第13話 葛藤


颯馬は和馬が出ていくところを、医局の隅からそっと見送った。肩の力を抜き、目を細めて息を整え、ほんの少し眉を寄せる。


“大丈夫”

自分にそう言い聞かせ、颯馬は深く息を吐いた。

今、医局にいるのは颯馬と凪だけで、凪の眉の動きや椅子に座る小さな仕草に目をやり、軽く肩の緊張を解いた。


特に予定はないが、何となく居座っている。


蓮太郎専属に近い自分の動きは、基本的に彼と同調しているからだ。


蓮太郎がアメリカに行くなら、自分も同行する。和馬と離れるのは寂しいが、少しずつ慣れてきた。


「そろそろかなぁ」

「何が?」


机の上で伸びながら答え、颯馬は視線を凪に向ける。


「ん? 蓮ちゃん、そろそろ来ないかなーって」


凪は腰掛けている椅子をキィーと鳴らし、軽く肩をすくめ、目を細めて思案する。


「あいつ、珍しく論文書いてるだろ? まだじゃないのか?」


「すごい集中してるよ。邪念を払うんだって。」


「この間のあれか?邪念って…。それを華陽が見たのかー。連太郎が怖いって言ってたっけなー」


凪は思い出して苦笑し、指先で机の縁をそっとなぞる。


「そういえば朱音ちゃんは?」

「普通かな。蓮太郎のあれがあったから、少し距離を置いているみたいだけど」


「あれは朱音ちゃんが悪いよ。蓮ちゃんは納得してないもん」


凪は黙ったまま座り、指先で机の縁を撫で、目を伏せる。


蓮太郎と朱音は確かに婚約者同士であり、これは事実として存在する。

しかし、蓮太郎自身が納得していないのもまた事実だった。

親同士が決めたことだから仕方ないのかもしれない。


蓮太郎の親は澤村病院の理事である。


朱音は北条グループの令嬢で、医療機器メーカーの家柄ともつながっている。


自然と強いパイプが形成される構図ができあがっている。


朱音はまんざらでもない。

天下の澤村蓮太郎なら、顔良し、家柄よし、知名度よしで文句はないだろう。


「朱音ちゃん、蓮ちゃん結構好きだもんね。」


颯馬は遠くを見つめながら口を開いた。その視線の先に何があるのかはわからないが、目の奥に微かな緊張が漂っていた。


小さく息を整え、肩をわずかに震わせる。


「そうだな。だからなのかね。」


凪は颯馬の視線に合わせて顔を向け、小さく眉をひそめ、唇をかすかに噛む。


「でも僕は……」

「いいよ…みんな分かっているよ…」


凪はそう言いながら颯馬の頭に手を添え、指先でそっと撫でる。


その時、颯馬の肩がわずかに緊張で揺れ、指先が微かに震えた。


医局の電話がその静けさを破るように鳴り響いた。


****

夜風が涼しく感じられる時間、蓮太郎は病院に向かって歩いていた。


肩にかかるコートの布が肌に触れ、寒さを少しずつ感じ、呼吸が浅くなるのを感じた。


「明日、アメリカに行くのに準備が……」


電話口の兄は、簡潔に一言だけ。


「救急がいっぱいだから来い」

そして電話は切れた。


「兄さんはいつも説明が足りないんだよな」


ため息をつきながら歩き、指先でポケットの縁を軽く握る。

携帯が振動して颯馬からの電話が届いた。


「蓮ちゃん、どう?」


「もう着くところです。そちらはどうですか?」


病院の通用口に到着すると、蓮太郎はロッカールームへ向かい、手の動きに緊張を隠しながら鍵を操作し、息を整えた。


「なかなかひどいね。近くで事故。重傷者多数。凪も陽ちゃんも出てるよ。」


「もう猫の手も借りたいくらいの状況ですね。睡眠は明日の飛行機になりそうですね。わかりました。今向かいます」


「了解」


電話を切ると、蓮太郎は深く息を吐き、肩の力をわずかに抜いた。


無機質な画面に自分の顔がぼんやりと映り、静寂が胸の奥にざわつく感覚をもたらし、指先が微かに震えるのを感じた。

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