欲しいものは、ただ勝利のみ。

@nullcat626

第1話

血で血を洗う。

ある王国の地下深くに広がる闘技場は、まさに死屍累々――無数の死者が積み重なった地獄の光景を呈していた。湿った土と鉄の匂いが入り混じり、観客席の石段にまで血飛沫が届く。闘技が終わるたびに奴隷の亡骸は焼かれ、灰は肥料として地上へ運ばれる。生も死も、すべてがこの都市の糧だった。


この闘技場を中心に築かれた地下都市は、今や一つの巨大な生態系を成している。奴隷商、賭博師、治癒師、屍処理人、そして観客たち。誰もが他人の血で食い、他人の悲鳴で笑う。腐臭と熱気が渦巻くその空間は、まるで巨大な獣の腹の中のようだった。


 なぜこの都市がこれほどまでに繁栄したのか。その理由の一つに、近隣に点在する“未攻略ダンジョン”の存在がある。未知への恐怖と欲望――この二つが、人々を地の底へと駆り立てたのだ。


 剣闘だけでは観客が飽きる。ならば、と始まったのが魔物との死闘である。最初は捕獲した魔物を檻に入れて戦わせていたが、すぐに破綻した。暴走した魔物が闘技場を蹂躙し、貴族の観客を喰い殺した事件が決定打となる。以後、魔物を持ち込むのではなく、奴隷闘士をダンジョンへ送り込み、その映像を中継する方式へと転換された。


 だが問題があった。観客にとって「見えない戦い」ほど退屈なものはない。暗く入り組んだダンジョンの中では何が起きているか分からず、臨場感に欠けたのだ。

その矛盾を解決するために生まれたのが、《監視魔法》であった。

 魔法陣を刻まれた奴隷の視界を空中に映し出し、聴覚をリアルタイムで観客に共有する技術である。しかし初期の映像は曖昧で、暗所や遮蔽物に弱かった。映し出されたのは光と影の揺らめき、断片的な悲鳴、血の飛沫ばかり。これでは「娯楽」としては未完成だった。


 技術者たちは改良を重ね、やがて薄く削った水晶を投影面に用いる方法、《映写水晶》を発明する。後に《ビジョン・クリスタル》と呼ばれるそれは、映像を鮮明に投影し、観客たちは奴隷の恐怖や興奮までも目の前で感じ取れるようになった。

それだけではない。

視点が奴隷のものから第三者視点へと変更され、より闘技として見やすく、沸き立ちやすいものへと変わったのだ。

この技術は瞬く間に闘技都市の象徴となり、富裕層は自宅に小型のクリスタルを設置して闘技を楽しむようになる。やがて戦場中継、政変、裁判、犯罪報道にまで応用され、《映像魔法》として広く社会に根を下ろした。


映像は現実を映す鏡でありながら、同時に真実を演出する魔法にもなった。虚構と現実の境界は曖昧になり、人々は映像の中の死を「現実よりも美しいもの」と錯覚するようになったのだ。


 死を競うだけがこの闘技場の魅せ場ではない。

男女問わず、奴隷たちが必死に戦うその姿。それ自体が、もはや「芸術」として完成されているのだ。

男同士の戦いならば、隆起した筋肉、噴き出す汗と血潮、噛み締めた歯の音までもが観客の興奮を煽る。

女同士ならば、しなやかな体の軌跡、引き締まった腹筋、倒れ伏す瞬間に覗く肌の白さ。そのすべてが艶めかしく、血の匂いさえ香水のように錯覚させる。

それは「戦い」というより、一種の欲望の演出だった。

だからこそ、貴族の子女に見せるなと親が厳しく言い聞かせるのも無理はない。

こんなものを幼い心に刻みつければ、命の価値を誤り、あるいは別の熱に浮かされるだろう。

そして事実、上流階級の屋敷では元奴隷を妾に迎え入れた貴族が珍しくない。

理由は簡単だ。彼らは闘技場で“生きる姿”に恋をしたのだ。家庭に入ったとて彼らは定期的に闘技場に出る。主人からの愛を繋ぎとめるためには、より多くの暴力と血で己を磨き上げる必要があったのだ。

死の舞台は、同時に愛と欲の温床でもあったのである。


 一方で、闘技都市がここまで膨張できた理由はもう一つある。

それは、ダンジョンから得られる莫大な資源だ。魔石、鉱石、遺物、そして魔物の肉。ときには壁そのものが希少鉱で構成されていることもある。発掘された魔具、武具は修理され、再び闘技場へと戻される。ダンジョン由来の武具は壊れにくく、劣化がしにくいことからそれを集めるためだけに冒険者や奴隷たちを潜らせることもあるほどだ。

 魔物の死体から抜き取った魔石は照明の光源となり、ダンジョンの石材は建材として再利用される。

たまに見つかる宝箱はその場で開けるだけにとどまらず、持ち帰らせて宝くじとして扱うなど娯楽としての要素を持ち、貴族たちの間で人気の賭け事になった。

この都市は、血と魔力が循環する自給自足の地獄として完成していった。


 しかし、問題はまだ残っていた。

ダンジョンの入口は神々の加護を得た者しか通れないという不可思議な法則――いわば、神が人間を選別する門である。

 初期の奴隷闘士たちに無理やり加護を授けた結果、精神や肉体の暴走に耐え切れず発狂・自壊する者が続出した。加護とは祝福であると同時に呪いでもあった。

その後、「Cランク到達者以上に限る」という規定が設けられ、段階的に加護を与える制度が整備される。


 戦神の加護を受けた者は、まるで鋼鉄の鎧を肌の下に宿したかのように肉体が異様に硬化し、剣も槍も通さぬ強靭な戦士へと変貌する。

魔術神の加護を得れば、言語も理屈も越えた直感で数多の魔法式を理解し、詠唱すら不要の超速魔導を振るうようになる。

そして炎神の加護を授かった者は、炎を愛でる者ではなく、炎そのものとなる。指先ひとつで街を焼き尽くすほどの火力を自在に操り、熱が怒りと歓喜を同時に呼び覚ますのだ。

この様に、信仰する神によって異なる加護が得られるようになったことで、より多種多様な闘技が増えていくこととなる。


 だが、力を得た奴隷の中には支配者への反乱を企てる者も現れる。

ある夜、Aランク奴隷闘士の一団が鎖を断ち切り、地上へ脱出した事件は都市全体を震撼させた。鎮圧には冒険者と傭兵団が動員され、被害は甚大―その日、王国は奴隷に過剰な自由と過度な束縛を与える危険を痛感することになる。


 それ以降、支配者たちは戦略を変えた。

力で縛るのではなく、欲で支配する。

Aランク到達者には自由身分の解放を約束し、Dランク以上には娼婦との接触や酒場での豪遊を許可した。Cランク以上は給金の一部を自由に使える。

「戦えば戦うほど、快楽と富、すなわち権利が手に入る」

この単純な報酬体系が、反乱の芽を摘み取ったのだ。

奴隷は戦うことで生を得、死ぬことで都市を養う。彼らの血は、この都市の経済そのものであった。


 やがて宗教までもが闘技場を肯定するようになる。

神官たちは「戦いは神々の試練であり、死は昇華の門である」と説き、闘技を聖なる儀式として都合のいいように再解釈した。自分たちの懐に入る莫大な金に魅了されたのだ。観客は祈りながら賭けを行い、勝者には神酒が、敗者には弔いの祈祷が捧げられる。

倫理は溶け、信仰と娯楽が混ざり合う。人は血を浴びながら神に祈り、罪を正当化する術を覚えたのだ。


 こうして、闘技都市クロタリスは宗教・金・快楽・暴力、四つの柱に支えられる“循環する王国”へと成長していった。

地上の王国が政治に疲弊し、飢饉や疫病に苦しむ中、この地下都市だけは光と熱に満ちている。地上の富豪や貴族までもがここに居を構え、やがて地上の王国を凌駕する経済圏を築いた。


 今日もまた、血が流れ、歓声が轟く。

観客たちは叫び、賭博師は笑い、奴隷は命を賭して戦う。

そのすべてが一つの巨大な鼓動となって、都市全体に響き渡る。


人が人を殺す音こそ、この都市の心臓の鼓動なのだ。

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