第4話

 その週末、出勤して着替えていると、開店前のホールが騒がしくなった。

 何事かと顔を出して、仰天した。

 ホールに敷野くんがいて、黒服とにらみ合っている。


「オーナーを出してくださいよ」


「子供がなに言ってんだ、早く帰れよ」


「へえ? でも、子供を雇ってはいるんじゃないですか」


 この野郎、と黒服が凄むのと、私の横から出てきたオーナーが敷野くんにつかみかかるのは同時だった。

 体格が平均的男子高校生より横にも縦にも一回り大きいオーナーは、なにも言わずに敷野くんの髪の毛をつかむと、出口までずるずると引きずっていく。


「いってえ! 放せ!」


 オーナーは敷野くんの言葉を完全に無視して、黒服に言った。


「お前ら、ばかと会話してんじゃねえよ。とっとと放り出せ」


「くそ、未成年働かせてるって警察に言うぞ!」


 そこで初めて、オーナーが敷野くんの顔を覗き込む。


「警察かあ。いいなあ。お前が誰追っかけて来たのかはだいたい分かったけどな、そいつにとってはここが立派な居場所なんだよ。学校であいつが生きやすそうに見えたか? 違うからここにいんだろ? 自分にできる仕事を、目の前のことを一生懸命にやる。それが大事だってことが、もう少し大人になりゃ分かるだろ」


「なにが目の前のことだ、先のことへの思考を放棄してるだけだろ! ほかの選択肢を捨てる場所で働かせておいて、恩着せがましいこと言ってんな!」


「ほーお」


 オーナーが、敷野くんのみぞおちを思い切り殴った。


「ぐうえっ!」


「敷野くん!」


 私は思わず飛び出た。くずおれかけた敷野くんの体を支える。


「はあ。やっぱりお前のお友達かよ、愛花」


 オーナーが、私ごと敷野くんを蹴り飛ばした。


「ぐあっ!」


「きゃあ、痛っ!?」


 私たちは、お店のドアから道路へと転がり出る。


「愛花、店に戻れ。そいつはその辺に棄てさせる」


 私は動けなかった。


「愛花。さっさとしろ」


 言われるがままに、立ち上がりかけた。

 その時、頭の後ろがじんとしびれたように思えた。

 悪い予感。よく、取り返しのつかないことが起きそうな時に、こうなる。

 なぜだろう。

 少し考えて、気づく。

 今日までの私には、言い訳があった。お金が欲しくて、そのために自分がやれる範囲で――法律には違反しても――お金のいい仕事を選んだ。

 今のこれは違う。

 自分から進んで、オーナーに屈服しようとしている。

 屈服。服従。他人に。しかも、私を二番にしかしない人間に。自分から。

 それだけはやめておけと、私が私に告げているのだ。


「愛花ァ。早く――」


「辞めます」


「――ああ?」


「私、今すぐ辞めます。……帰ります」


 オーナーがしばらく、動きを止めた。

 このばかは一体なにがどうして突然こんなことを言い出したのか、と戸惑っているんだろう。


「じゃ、着替えます。敷野くん……この男の子も、これで帰ります」


「待てコラ愛花。わけ分かんねえけど、んな勝手通るか。今すぐそのガキボコボコにするぞ」


 そこで、敷野くんが私の手をのけて立ち上がった。


「構わない」


「ああ?」


「おれの強みは学力だ。それは、暴力では奪われない」


「……お前、頭いいふうに見えてすげえばかなんじゃねえかあ!?」


 オーナーが敷野くんに殴りかかった。

 とっさに私は、私になにができるだろうかと考えた。

 力は弱い。逆転できる作戦もない。今この場所で、こんな私に、なにが? ……


 オーナーが敷野くんの左頬を殴る。


 悲鳴を上げた瞬間、一つだけ、打てる手を思いついた。

 お店でだけ着ている白いミニワンピは、網目が多く、布地としては脆い。

 その胸元に手をかけた。網目に爪を立てる。


 騒ぎを聞きつけて、周りには人が集まりかけている。

 ここで服を破る。できなければ、脱ぎ捨てる。そして自分の年齢を大声で叫ぶ。そうすれば――


「やめろ」


 オーナーに胸ぐらをつかまれ、口元に血をにじませながら、そう言ったのは敷野くんだった。


「君がなにをしようとしているのかはだいたい分かる。でもそれはだめだ」


「だって、それしか、……そうすれば、……」


「ただのクラスメイトをこんな大男からかばうような人間が、捨て身になるのは危険過ぎる。それに君はたぶん、人を脅して退かせるような戦い方は向いてない。慣れないことをすると、失敗するぞ。ただ君が傷つくだけで終わる」


 そこでもう一発、オーナーの拳が敷野くんの顎に入った。

 私がそれを見て絶叫したところで、私は黒服につかまり、お店の中に引きずられていった。


 誰が通報したのか、警察はその後すぐに来た。

 血と泥だらけになった敷野くんは助け出され、泣き叫び過ぎて喉が枯れた私は、ミニワンピ姿のまま、ゆみんさんが私のロッカーから出してくれた荷物を抱え、警察からもオーナーからも逃げきった。


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