Get Over Myself
月丘翠
第1話 母の日記
「母さんなんて大嫌い!」
そう言って乱暴にドアを閉めて家を出た。
あの日からもう5年になる。
あの時の音は今でも耳に残っている。
それまでは母とずっと仲が良く、いつも母は私のよき理解者だった。
それが変わったのは、高校2年生の夏の暑さが落ち着いてきた頃だった。
学校で進路の話があり、今後の進路についての話をした時のことだった。
私は夢であるダンサーになるため、海外留学をしたいと両親に相談した。
私の住んでいる街は少し都会から離れていて、もっとダンスの練習をしようと思うと都会で一人暮らしをしなければならない。
それからいっそのこと海外で学ぶのもありじゃないかと考え、ダンスの先生に相談し、海外留学の計画を立てたのだ。
今まで母はずっとダンスを応援してくれていたし、大会でそれなりの成果も残していたので賛成してくれると思っていた。
でも母からの答えはNOだった。
まさか頭ごなしに否定されるとは思わず、聞いた瞬間は口を開けたまま声が出なかった。
その後、どうして許してくれないのかと何度も母を説得しようとしたが、母は大学へ進学するようにと強く勧めてきた。
父はあからさまに母の味方をすることはなかったが、大学へ行くことに賛成しているようだった。
到底納得は出来なかったが、経済的に自立できていない以上どうすることも出来ず、大学へ進学することにした。
それなら高校の時にアルバイトをしていれば良かった。ダンサーになる夢に反対なら最初から言って欲しかったとしばらくは口を聞けなかった。
私は、せめてもの抵抗で実家からは遠い大学へ進学した。
そこからは数年は、実家に帰ることもなく、連絡すらほとんど取らなかった。
しかし、大学3年の時に「お母さんが倒れた」という震える父の声で久々に実家に帰った。
母は突然倒れ、そのまま意識不明になっていた。
たくさんの管につながれ、母はなんとか生きている状態だった。
「美由紀、美奈が帰って来たぞ」
父がそう話しかけても、母はピクリとも動かない。
その姿が元気なころの母とかけ離れていて、自分の母親とは思えなかった。
ほんの少し触れてみるが、ドラマのように母の手が動かことはなかった。
そこから小康状態が続き、たまに病院に行くものの、やはり母とは思えなかった。
そして2年の歳月が経ち、母は静かに旅立った。
父から連絡があり、慌てて実家に帰った。
そこからお通夜にお葬式とバタバタと過ぎていった。
あまりにもスムーズに進んでいくので、私は最後まで本当に母だったのだろうかとなんだか現実的に思えなくて涙が流れることはなかった。
「お疲れさん」
お葬式が終わり実家に戻ると、父がビールを勧めてきた。
「お疲れ様。ありがと」
コップを受け取って一口ビールを飲むと苦みが広がっていく。
この苦みを美味しいと思える日が来るなんて思わなかった。
「仕事はどうだ?」
「うん、まぁ普通」
「そうか・・普通ってことは問題ないってことだから、いいことだ」
就職して1年。
不動産会社の事務員をしている。
確かに問題はない。給料はしっかり支払われ、残業もほとんどないし、週休2日かも守られている。恵まれた環境だと思うけど、やりがいはあまり感じられなかった。
「もう少しおれるんだろ?」
「うん、明後日の夜に帰ろうと思ってる」
「そんなすぐ帰るんか」
「色々やらないといけないことがあるからさ」
父はビールに視線を落とすと「仕方ないな」と言って、ビールを飲んだ。
カチカチカチ…と時計の音が聞こえる。
前に住んでいた時もこんなに静かだっただろうか。
思い出そうとしても、なんだか思い出せない。
どんな話をしたか、どんなことで笑い合ったか、あまりにも当たり前の日常すぎて、はっきりと記憶に残っていない。
ふと横をみると、家族写真の中で笑う母がこっちを見ていた。
翌日はなんだか早くに目が覚めた。
田舎の冬は寒い。床に素足で歩くと心底冷えてくる。
分厚めの靴下を履き、厚手のカーディガンを羽織って、下へ降りた。
居間に向かうと、すでに父も起きていて朝ご飯を食べていた。
「おはよう」
ご飯に焼き魚、納豆に味噌汁、ザ日本の朝食が並んでいる。
「お父さんって料理できたの?」
一緒に住んでいた頃は父が台所に立っているところを見たことがなかった。
驚いた顔の私に父は笑った。
「母さんが入院してからやるようになったんだ。まぁ母さんの味には遠く及ばないが、それでもいいなら味噌汁残ってるから朝ご飯に食べたらいい」
父に言われて台所に向かうと、味噌汁のいい匂いが漂っている。
今は一人暮らしで手軽さ重視でパンばっかり食べているが、ここに住んでいる時はいつも和食だった。
たまには菓子パン食べたいとワガママを言ったこともあったが、母は「この家を出たら好きなだけ食べられるわよ」と言って、ずっと和食しか出さなかった。
確かに家を出て、一人暮らしになるとパンを食べることが増えた。
自炊したいと思うが、忙しくてできないことも多い。
あの時言った母の言う通りだった。
温めた味噌汁を一口飲んでみる。
母とはやはり味は違うが、美味しい。
父が美味しい味噌汁を作れるだけの時間が流れたのだ。
母のあの味噌汁も、卵焼きももう二度と食べることはできない。
そんな当たり前のことに気づいた。
「お母さん・・・」
自分の口からその言葉がこぼれた瞬間、涙が溢れてその場で子供のように泣き続けた。
「ここにあるものを整理してくれるか」
朝ご飯を食べていると、父にそう言われて、私は母の遺品整理を手伝うことにした。
押し入れを開けて、一つ一つ段ボールを開けていく。
私が幼稚園の時にプレゼントした絵やビーズが付いた毛糸のネックレスなどが出てきた。
「こんなものまで取ってたんだ」
次の段ボールを開けると、缶の箱が目に入った。
可愛らしいクッキーの缶だ。
少し錆びついていて、かなりの歳月が経ったことがわかる。
そっと開けると、ふわっと懐かしい匂いがした。
缶の中を覗くと、そこには一冊のノートが入っていた。
「これは・・・日記?」
他の段ボールにも日記はあったが、この年の日記だけ別に保管されているようだ。
何か特別な日記なのだろうか。
1992年と表紙には書かれている。
母が19歳の頃の日記だ。
私より若い頃の母の日記―
ゆっくりと美奈は日記を開いた。
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