。
ぐるん、と上瞼に消えた黒目が下から戻ってくる。
血管に埋め尽くされ、赤黒く染まった白目は
光を反射しない体と合わさり毒々しくなる。
ドロ、と溶けるように伸びた両腕は
床に落ちた刀を掴む。
元の長さに戻った時には腕が再生していた。
術を吸収し一回り大きくなった体が縮んでいるようにも見える。
再生した腕、
一回り小さくなった体。
「そういう仕組み...」
興味深そうに呟いたリョウは
なるほどね、と口角を上げる。
「俺ってばお茶目。余計なことしちゃった。」
あは、と薄っぺらい笑みを浮かべ、
海里たちを庇うように立っていた。
そこからは早かった。
海里が妖狐の背越しに見た光景。
次々と銃弾を打ち込み、
異形に攻撃の隙を与えない。
肩、腰、足、頭。
再生したそばから鉛玉が貫通する。
その度吹き出すドロリとした粘度の高い何か。
それは無臭ながらも、
食べ過ぎて嘔吐した時の胃液のように
あらゆるものが混ざり合っている。
武下はその飛沫しぶきを浴びながらも無表情に引き金を引き続ける。
銃弾が切れれば異形から視線を外すことなくガチャリと弾をこめる。
痙攣しながら体を溶かし、再生を続ける異形。
バン バン バン バン バン バン
濃くなっていく硝煙の匂い。
武下は作業のように銃声を途絶えさせない。
異形の再生が追いつかぬように。
攻撃をさせぬように。
「はっはは...こっえぇ。」
若干引いたような妖狐の声。
海里たち訓練生の恐怖の目は
異形に向けられたものか、武下に向けられたものか。
冷たい汗が海里のこめかみを伝い頬に落ちる。
カランカランと床に落ちる薬莢。
再生すれどもすれども傷が増えていく異形の体は
目に見える速度で小さくなっていく。
訓練場の天井に届くほど、妖狐の倍はあった長身が
武下と同じくらいになり、海里の半分になり、
ついに鼠ほどの大きさまで縮んだ。
ぐちゃり
それを踏み潰した武下の革靴が汚れる。
ぐちょ、にちゃ、と音を立て踏み躙れば
個体の形を保てず液体となったそれ。
それでも再生しようと蠢く。
泡立ち、波打つ様子に健気ささえ感じてしまうほど必死に。
今、武下はどんな顔をしているだろうかと
こちらに向けられた背を見て海里は想像する。
どうせ能面のような顔をしているのだろう。
予想はできるがイメージするのが難しい。
気味悪く笑った顔、敵を見る冷たい目、疲労を滲ませた表情、
海里の中の武下は表情がある。
海里は想像することを諦めた。
完全に無表情の人間なんて脳内で描けるわけがない。
正常な脳はそんなことができるようになっていない。
ずちゃ
そのうち、音が途切れる。
蹂躙が終わった。
一度も攻撃を許されることなく、
革靴の底で異形は消滅した。
「いやぁ、お前とコンビ組める俺すごいわ。天才。」
リョウは大袈裟に抑揚をつけた声で武下に近づいた。
「まったく...撃ちまくって攻撃させないとか脳筋が過ぎない?
正気の沙汰とは思いたくないよねぇ。ラリってる?」
腕を武下の肩に回す。
「...」
「ま、万年寝不足のお前に正気な判断できるわけないよねぇ。
訓練生には刺激が強かったみたいだけど。」
訓練生たちの恐怖は途中から異形に向けられたものではなくなっていた。
リョウは肩に回していた腕を下ろす。
振り返り、苦笑した。
武下と距離を取ろうと後ずさる者、身を寄せ合う者、何かを繰り返し呟く者
「こぉんなに怯えちゃって、可哀想に。…?」
武下から離れたリョウの頬に何かが跳ねた。
濡れる感覚。
触れて確かめてみれば、赤く染まった指先。
「血?」
痛みは無い。
バッ、と反射的に
リョウは後ろを見た。
その瞬間
武下が爆ぜた。
「─!?」
何が起きている。
服が裂け、
腕から、胴から、足から、首から
勢いよく吹き出た血。
敷鉄板に音を立てて滴るそれ。
止まることなく次々と流れ出て血溜まりを作る。
「っ、武下!」
「問題ない。」
叫び、駆け寄ろうとしたリョウに平坦な声が返ってくる。
「いやいやいや、問題大有りだろ!」
リョウは特に出血がひどい首に手を伸ばす。
早く圧迫止血をしなければ、
「深くない。」
「はぁ?!お前な...!」
こんな時でさえ無表情な男の首を絞める。
多少息苦しいだろうがそんなこと言ってる場合ではない。
こいつのことだ。
少しの間息ができなかったとて、それこそ問題ないだろう。
指の隙間から漏れる赤が止まらない。
止まれ、止まれ。
非力とはいえ、妖である限り並みの人間よりは力がある。
手首を伝った血で羽織や着物の袖が濡れていることも気にせず、
リョウはさらに力を込める。
バタバタと慌ただしい足音。
「遅れました!何かお手伝いできること──
「止血剤!早く!」
今更応援に来た局員たちに怒鳴る。
「あっ!おい!」
武下がリョウの両手を外そうと身じろいだ。
「まだ──
止まってない
そう言いかけ、
口に出す前に脱け出されてしまった。
「いらん。」
止血剤を取りに行こうと走り出した局員に告げられた一言。
首を見れば、確かに止まっていた。
「はあぁぁ…」
息を吐き、リョウは肩をすくめた。
頭を抱え、口を開く。
「首の出血って、そんな簡単に止まるもんだっけ?」
海里は回想を続ける。
妖狐が頭を抱えた直後、海里は武下と目があった。
温度を感じない目に海里が怯む間もなく、来いと一言。
別に、お前らに心配されるほど柔じゃない。
周りの訓練生が心配そうにこちらを見てくるのには気づかないふりをした。
異常だ。海里は理解できなかった。
血溜まりが出きるほどの出血、
妖狐の着物が吸った分を合わせればもっと多いであろう量の血を失っている。
「あんた、なんで歩けんだ。」
返事はない。
穴が空き血のついたジャンパーやスラックスをそのままに、
振り返りもせず歩く武下に海里は慌てて着いていく。
恐怖はもっぱら疑問に変わっていた。
海里は点滅する蛍光灯に照らされたデスクの並ぶ空間にたどり着いた。
武下はそのうちの一つに腰掛け、紙を二枚取り出した。
一枚を隣の机に置き、その上に鉛筆をのせる。
「書け」
「は?」
短い命令に海里は困惑する。
「書けっつったって、俺字書けねぇよ。読めはするけど。
訓練生のしぼーしょ?ってやつも書いたの俺じゃねーし。」
「…」
返事はない。
「...あのキモかったやつの絵でも描けば良いのか?」
「…」
返ってくるのはペンが紙を引っ掻く音のみ。
訓練生になって1ヶ月、思えばまともに会話するのは今日が初めてだ。
会話と言えるか怪しいが。
無口だと知ってはいたがここまでとは。
「なぁ、俺なに書けばいいかわかんねぇから教えてくれよ。
それとも文字書ける奴呼んでくるか?」
「いや、いいよ。」
背後から返ってきた返事。
振り返れば妖狐がいた。
止血の時に赤く染まっていた袖は綺麗になっている。
「ごめんねぇ、そいつ会話アレルギーなのよ。絵でいいから描いといてくれる?」
申し訳なさそうに浮かべた薄っぺらい笑みが鼻につく。
「ッチ。わぁったよ。」
「はっはは、すんごい生意気。」
「てめぇの顔がムカつくんだよ!」
「ありがと。よく言われるん、痛っ。」
海里は妖狐を蹴った。
たいして痛そうにしていないのが余計癪に触る。
海里はデスクに座った。
ぎし、とパイプ椅子が軋む。
異形の、無理やりくっつけられたような歪な目を思い出しながら
鉛筆を走らせる。
「顔色わっるいねぇ。いよいよ死ぬ感じ?」
「字震えてない?気のせい?」
「お前は会話アレルギーだし、睡眠アレルギーだし、食事アレルギーだし。
人間としてどうなのよ。」
隣から聞こえてくる声が鬱陶しい。
鉛筆を握る手に力が入る。
「そういえば性欲は?それもアレル──
「だぁ!!うっせぇクソカス狐!黙れ!!」
「あらら、照れちゃった?お年頃だねぇ。」
「あぁ!?」
チチチチチ
海里の怒鳴り声にかぶさって、金属音が聞こえた。
軽く、連続で弾くような音。
聞こえてきた方を見れば、武下がカッターを持っていた。
海里と妖狐の時が一瞬止まる。
「あれ、マジギレ?ごめんごめん」
パッと離れる妖狐の右手を掴み、カッターの刃を押し当てる。
「はい?何してんの。ちょ、痛っ。」
妖狐の指から血が滲む。
武下はそれを咥えた。
「ん?」「は?」
二人の困惑が響く。
海里は回想を終えた。
目の前の武下は相変わらず妖狐の指を咥えている。
足りない血を補給しているのだと、
海里が理解するまでは時間がかかった。
かれこれ一時間半、定期的に喉が上下し続ける。
「…そんなに美味しい?はぁーあ、イカれてんねぇ。」
椅子ではなく机に座った妖狐が無線機での連絡を終え、
ため息混じりにそう言う。
やんなっちゃう、と文句を漏らす妖狐の口角は上がっている。
その笑みはムカつかなかった。
ぐる...
報告書を書き続ける武下の瞳孔が、妖力酔いで渦巻く。
武下に現れた唯一の揺らぎ。
それがなければ妖だと勘違いしそうだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
十龍城砦
妖と人間が共存する世界。剥き出しの鉄骨が不安定に上へ上へ伸びた構造
踏み外せば下に落ちそうな不安定な足場、空気の通り道のない暗い街、澱んでカビ臭い空気、薄暗く闇を照らす提灯、目が痛いほどに光るネオン、人間と妖、
閑黄朝(かんおうちょう、富裕層)、中梁層(ちゅうりゃんそう、庶民)
蛾骸下層(ががいかそう、貧困層)、湿禍暗(しっかあん、裏社会)
内側に進むにつれ治安が悪くなる
均衡管理局(妖と人間の均衡を保つ機関、治安管理局ともいう) 中梁層
人間局員:スーツのズボン、シャツ、管理局と背に書かれたジャンパー、
18歳から局員として働く箱子と、18から訓練を始めて20歳からの一般
妖局員 :和装、勾玉円紋の羽織
教官が可と判断してから入局
箱子:管理局が買取り、訓練を積ませてきた子供。主に人間。
管理局に貢献するためだけに育てられる。
リョウ 200〜300歳 182cm 均衡管理局所属 狐の妖 中梁層出身
狐色の癖毛、狐の耳と尾、丸い吊り目
普段の言動から、軽い男と評されているが、他人に対してはなんとなく壁がある。コミュニケーション能力に長けており、仕事はできる。自由人。身体能力はいまいちだが、術の扱いや交渉能力に長ける。 人間に比べれば長寿だが妖の中では若い方。面白そうだからと入局して以来、50年ほど所属。
教官として局員養成も仕事に入ってるが、まともにやってない。
武下律 24歳 173cm 均衡管理局所属(教官) 人間 蛾骸下層出身
肩まで伸びた黒髪のハーフアップ、三白眼の鋭い目つき(隈つき)、無表情
若手でありながら優秀。ただし、めちゃくちゃ寡黙で無愛想。真面目。食事も睡眠もおろそかにしがちなので華奢。めちゃくちゃ無愛想で人当たりも悪いが、やるべきことはこなす。悪いやつじゃないというのが周りからの評判。身体能力への耐性が異様に高く、戦闘能力に長ける。
教官として局員養成も行なっている(鬼教官)。幼い頃に管理局に売られ、以来18歳で入局するまで訓練させられてきた箱子。
海里 18歳 158cm 均衡管理局所属 人間(新人) 蛾骸下層〜湿禍暗出身
黒く短い癖毛、意志のある力強い目、仏頂面
小柄ながら筋肉質。盗みを重ねて生きてきたが、18になり管理局の訓練生となることができるようになったので入局(管理局の方が稼ぎがいい)。自分が生き残ること、稼ぐことに貪欲な少年。気に入らない者には生意気な態度を取るが、認めた者には従順。喧嘩っ早く乱暴な性格。教養はない。
危機察知能力が高い(勘がいい)。
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