辺境領主の王女様、日本より勇者を召喚して楽しい毎日を送っています
ゆめのマタグラ
第1幕 王女様、魔導書と契約せん
1-1.世間での王女様
長い冬がようやく明け、世界そのものがほっと息をついたかのように、花や草木が一斉に芽吹き始めた――そんな季節だった。
空はこれでもかというほどの快晴。
陽射しは暖かく、風は優しく、どこか遠くで鳥が楽しげに鳴いている。
そんな心地よい昼下がり。
民家が並ぶ通りを、一台の馬車がゆっくりと進んでいた。
ただの馬車ではない。
車体を飾る装飾品からは、否応なく“高貴な存在”が乗っていると伝わってくる。
栗毛のたくましい馬が前を走り、その歩みは軽やかで、堂々としていた。
ここはエルギアン王国の辺境にある、アムダという小さな町。
レンガ造りの古い家々が並び、のんびりした空気が漂っている。
裕福ではないが、住人たちが総じて礼儀正しく、旅人からの評判は意外と良い。
その理由は単純だ。
この町の近くには、この国の第2王女――そして、この土地の領主が住まう屋敷があるのだ。
それはもう、否が応でも背筋が伸びるというもの。
小高い丘に建てられたその屋敷は、王女が領主に就任した記念として建てられたもの。
深い森と高い塀に囲まれ、屈強な兵士たちが常に警護にあたっている――そこだけ切り取れば物騒だが、まぁ有名な話だ。
馬車がしばらく進んだのち、民家が連なる一角の前で、静かに止まった。
「皆様、ごきげんよう」
馬車から1人の少女が降り、民家の前で井戸端会議をしていた奥様方に挨拶をする。
「まぁアイラ様――」
同性である彼女らは、自分達の半分ほどしかない年端も無い少女の美しさに、思わず息を飲んだ。
その微笑みは、この地上を照らす春の陽気のように可憐で。
柔らかく揺れるその金の髪は、風が触れる度に輝いて見える。
澄んだその瞳は、まるで静かな湖の水面のようだ。
決して派手ではない、彼女らしく奥ゆかしい淡い桃色の色使いのドレスを身に纏っている。
それはまるで荒野に咲いた一凛の花――町長が初めてであった時、そう称したという。
誰もがその容姿端麗な姿に目を奪われるが、さらに彼女はとても特徴的な部分があった。
首と両手首には、凡そ少女が付けるにはゴツい金の装飾が施された輪が付いているのだ。
王族が代々、領主を務める際につけるアクセサリー――領民にはそう説明していた。
なのでそのような事を咎める者は居ないし、変だと思う者も居なかった。
「――失礼しました。ご機嫌麗しゅうございます。アイラ様」
言葉に詰まっていた彼女らは、ようやく挨拶を返した。
「リーンさん、おはようございます。トーマス様も息災でしょうか」
彼女達の中の1人は、驚いたように口に手を当てた。
「そんな……1度しかお会いになったことがないウチの旦那のことまで覚えておいでなんですか」
「もちろんです。領主として、領民の皆さんをお気遣いするのは当然のことです」
「なんと……もちろんウチの旦那は元気にしております」
「マイムさんも。お子様がご病気されたと聞きましたが、お加減は大丈夫でしょうか?」
「軽い熱だけで済みまして……お医者様をご紹介いただき、ありがとうございました」
「いえいえ。では、また困った事があれば遠慮なく言って下さい」
またあるところでは――。
「どうするかね」
「しかし、町の大工はみんな出払ってて……」
「どうかしましたか?」
再び馬車から降りたアイラは、牧場の前で困っていた2人組の農夫に話しかけた。
後ろから声を掛けられ、そして振り返り――2人は慌てて頭を下げる。
「これはアイラ様。大変ご無礼を」
「いいのです。それで、何かお困りのようでしたが」
たくましい髭を貯えた農夫は、困ったように牧場の柵を指差す。
アイラが視線を向けると、そこの柵が何枚か部分的に破損しているようだった。
「実はうちの牧場の柵が、モンスターに壊れてしまってて……直そうにも、大工は手が空いてないと断られちゃって……」
「まぁ。それでしたら、屋敷の者に頼んでみますわ」
「屋敷お抱えの方に!? いいえ、そんなことまでして貰う訳には――」
「お困りの時はお互い様ですわ。それに牛さんも長い間、外に出れないと乳も出が悪くなりますし」
「ウチの事をそこまで――ありがとうございますアイラ様!」
「リーシャ。屋敷に戻ったらエド親方へご連絡を」
「承知いたしました、お嬢様」
リーシャと呼ばれた女性もまた、美しかった。
腰まで伸ばした流れる滝のように青い髪。
ナイフのような鋭い目つきと、彼女が発する声はまるで真冬の朝、雪が積もった景色のように冷たくも美しい。
白を基調とし、紺色を合わせたメイド服。黒いニーソックスにガーターベルト。丈の短いスカートなど少々派手な衣装だが、不思議と上品に見えてくる。
アイラより背丈は彼女の方が頭3つ分も高い。
そのせいで彼女だけなら威圧的に見えてしまうが、2人が並ぶとその近寄りがたい雰囲気も和らいでくる。
白銀の雪景色の中、ささやかだが美しい1輪の花――2人が並んだその光景を、町長はそう称した。
「ではリーシャ。屋敷へ戻りましょうか」
「アイラ様。隣の村ではゴブリンを見かけたなんて噂もある。お屋敷への道中、お気をつけて」
「お心遣い、ありがとうございます」
領民の声を訊き、領民の為に出来ることはないかと普段から気に掛けるその姿勢。
町民の間では、アイラ第2王女の噂話で持ち切りだった。
『この方は将来、凄い大物になる』
『あの派手なアクセサリーも、全然嫌味になってなくて似合ってるわ』
『勇者様の末裔ともなれば、立ち振る舞いまで完璧なんだな』
『アイラ様、万歳!』
もちろんアイラの評判は屋敷の中でも高かった。
パリンッ――。
「きゃあっ。アイラ様が大事にされている花瓶を……ど、どうしましょうか」
「何事ですか……まぁ」
「こ、これはアイラ様……も、申し開きもありません。わ、私の不注意で花瓶をわ、割ってしまって……」
「そんなことよりも。貴女、手を怪我しているじゃない」
「え、いや、これは……」
「リーシャは他のメイドと一緒に掃除の手配を。わたくしは彼女の手当てをしますので」
「御意」
「そんなっ。アイラ様のお手を煩わせるなんて……」
「貴女も、この屋敷の大切な家族の1人なのよ。そんなこと言わないで」
「アイラ様……」
下働きしている業者や、メイド相手にも丁寧で淑やか。清らかで優しい。
そんなアイラを慕う者は多い。
かつて屋敷へと招かれた町長は、そのアイラの心の美しさを目の当たりにし、号泣したという。
エルギアン王国には、かつて魔王を討ち滅ぼした勇者が建国なさった逸話がある。
故に王族は皆、勇者の末裔である。
故に王族は皆、国民を大切に想う。
この辺境の地で領主となったアイラ=ヨーベルト=サモンも例外ではない。
国民を愛し、国民に慕われる――。
それが彼女であった――。
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