第6話 初めての会話、そして放課後の出会い

朝の教室は、まだ半分空席のまま静かだった。窓から差す光が黒板に反射してぼんやり白く見える。俺が席についた瞬間、前から伊織が椅子ごと寄ってきた。


「なぁ逢人、聞いた? 白鷺澪、昨日また告白されたらしいぞ。しかも先輩に」


「また? あの人ほんと規格外に人気だな……」


 スマホをしまう俺に向かって、伊織は机へ沈むようにため息をつく。

 噂話は嫌いじゃないけど、こいつがここまで“真剣な顔”で語ると逆に面白くなってくる。


「先輩からでも普通に断ったってよ。強心臓だよな澪ちゃん」


「ていうか、そもそも興味なさそうじゃね。前から思ってたけど」


「それそれ。俺だったら一回くらい揺らぐわ」


「桐谷さんいるだろ、お前」


「いやそれは……別枠?」


「おい」


 軽口の応酬をしていると、

 ガラッ、と扉が開き、空気がふっと明るくなる。


 白鷺 澪と、伊織の彼女・桐谷朱璃が入ってきた。


 澪は涼しげな表情で髪を耳にかけながら歩く。その仕草だけで教室がざわつく。

 一方の朱璃は朝から元気が溢れているようで、勢いよく伊織に手を振った。


「いおりー! おはよ!」


「お、おはよ朱璃!」


 秒速でデレモードに入る伊織。もう毎朝の儀式である。


 朱璃が彼の机に手をつき、今度は俺の方へ笑顔を向けた。


「久遠くんもおはよ〜。最近、伊織と仲良しだよね?」


「まぁ、同じクラスだし。うるさいから放っとけないだけ」


「ひっど! でも否定できねぇ!」


 朱璃が笑い、澪もその隣でふわりと会釈してくる。


「……おはよう、久遠くん」


 その声はいつもよりほんの少し柔らかくて、意識せずに背筋が伸びた。


「おはよう、白鷺さん」


 その瞬間、背後から伊織の小声が刺さる。


「お、会話してる……進歩したな逢人」


 肘打ちで黙らせる。

 しかし、そこでふと思いつき、俺は軽く振り返った。


「そういえば桐谷さん。さっき伊織が“告白されると心が揺らぐのは別枠”って言ってましたよ」


「ちょっ!? お前ェッ!」


 案の定、朱璃の視線がビシィッと伊織に刺さる。


「……いおり?」


「違う違うちがっ、あれは例え話というかそのっ……!!」


 伊織の言い訳は、朝の教室に爽やかな笑い声をもたらした。


 そんな賑やかな時間を切り裂くようにチャイムが鳴り、

 日常の授業へと、俺たちは引き戻されていった。







──放課後。


 俺は人気のない四階の空き教室で、ヘッドフォンをつけながらPCに向かっていた。次に投稿する曲の構成がどうにも決まらない。


「サビ前のブレイク……ここ、音抜きすぎか? いや、キック一発だけ残した方が……」


 指先で机をトントン叩きながら、画面の波形を睨む。


「BPMは128でいい。キーはE minor。ストリングスの厚み……いや、もっと空気感ほしいな。プレートリバーブじゃ軽い。ホールタイプでディケイ伸ばすか……」


 口に出す癖は完全に治っていない。


 と、急に視界が暗くなった。


 ……え?


 顔を上げると、目の前に白鷺 澪が立っていた。


 髪が夕陽を受けて淡く光り、思わず時間が止まったみたいに見えた。

 


「……白鷺さん?」


 予想外の登場に、思わず声がひっくり返る。


 澪は少し歩いてきて、俺のPC画面を覗き込んだ。


「……邪魔した? 音が聞こえたから、つい」


「あー……悪い。うるさかった?」


「ううん。そっちが音を出してたの?」


「まぁ、趣味で作ってた。ちょっと詰まってけど」


 淡々と答えたけど、ちょっとカッコつけてしまった気がする。


「……さっきの音、整ってた。……綺麗だった」


 心臓が跳ねる。


 白鷺さんは普段、あまり表情を崩さない。その彼女が、ほんの少しだけ目を輝かせて

 いた。


「……音、わかるの?」


「少しだけ。……家族全員音楽に関わっているから。

  ……好きなんだ、音が。だから、さっきのも……気になった」


 気になって?


 その一言の意味を深く考えるのが怖くて、俺は画面に視線を戻す。


「もしよかったら……もう少し、聞いててもいい?」


 澪の柔らかな声が、空き教室の静寂に溶けた。

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