名もなき魔女の、誰も不幸にさせない復讐論~枯れ魔女ババア、断罪された令嬢になる~
いづか あい
第1話 悪役にされた令嬢・アリセレス
子どもの頃に大好きだった本がある。
タイトルは、『名前の無い善き魔女』。その魔女は美しい容姿と、優しい心、そして優れた魔力を持っていた。困った旅人を助け、悪ものを退治するレスカーラ王国最強の魔女のお話。
「罪人の名前はアリセレス・エル・ロイセント!…前へ」
私は、義妹を悲しませた。
私は、たくさんの人を傷つけた。
私は、たくさん嘘をついて、たくさん人を貶めた。…でも。
それが全部、濡れ衣だったとしたら?
あなたがもし、実在していたら…私を憐れに思ってくれただろうか?
目を覆っていた黒い布を外されると、その素顔が広場を取り囲む群衆たちの目にさらされた。
レスカーラの首都・センシアの中心、『宣告の広場』は、多くの群衆が処刑台を取り囲み、どこか異様な熱気に包まれている。
(私が…何をしたというの)
飛び交う罵声に、『殺せ』の熱烈なコールの嵐。
冬が長いこの国でたびたび起こるこの広場で起こる公開処刑は、民衆たちにとって、一種の娯楽と化している。
自分を正当化し、自分ではないものの罪を暴き、糾弾し、死を嗤う。
それは、対象が誰であれ、構わない。
(…なんて、おぞましい)
「罪状はロイセント公爵家の親族に対する殺人未遂。既婚者との不貞行為に脅迫行為、それに…」
処刑を取り仕切る判事が、それぞれ
ねえ…どうして?
既婚者との不貞行為?脅迫行為?そんなの、身に覚えがないし、心当たりもない。
「申し開きはあるか?」
「……し ぁ」
「お姉さま!!」
「!」
この声は…群衆に紛れていても、彼女の黒い髪はとても目に付く。
(メロウ……私の義妹)
私の生母の死後、待ってましたとばかりに公爵である父が連れて来たのは、長年愛人関係だった妾とその
メロウは瞬く間にお父様の心を溶かし、私の持っていたものをゆっくりと、でも確実に自分のものにしていった。幼いころら慕っていた婚約者である彼でさえ、あの女は私から奪っていってしまったのだ。奪われた嫉妬から、義妹を虐めたり、苦しめたことはある。でも、断じて私はあの子に直接手を下そうとしたことなど一度もない。勿論、継母にだって。
(私は…あんたに会いたくなかった)
そして、その隣には…このレスカーラ王国の第一王子であり、私の元婚約者である、リヴィエルト・クオン・パルティスの姿もある。
「お姉さま…」
「――!」
メロウはある事件がきっかけで足が不自由で、車いすが必要な生活になったにもかかわらず暗い影を見せることもない。民衆からの人気も篤く、今や社交界で彼女を知らない者はいないだろう。
…けれど、そんなものはただの偶像でしかない。
私は知っている、彼女の正体を。
(リヴィエルト…!)
2人を見た瞬間、私の中に残っていた怒りがふつふつと熱を取り戻す。
「メロウ…ダメだよ。…無理をしないで」
「大丈夫よ、リヴィ。」
私の家門、ロイセントは昔から王家との親交が深い。
長女である私と、嫡子であるリヴィエルトは幼少からの婚約は必然のようなものだった。しかし、ある時期から私達の関係は少しずつずれが生じる。
それが、メロウの存在だ。いつの間にか2人は親しくなり、私が気が付いた時には、座していた婚約者の地位も、名誉も、全てそっくりそのままメロウのものになっていた。
(私は何もしていない…!!!していないのに!)
けれどいくら言葉を発しようとしても、嘘を重ねた罪で、舌を潰されてしまった。赤い血がにじんだ唇からひゅうひゅうと息が漏れるだけで、言葉になるはずもなかった。
小さな『嫉妬』から起こした行動は、静かに巧妙に誇張され、いつの間にか私は、いたいけな妹を虐める『悪役』にされてしまっていた。
そして…事件が起きた。
それが、メロウとその母親…つまり、現公爵夫人とその娘の死亡未遂事件だ。
「アリセレス…君には失望した」
「…ぅ」
思わずメロウをにらみつけるが、彼はメロウをかばうように前に立つ。
「いっそ軽蔑する。…メロウと母君に手を下そうとするなんて…!」
(私じゃない!!)
言葉にしたくても声が出ない。
乾いた瞳から涙が流れるが、彼は表情一つ変えなかった。
(何も、してない筈なのに…)
うなだれたままの顔に、はらりと一筋の髪が落ちる。
かつては、最高級のシルクドレスに、星のように瞬く宝石の数々を身に着けていたこともあった。でも、今の姿はどう?罪人が切る薄汚れたローブ一枚切り…なんて。
王国一と謡われたこの紫がかったバラ色の瞳も、ロイセント家の嫡子の証である黄金の髪は、色がくすんで薄汚れた雑巾みたい。
あまりにも惨めな自分の姿に、笑ってしまいそうだ。
「前へ出ろ」
顔を隠した黒い頭巾に、赤い矢じりの紋章が刺繍されたローブをまとった処刑人が私を小突く。
貴族階級である罪人の処刑は、確実に楽に首を落とす方法がとられている。執行人たちは、ギロチンでの仕損じを防ぐためにその場に大きな斧をもって待機しているのだ。
「…お姉さま、ああ…どうして?」
車いすに乗ったメロウは、よろよろと立ち上がり、私の方に向かって歩いてきた。そして、それを献身的に支える罪人の元婚約者。
まるで、歌劇のワンシーンのようだ。
「…リヴィエルト。私に、最期の時間をください」
「メロウ、君はなんて優しいんだ」
「……ッ」
私が全てを賭して愛した彼の黄金色の瞳に、侮蔑が見える。
その瞬間から、私の中で何かが崩れていくようだった。
(そんな瞳でわたしを、みないで…)
「…お前には何の情もない。だけど、このメロウという清らかな女性と出逢うきっかけを作ってくれた。そこは感謝しなければ」
容赦なく突き刺さる言葉の刃に、ピン、と張りつめた糸は、音を立てて切れた。
…本当、一体何を期待していたんだろう。
(なんて愚か…呆れてしまうわ)
「最期に…姉の魂が安らかになるよう、祈らせてください」
私の居場所も、婚約者も、全部持っていたくせに。まだ私を惨めにさせるの?うつむいたままの私の頬にメロウがそっと手を添えた。
「…惨めで哀れで、傲慢で、馬鹿なお姉さま」
「…!!」
ぐっと強い力で顎をすくわれ、耳元でささやく。
それはまるで、愛しい人に告げる愛のように、優しく、甘く。
メロウはうっとりとした表情を浮かべ、誰にも聞こえない声で語りかける。
「…ご自慢の高慢な顔も、黄金の髪も。なんて無様なの?」
砂糖菓子のようにとろけるような笑顔を浮かべた姿は、はたから見れば、ぼろぼろの罪人の女の前に立つ天使に見えるかもしれない。
…でも、これがこの女の本性だ。
「なあに、その眼。いっそ、その両の目も理由をつけて潰してしまえばよかったかしら…舌と一緒にねえ?」
「‥っ」
「ねえ、お姉さま。お姉さまのことなんて、みぃーんな、忘れてしまうわ、きっと」
残っている力で立ち上がろうとするが、処刑人たちが顔程もある分厚い斧で押さえつける。
それでもなお、メロウは傍に来て、呪いの言葉をささやき続けた。
「でもね、私は覚えていてあげる。お姉さまが欲しくてほしくてたまらなかったものに囲まれて、あなたの絶望した表情を胸に幸せに生きていくわ!…だから、さよなら、お姉さま」
耳元で聞こえたその一言が、終わりの始まり。メロウは天に向かって両手を広げ、高らかに叫ぶ。
「ああ…神よ。罪を犯した魂の一縷の救済を…!」
跪くメロウにリヴィエルトが駆け寄る。
「もういい、メロウ…下がれ」よろりと立ち上がろうとする身体を支えると、その腕の中でメロウは私をじっと見る。…口元に笑みが浮かばせて。
同時に、処刑人達が持っていた斧を高く掲げ、どんどんと地面を柄でたたく。…執行の合図だ。
(…早く終わればいい)
後ろ手にかかっていた縄を処刑人が締め付け、膝まづくように高台の床に座らせると、長い髪をバッサリと切り落とす。
そのまま人間の頭一つくらいがちょうど入るようなくぼみに首ごと押し込み、首筋からうなじにかけて白刃の元にさらす。
(ああ。これで、楽になれる)
でも、本当にそれでいいの?
微かに声が聞こえた時には、もう全て終わっていた。
それが、『私』アリセレス・エル・ロイセント、最期の記憶だ。
ぱちぱちと目を瞬いた。
わらわは、どうなった?確か、ナイフで刺されて、それで…ダメだ、良く思い出せん。
身体が重いけど、この布団はふかふかで気持ちがいい。年を取ると腰が…ああ起きたくない。
…でも、そうだ!彼女はどうなった?無事戻れただろうか?
すぐに確認を…!
「最後の仕事だ…ミスなどしてなければいい…」
ん?
この声は、誰だ。
あ、から始まりい、う、え、おと発生してみる。
なんだこの澄んだ声?いつもの声じゃない!!地声は…もっと、こう、低くて!!
「アリセレス!」
いや、それよりも。
自分の状況は非常に危なかった。死ぬ直前だったし、魔力も枯渇していて、まともに形を保ってられなくて…、今にも消えそうな状態だったはずだ。
「成功したのか?逆行の魔術は…」
ばたばたと起き上がり、鏡を見て…安堵する。
燦然と輝く黄金の髪に、薔薇色の瞳…そして滑らかな肌。外傷はなく、舌もある。
「はあ…よかった、無事じゃな」
ん?
いや、ちょっと待て。可愛らしい幼女が鏡に映っているが、これは、
「…あれ?お主は誰だ?」
首をかしげると、あちらも同様に首をかしげる。
右手を上げると、右手が上がる…つまり、この鏡に映っているのは、わらわということか?
予定では、
それなのに…中身だけ入れ替わっている。
「入れ…替わってる。入れ替わってる?!!」
なんだ?!なぜだ???わらわの術が失敗したのか?!
いいや、そんなことより。
絶望しかない…だって、ただでさえ人間と接してないんだぞ?!!なのに急にこんな。
「154歳のババアに…どうしろと」
わらわは、名前を無い魔女。
人生の春を過ぎ、夏を超え、秋も冬も超えた、つまりは枯れた老婆だ。いや、自分でこんなこと言いたくはないが…ババア令嬢の、爆誕、ということになってしまった…のか?
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