第4話:ヒューゴの城
城の前には執事服を着た若い青年が待ち構えていた。
亜麻色の髪をきっちりと後ろでまとめており、いかにも有能そうだ。
「お帰りなさいませ、ヒューゴ様」
執事服の青年の緑色の目がアイリスをとらえる。
一瞬だったが、観察するような眼差しにアイリスはドキリとした。
「……今日からここで暮らす、アイリスだ」
ヒューゴがふいっと顔をそらせながら、アイリスを紹介する。
何やらきまりが悪そうだ。
執事服の青年が丁重に頭を下げてくる。
「初めまして、アイリス様。
「あっ、アイリスです。あの、私……」
買われた奴隷というのに、屋敷を切り盛りする家令から頭を下げられ、アイリスは困惑した。
ヒューゴが不機嫌そうに顎をくいっと上げた。
「おまえは俺の婚約者、ということになっている」
「えっ……」
意外な言葉にアイリスは絶句した。
(奴隷ではないの……?)
「あくまで表向きは、だ」
ヒューゴが素っ気なく言う。
「一応爵位持ちの貴族になったんだ。闇オークションで女を買ったなんて言えるか」
「あ、あの、でも……」
なぜ使用人ではなく婚約者なのかわからず、アイリスはおろおろした。
「説明は後でする」
「え、ええ……」
ヒューゴの言葉に、アイリスはうなずくしかなかった。
「立ち話もなんですから、お二人はどうぞ中に」
ジャレッドが柔らかい口調で割って入ってきた。
ヒューゴがハッとした表情になり、アイリスをちらりと見た。
「ついてこい」
足早に歩くヒューゴのあとを、アイリスは転ばないように必死でついていった。
城内は広く、その立派さにアイリスは驚いた。
ヒューゴがようやく足を止める。
立派な
(わあ……)
アイリスはふかふかの絨毯が敷かれた部屋に足を踏み入れた。
そこは豪奢な家具が置かれた応接室のようだった。
中央にはソファとテーブルが置かれている。
「……そこに座れ」
アイリスは言われるまま、ソファに腰掛けた。
(柔らかくて座り心地がいいわ)
装飾からも高級品だとわかる。
ヒューゴが棚からグラスを取り出す。
(お酒を飲むんだ……)
(そうよね、もう大人だもの……)
葡萄酒を注いだグラスにヒューゴが口をつける。
そのとき、こちらを見たヒューゴと目が合った。
見られているとは思っていなかったのか、ヒューゴの目が驚いたように見開かれる。
「うっ……ごほっ!」
むせたらしいヒューゴが激しく咳き込む。
「だ、大丈夫?」
アイリスは慌てて立ち上がり、ヒューゴの背中をさすった。
盛大に咳き込んだヒューゴが、ようやく体を起こす。
その顔は真っ赤に染まっていた。
*
「だ、大丈夫だ……」
ヒューゴはグラスを棚に置くと、軽く息を吐いた。
気持ちを落ち着かせようと酒を飲んだのだが、逆効果だった。
アイリスと目が合った瞬間、動揺してしまった。
(くそ……)
(まともに顔が見られない……)
アイリスをまっすぐ見てしまうと、途端に心が揺れてしまう。
(しっかりしなくては)
(俺は今、アイリスの主人なんだから)
できるだけ冷徹に見えるよう、ヒューゴは顔を引き締めた。
「おまえの現在を把握しておきたい」
アイリスがハッとしたような表情になる。
「……おまえ、聖女の力はどうなった」
途端にアイリスの顔が
「私は……乙女のままよ。でも……予知の力はあれから発現しなくて……」
アイリスがぎゅっと服の裾を握る。
『奇跡を起こす聖女の力』は純潔の乙女のみに発現する。
アイリスに好きな相手がいなかったのか、それとも聖女の力を失いたくなかったのかはわからない。
だが、純潔であっても、やはりあれから聖女の力は使えていないようだ。
アイリスがそろそろと顔を上げる。
「聖女の力がほしくて私を買ったの?」
思いがけない言葉に、ヒューゴは目をむいた。
「まさか! そもそも、おまえの力は過去の栄光だろう?」
「え、ええ」
アイリスがしゅんとうつむいてしまった。
(言い方が悪かったか……)
「俺はおまえの状態を知りたかっただけだ」
しょんぼりとうつむくアイリスに、ヒューゴは焦った。
そんな悲しい顔をさせるつもりではなかったのだ。
「なぜなら、おまえを俺の婚約者として
「披露……?」
アイリスが驚いたように目を見張った。
長い睫毛に縁取られた美しいラベンダー色の目から、ヒューゴは目をそらせた。
(くそ……やっぱりまともに見られない)
油断すると、一気に心を持っていかれてしまう。
ヒューゴは早口でまくしたてた。
「そうだ。一緒に王城に行ってもらう」
「えっ……」
*
思いがけない言葉にアイリスは絶句した。
婚約者の振りをするとは聞いていたが、まさか王城にまで行くことになるとは思わなかった。
アイリスはまじまじとヒューゴを見た。
決まり悪そうにヒューゴが目をそらせる。
「……俺は今、ディアナ姫に気に入られている」
「姫に……?」
ヒューゴが唐突に現王の第三子である姫の名を出したのでアイリスは驚いた。
ディアナは確か年齢はアイリスと同じ十九歳で、輝くような美貌を持ち、父である王に溺愛されていると聞く。
こう言ってはなんだが、結婚相手に騎士を選ぶ立場の方ではない。王族なのだ。
ヒューゴが口の端を上げ、歪んだ笑みを浮かべた。
「……そう。元孤児の平民で、成り上がりの騎士なんか本来相手にする方ではない」
一瞬で表情を読まれたらしい。
だが、姫の夫となれば、次期王も視野に入ってくる。
王族の婚姻は政治と切り離せない。
姫の恋心など本来入る隙間などないはずだが、父王はよほどディアナ姫が可愛いのだろう。
「おまえは俺を見下すのが得意だな」
「……っ」
冷ややかな声に心臓が凍りつきそうになる。
「そんなつもりじゃ……」
だが、言い訳は聞いてもらえなかった。
「俺を買って満足だったか? 殺されそうになった孤児を救ってくれた聖女様」
「ご、ごめんなさい。気を悪くしたなら謝るわ。だから――」
アイリスが必死で謝っていると、ドアが強くノックされた。
「失礼します。ヒューゴ様、ちょっとよろしいでしょうか」
ジャレッドの声にヒューゴは無言で立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。
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