白井紫影の憂鬱

第1話 序

　ここに記す物語は、一部の厳然たる事実を礎（いしずえ）とした仮構（かこう）の建築物である。

　登場する人物には、モデルと呼ぶべき実在の人間が皆無というわけではない。しかし、それらは一人一人の肖像を忠実に写し取ったものではなく、複数の人間の面影を、記憶という不確かなレンズを通して合成した、言わば精神のキメラ（合成獣）ごとき存在である。

　作中、実在する書名や作品名が散見されることについて、読者は奇異に感じるかもしれない。

　しかし、金閣を「黄金寺」と言い換えるが如き作為は、対象への歪（いびつ）な婉曲（えんきょく）に過ぎず、真のリスペクト（敬意）を欠く行為と信ずるが故に、敢えて固有名詞をそのままに記した。

　願わくば、この物語を、虚構の衣（ころも）を纏（まと）いつつも、ドキュメンタリー（記録文学）の骨格を宿した、一種のノンフィクション的フィクションとして読み解いていただきたい。

　著者である私自身、既に青春の峠を越え、老境の入り口に佇（たたず）む年齢となった。

　かつての日々に溢（あふ）れていた、あの痛々しくも眩（まぶ）しい光芒（こうぼう）が、忘却の彼方へと消え失せる前に、何らかの形で記録（とど）め置きたいという切なる欲求が、私に筆を執らせた次第である。

　これは、過ぎ去りし日々の、ささやかな墓碑銘（エピタフ）である。