東都探偵物語
如月いさみ
リバースプロキシ
リバースプロキシ 桜の下で 1
一人の男が桜の木の下で死んでいた。
ひらり、ひらりと闇の中で桜の花弁が舞い落ちる。
一枚。
二枚。
三枚。
涙のようにハラハラと薄紅のそれは零れ落ちていく。
その花弁を一つ二つと髪に飾りながら一人の女性が埋められた男の死体をじっと見下ろしていた。
そんな……夢を見た。
夏月春彦は親友の松野宮伽羅から話を聞き盛大な溜息を零した。
「そして、その女性が……美人、だったんだな」
と冷静かつ冷淡に告げた。
三寒四温の気温差激しい3月上旬。
東宮グループが建設したリッチなマンションの一角での話である。
松野宮伽羅は泣きそうに何度も頷きながら
「そう! そう、そうそう!! 肩にかかる艶やかな黒髪でさぁ……めっちゃんこ美人だった!!」
とドーンと春彦の前のテーブルを叩くと
「いや! ちがー!!」
と叫んだ。
「俺が言ってるのは、その女性が美人かどうかじゃなくて!! 殺人だってことだ!! その女性が男を殺したってこと!! 確かに……美人だったけどさ……けど、問題はそこじゃなーい!!」
怒鳴るように言われ、春彦は殊更大きな溜息を吐きだすと読みかけていた『JAVA言語プログラミングリファレンス』という本を閉じると彼の顔を見た。
「それでさ……死体は? どこに埋められているんだ? どこに死体があるんだ?」
と言い、すっくと立ちあがると彼を睨みつけて
「案内してみろよ。そして、見せてみろよ」
その死体とやらを、と迫るように告げた。
彫りの深い整った顔立ちに柔らかいウエーブの掛かった前髪がはらりと揺れる。
所謂、美形と言うやつだ。
美形の静かな怒りは一般人がギャンギャン叫ぶ怒りよりも怖い。
伽羅は春彦の整った顔を前にヒタリと汗を浮かべると
「あ、や……まあ」
と言い、少し考えると
「あの桜の光景は河川敷かなぁ」
と記憶を遡るように呟いた。
春彦は嫌そうに顔を顰めつつも椅子に座り直すと
「河川敷……な。場所が特定できないと意味がない」
と返し
「先ずは目印になるモノを思い出せ」
と告げた。
相談には乗るという事だ。
伽羅はムムッと記憶を再生し
「工場が……あった。チョ、コ……ロビットの看板がかかってた」
と呟いた。
春彦は「なるほど」と呟くと机の上のパソコンを起動させマウスを手にした。
「チョコロビットは東糖製菓の製品だから川沿いにある工場を探せばいいか」
そう告げてマップを開けると広域地図をさっと見た。
桜の植えられた河川敷と東糖製菓の工場となると場所はある程度限定される。
彼はその二つの条件が重なった場所の地図をプリンターで印刷すると
「取り合えず、その場所に行くか」
と告げた。
伽羅は両手を組み合わせると
「春彦~」
とウルウルと涙を滲ませて彼を見つめた。
こうなることは分かっていた。
春彦は心の中で三度目の溜息を零し
「俺は将来SEになりたいんだからな。探偵じゃないぞ! それを忘れるなよ」
今回は特別だからな! と伽羅にビシッと指を向けた。
伽羅は頷きつつ
「わかってる。わかってるって! けど、俺にはお前しかいないんだ」
春彦、愛してるぜ! とビシッと指を向け返した。
その時。
コンコンと扉を叩く音が響き彼の部屋の扉のところに春彦によく似た容姿の男性が立って二人を見つめていた。
ずっと見ていましたと言う具合である。
「春彦……本、借りていって良いかな?」
男性はそう言って意味深に笑むと
「いつもネタの提供、助かってる」
と告げた。
どんなネタだよ! と突っ込みたくなるが、春彦はガクッと崩れ落ちると
「直兄……ノックは開ける前にしてくれ」
と言うに留めた。
男性は春彦の兄で夏月直彦と言い、春彦にとって親代わりであった。しかも小説一本で春彦を育てているので何をネタにされても文句は言えない。
夏月直彦はスタスタと中に入ると彼の本棚から『AI技術の概要』という本を手に取り
「次から気を付ける」
と殊更これからも気を付ける気はないという口調で応えて
「あー、ところでその話の顛末……教えてくれよな。次の小説に書くから」
次はミステリーだな、とにこやかに笑って立ち去った。
伽羅は凍ったように笑い
「直彦さん、お前以上に怖いな」
とぼやいた。
春彦はふらりと立ち上がると
「まあ、これから何があるか大体わかってる人だからな」
と息を吐き出し
「取り合えず、行こうか」
と足を踏み出した。
伽羅は「わかった」と頷くと
「でも、春彦が俺の話を信じてくれるの直彦さんの影響も大きいんだよな」
親代わりだもんな、と呟いた。
外ではまだ桜の蕾は固く剥き出しの木の肌が武骨にその姿を見せていた。
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