一章 結婚か、無理難題か②

「金の双実の実カナ・カナラを、あなたと分かち合いたく思います。アーテル・レシュナンド」


 執務室に入るや否や、宰相サゼルファー・イネスタロイがそう微笑んだ。とんでもない不意打ちに、用意していた時候の挨拶は頭の中から全速力で逃走し、アーテルは言葉もなく彼を見つめるしかない。


 この男が唐突なのは昔からだが、今回ばかりは度が過ぎていると思った。


 〝双実の実を分かち合う〟


 これはこの国において、秘密を明かす前触れの言葉だ。実の色で重要度が変わり、金色は最上級。場合によっては命に関わるような、重い秘めごとであることを示している。


「……」


 そして一国の宰相が執務室で口にしたのであれば、それはこのジュナイオン王国の機密に足を踏み入れることと同義だった。紛れもない大抜擢であり———同時に恐るべきの可能性も含んでいる。


「今回こそは、色よい返事をいただけると期待しているのですが」


 黙ったままのアーテルを、サゼルファーはその薄紫の目で面白がるように見つめた。


 秘密の共有を打診された際は、イエスなら〝実を受け取る〟と、ノーなら〝実は地に還す〟と言えばいい。それだけのことだが、そのたった一言がなかなかアーテルの口から出ていかなかった。


 これから提示されるのは、そもそも聞くこと自体が大いなるハイリスク、それゆえのハイリターンだ。眼前のいけ好かない笑みが、なによりもそれを証明していた。何も知らない令嬢などは彼の整った甘い顔立ちに砂糖のような夢を見るらしいが、アーテルに言わせればこの男は菓子に擬態した唐辛子かなにかである。少なくとも知る限り、生ぬるいことで破格の見返りを寄越すほど甘やかな人間ではない。


つつしんでお受けいたします」


 アーテルはこっそり唾を飲み込んでから、そう告げた。決意のひとときこそ必要だったが、断るという選択肢はもとより存在していない。もう後がないレシュナンド家のことを思えば、ここで怖気付いて首を横に振るわけにはいかなかった。


「パリス、一旦待機室に……」


 付き従ってきた侍女に席を外させようとしたアーテルを、サゼルファーは首を振って止める。


「彼女を遠ざけるのはしばしお待ちを。パリス・トーラー、あなたにもの用意があると言ったらどうしますか」

「承ります」


 パリスは間髪入れずに答えた。なんの迷いもなく即答した彼女に、むしろアーテルの方が慌てる。この侍女は時に、普段のおっとりした見た目と言動からは想像できない驚異的な潔さを発揮して、主人を愕然とさせることがあった。とりあえず、金の双実の実カナ・カナラについては、お茶を要求した時と同じ調子で受けるものではないと思う。


「待ってパリス、もう少し考えて? その……こんな大事を、そんな風に決めるのは良くないんじゃないかしら。妹が危ない目に遭ったりしたら、国のお兄さんもきっと心配するでしょうし……」


 今あなたが決断しようとしているのは、ヤバイ魔物に血肉を捧げて願いを叶えてもらうような、危険極まりない行為である。それがいかに危ういかを、前例を挙げて小一時間ほど説きたいところなのだが、当のヤバイ魔物本人が目の前にいるため説明が非常にしづらい。それでも侍女の身の安全を思い口を開きかけたアーテルに、パリスは屈託のない笑顔を向けた。


「だってお嬢様、時間をかけて考えたところで変わりませんから。アーテルお嬢様のあるところに、必ずパリスもいるんです。それはなにがあっても変わらないですよ。あの時、お守りするってお約束したでしょう?」

「……パリス」


 アーテルの気も知らないサゼルファーが、満足げな顔で拍手する。


「素晴らしい。まさしく侍女の鏡ですね。では共にご参加いただけるということで、本題に入りましょうか。……ところでお二人は、最近出没している〝ジュナイオンの守り神〟について、何か耳にしたことはありますか?」


 アーテルとパリスは思わず顔を見合わせる。一体どんな深刻な話が始まるのかと思いきや、巷で囁かれている謎の人物について聞かれるとは思わなかった。


「噂程度ですが……なんでも国境を侵した不埒者を、大胆にもその所属する組織ごと壊滅させたとか」

「それから、昔に盗まれた国宝を取り返して、所蔵館に返してくれたと聞きました」

「あとは、襲撃を受けたアンソニアの使者たちを守り抜いて、国元まで無事に送り届けたとも」


 二人が口々に言うことを、サゼルファーは何度も頷きながら聞いていた。


 所詮は娯楽記事や人の口を渡ってやってきた噂話に過ぎないし、一個人がしたことにしてはあまりにも範囲が手広過ぎる。どこか物語的というか、荒唐無稽なものを感じたアーテルは、流行りの小説かなにかから着想を得たつくり話なのではないかと内心疑っていた。


 しかしあらゆることにおいて抜け目のないこの宰相が、そんなものをこの場でわざわざ話題に上げるだろうか。


「この話は事実なのですか?」


 アーテルが問えば、サゼルファーははっきりと頷いた。


「そうです。その者の最新の活動について付け加えるなら、禁制品を積んだ不審船を拿捕して、禁制品は焼却処分し、船員は全員拘束の上で国まで送り返したそうですよ」


 彼は薄っすらと笑みを浮かべて続ける。


「姿も含めて、その正体は一切不明。事が起こった現場には、ただその名だけが残されているんだそうです。ジュナイオン国レーゼン、とね」

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