パラドックス・パラフィリア

薔薇結石

第1話

 僕らはみんな病んでいる。


 潜在であれ顕在であれ、僕らの奥底には、一般の倫理観から外れた志向が牙を濡らして、獲物の到来を待っている。


 それは、異常性癖と呼ばれ、やがて僕らを怪物へと変える────。



 異常傾向抑制法。


 文字通り、人間の異常な傾向を抑制することを目的に制定された法律である。


 医療革命と呼ばれる技術革新によって、人は老衰や不慮の事故以外の死をほぼ克服していた。


 となれば、次に人々が目を向けるのが肉体の健康から精神の健康に移り変わるのは至極当然の成り行きであり、必然だった。


 鬱病を始めとする精神疾患の根絶に向けて世界が動き始めた頃、社会に激震が走った。


 後に葉山事件として認知される、妊婦のみを狙った連続殺人事件である。


 あまりに凄惨な事件であったため、事件のあらましが詳らかにされることはなかった。しかしながら何処から嗅ぎつけたのか、マスコミは容疑者の葉山がメイシオフィリア、いわゆる異常性癖であったと大々的に報じてしまった。


 初めこそ、それを鵜呑みにしていなかった市井の人々も、警察機関による公的な否定がいつまでも為されないことを理由に、徐々にそれが事実であると認識していった。


 これにより、かねてから精神疾患に関心の高かった社会は過熱し、異常傾向、特に異常性癖パラフィリアと目される人々への強い規制、罰則を求めるようになっていった。


 人々の求めに応えるように、ほどなくして異常傾向抑制法は施行されることとなった。


 以来、パラフィリアに該当すると思われる映像、画像、出版物、立体物等の所有・閲覧は厳しく規制され、異常傾向にあると思われる人物のカウンセリングが義務化された。異常傾向にあると自覚しながらカウンセリングを受けない者、またその者を故意に見逃した場合は厳しく罰せられ、社会は今や、相互監視の様相を呈し始めていた。


 そんな社会で、僕の病は目覚めてしまった。


 夜道を歩いていると、眩く光る街頭ディスプレイが、嫌が応にも目に入る。


『あなたの隣に、怪しい人はいませんか?』


『もしかしたらその人、パラフィリアかも?』


『怪しいと感じたら、以下の番号へお電話を。24時間、受け付けています。パラフィリア通報ホットライン』


 ナレーションの後、抑制法執行局へつながる番号が表示される。


 ほどなくして映像は切り替わり、健全な家族像を押し付ける内容の広告が垂れ流される。


 てんで縁のない話だ。


 巨大なディスプレイだけでなく、電柱や壁に張られたポスターに、看板に、インターネットに、目の届く範囲すべてに“健全”が溢れている。


 人々は毒にも薬にもならない広告には目もくれず、隣人の顔色をうかがうようにして、皆そそくさと先を急いでいる。


 怖いのだ。例え異常性癖じゃないとしても、その疑いを持たれることが。


 そして僕のように、実際“病”を患っているような人間なら、尚更。


 見上げると、街角のあちこちにある“目”と視線がかち合う。国家の手による、公然とした監視体制。こんなものが当たり前になってしまったのは、一体いつからだったか。


 サッと視線を落とし、誰とも目を合わせないように、道行く人々と同じように、足早にディスプレイの前を去る。


 夜ということを抜きにしても、街はいやに静かだ。それもそうだ。こんな夜半に騒いでいるような輩は、異常傾向アリと見なされ、鎮圧隊に連行された後、再教育プログラムを受けさせられる。


 僕もいずれ、そうなる日が来るのだろうか。


 すれ違う人々の、冷たい視線が突き刺さる。疑念に満ちた、昏い瞳。


 十年、僕は生身の女性を避けて生きてきた。


 あの滑らかな肌が、浅い息遣いが、濡れた唇が、乱れた髪が、すべてが恐ろしい。目にしただけで、昨日のことのように思い出す。


 死体だけは違う。冷たく、動かず、優しい。


 そんな僕を、この社会は許しはしない。



 パラフィリア自助グループの会合は、週に一度。土曜の夜に、公民館の地下で行われる。


 そこでは僕と同じ病に苦しむ異常者たちが、各々の悩みを打ち明けて、克服に向けた意見を出し合う。


 正直、それで治るなんて誰も思っていないだろう。カウンセリングや投薬を受けても治らないのだから、素人の思いつきで治るはずもない。


 それでも、そこは僕らにとって、無くてはならない場所なのだ。


 一人じゃない。そう思えるだけで、明日を乗り越える糧になる。蜘蛛の糸よりも細い、けれど確かな希望なのだ。


「それじゃあ、揃ったようだし、そろそろ始めましょうか」


 リーダーの初老の男性、前野さんが僕らに語りかける。


 部屋には十人の男女が、談話室の机を突き合わせて対面している。


 見慣れた顔の中に、一人、新顔と思われる女性が混じっていることに気がついた。


 生きている女だ。


 僕は深呼吸を一つして、いつの間にか机の下で白むほど握りしめた拳の力を、ゆっくりと抜いていった。


「ああ、そうだ。今日は先に、新しい仲間の紹介があるんだった。平坂さん、自己紹介をしてもらっていいですか?」


「はい」


 立ち上がるのはやはり、その見慣れない女性だった。


 色素の薄い肌、真っ黒で艶のある髪は、肩のあたりで切り揃えられている。目はメガネ越しに蛍光灯の光を受けて爛々と、獲物でも狙う獣のように照っている。


 あまり、生き生きしているようには見えない。会話をするくらいなら、なんとかなるかもしれない。


 僕は深く息を吐いて、平坂さんの言葉を待った。


「私、被食願望があるんです」


 衝撃的なカミングアウト、というほどでもない。少なくとも、この場においては。


 ひしょくがんぼう。被食願望。彼女の吐き出した音を文字に変換し、咀嚼して、嚥下する。


 食べられたい、ということだろうか。いまいち、よくわからない。


「ここには、同じような悩みを持つ人たちがいると聞きました。きっと、私を食べてくれる人が見つかるはずだと、そう思って参加を決めました」


 食べられたい、というのは、死にたい、ということだろうか。それとも、マゾヒズムの究極系。


 だが、彼女の細い体には、傷跡のようなものは見られない。


 被虐趣味と被食願望は、まったく別のものなのだろう。彼女の中では、そう認識されているのだ。


「よろしくお願いしますね。……ああ、いけない。私、平坂ひらさか 柘榴ざくろ。大学生です。改めて、よろしくお願いします」


 パチパチと、ささやかな拍手が第五談話室の狭い室内に響く。


 他の面々の顔を見回すと、戸惑っている者がほとんどだった。


 それもそうだ。いくら異常者の集まりといっても、それは抱える性癖が異常なだけであり、人格的には真っ当な人たちばかりなのだから。


 リーダーの前野さんですら、少し顔を引き攣らせている。


「あ、ありがとうございます。しかしね、ここはそういう衝動を抑えていこうって場ですから、はは……。えー、それでは、皆さん、平坂さんに簡単な自己紹介をしましょうか。まずは私が。その次は、青木さんから右回りに」


 前野さんの進行に合わせて、めいめい氏名と職業、それと自身の異常性を語っていく。


宍倉ししくら 愛納あいなです。化粧品会社に勤務しています。わたしは、俗に言うカニバリズムですね。けど、誰彼構わずってわけではないんですよ?本当に、この倉に納めるに値する人でなければ、食べたいとは思いません」


 そう語りながら、腹部をさすり微笑する二十代後半の女性。宍倉さんは、実はいいとこのお嬢様だったそうで、落ち着いた雰囲気の人だが、既に人肉食の経験があるのか、そこまでは知らない。


 まあ、あるんだろうな。あの様子じゃ。


 初対面から今に至るまで、底知れなさというか、得体の知れなさを感じており、女性ということもあって踏み込んだ会話はできていない。


 彼女の優しさに甘える形になってしまっている現状は、申し訳ないと思う。


「……篠﨑しのさき つかさ。フリーター。人を殺してみたい。それだけ」


 低い声の若い男。篠崎だ。彼とは年が近いこともあって、この中では比較的会話する方ではある。


 しかし、自身の異常性に自覚的であるためか、彼の方から距離を詰めてくることはあまりない。


 既知の内容ではあるが、本当に十人十色だ。


隣の男が「子供の頃から一緒にいるエイミーちゃんです。この子が今でも手放せません……」と呟き、その横の姉弟は机の下で手を繋いでいる。


 露出癖。マゾヒズム。カニバリズム。ペドフィリア。殺人衝動。アガルマトフィリア。インセスト。


 社会の爪弾き者たち。一度でも、その抑圧された欲望を発散しようとすれば、たちまち居場所を失ってしまう、弱者たち。


 みな自己紹介は簡潔で、あっという間に最後の僕の番が回ってきた。


 立ち上がって、平坂さんを見やる。


 彼女は自己紹介の間、真剣に話者の紹介を聞いていた。


 その鋭い視線が平等に、僕にも突き刺さる。


 三度、深呼吸をして、口を開く。


美好みよし 柑太かんた。エンバーマー。……ネクロフィリアってやつになるんですかね。よろしく」


 ささやかな拍手。皆と同じ流れだ。


 唯一違うのは、さっきまで紹介が終わると途端に興味を失ったように次の話者へ視線を注いでいた平坂さんが、僕から目を離さないこと。


 じっ、と僕の方を見続けている。


 何か、彼女の興味を引くようなことを言っただろうか。


「それでは、今日は前回の続きを。政府公認の健全なコンテンツから、いかに我々の欲求を満たす要素を拾い上げるかについて──────」


 その日、リーダーの話は頭に入ってこなかった。


 平坂さんは集会の間、事あるごとに僕を見ていた。自意識過剰、ではないと思う。彼女は確かに、僕を見ていた。


 期待するように。待ちかねているように。


 不気味だった。


「私たちは、病気ではない。自分を卑下することなどないのです。明日からまた、頑張っていきましょう」


 毎回の決まり文句で前野さんが集会を締めくくると、各々立ち上がって、タイミングをずらして、一人ずつ足早にその場を後にしていく。


 異常者たちが寄り集まって夜な夜な集会を開いていると知れれば、通報は免れない。


 世知辛いが、これも処世術の一つだ。


「オイ、美好」


 しかし、立ち去らずに話しかけてくる低い声があった。


 篠崎だ。


 彼は人目を気にするように、声を潜めて続ける。


「あの新入り、平坂って女。アイツ、どう思う?」


「どうって、まだよくわからないよ。話してないし」


 不気味ではある。けれど、人となりすら知らない状態で、他人についてとやかく言うのは憚られた。


 例えそれが、僕にとって忌むべき生身の女性であっても。


 僕の事情と彼女の人格は、まったく別の問題だから。


「甘ちゃんが。お前、目つけられてんぞ。気づいてたと思うが、視線がそっちに行ってた」


「それは、まあ。理由はわからないけど」


「俺達みたいな発散する場がない連中は、何をしでかすか自分にもわからねえ。……帰り道には気をつけるこった」


 それだけ言うと、篠崎はさっさと行ってしまった。


 彼なりの気遣いなのだろう。篠崎はあれで、けっこう周りに気を配れる奴だ。


 インパクトのある自己紹介をした彼女を、グループの平穏を乱しかねないと、少しばかり警戒しているのかもしれない。


 ああ言われてしまっては、僕の方も無警戒とはいかないだろう。気は乗らないが、篠崎のことは信用している。

 

「あの」


 篠﨑を見送る僕の背中に、また別の声が投げかけられる。


 振り向くと、彼女がいた。


 平坂柘榴が立っていた。


 幽鬼のように、音一つ立てず。


「平坂さん、どうしました?」


 僕は努めて温和な口調で、笑みまで浮かべて答えてみせた。


 背中に冷や汗が伝う感触。掌はじっとりと濡れてくる。


 どうか今ばかりは、効きすぎた暖房のせいにしたい。


「篠﨑さんとお話しされていたようですが、仲がいいんですね?」


 それは、どういう意味で言っているのだろう。


 いや、ダメだ。邪推はよくない。


 グループに入ったばかりで、ここの人間関係を把握していないから、聞いてきただけのことだ。きっとそうだ。


 それ以外に、彼女が僕らの仲を詮索する理由はないのだから。


「良いってほどじゃないですよ。年が近いんで、他の人より多少気安いってだけです」


「そうですか」


 端的な返答。それきり、彼女は黙りこくってしまった。


 壁にかかった時計は午後十一時を指している。


 前野さんが館長と知り合いのため、閉館時間を気にする必要はないのだが、この沈黙はどうにも居心地が悪い。


 噴き出す汗と、今にも逃げ出そうとする足を抑えるので精一杯だ。


「あの、まだ何か?」


 絞り出した声は、なんとか震えを抑えられた。


 沈黙を保っていた彼女は、一度口をキュッと真一文字に結んでから、意を決したように切り出した。


「美好さんに、私を食べていただきたいのです」


「それは……無理ですね」


 考慮に値しない提案だった。


 すげなく断っても、彼女は表情一つ変えることなく、また


「そうですか」


 と口にした。


 再び気まずい沈黙が訪れるものと思っていたが、今度は違った。


 彼女は続けて、僕に問いかけた。


「理由を、お伺いしても?」


「……理由ですか」


 人を食べるなんて誰だって嫌だろ。宍倉さんのように、そういう性癖でもない限り。


 そんな、通り一辺倒な回答では彼女は納得しまい。そして、僕もそんな陳腐な理由で断ったのではない。


 理由を明かすことは、僕の異常性癖の契機から詳らかにしなければならない。


 未だに僕を苛む病の根源。痛ましくも甘美だった、あの日の記憶を。


「まあ、いつか機会があれば」


「話してくださらないのですね」


「そういうわけじゃありません。ただ、プライバシーに関わってくるので、僕にも心の準備が必要なんです」


 そこまで言うと、一応は納得してくれたのか、彼女はそれ以上食い下がることはなかった。


 思いの外、拍子抜けではあるが、やはり彼女も異常性のわりに真人間ということだ。


「もう遅いですし、僕は帰りますね」


 そう言い残して、彼女に背を向けて歩き出す。


 なんだかドッと疲れてしまった。帰ったら熱いシャワーを浴びて、さっさと寝て明日に備えよう。備えたところで、日曜に用事なんてないけれど。


 そう油断した僕の背に、彼女は決意の籠もったセリフをぶつけてきた。


「私、諦めませんから」


 その日、眠りに落ちる直前まで、その声は脳裏に反響し続けた。


 なぜ彼女がそこまで僕に執着するのか。その答えを得るには、次の機会を待たねばならなかった。



 駅前、喫茶店内。


 穏やかな午後を過ごす人々の談笑を破るように、靴音が殺到する。


「執行局、鎮圧隊だ。匿名通報を受けた」


 店内が静まりかえる。


 先ほどまで談笑に興じていた人々は動きを止め、口を閉ざし、誰もが彼らから目を逸らす。


 机の下で地震をやり過ごすように、その被害が自分へ向かないようひたすらに祈っている。一般市民にとって、鎮圧隊は天災と同義だった。


 スーツに身を包み、襟にバッジを身に着けた黒服を先頭に、ぞろぞろと店内に押し入る物々しい集団。抑制法執行局、鎮圧隊に所属する執行官である。


「えんじ色のトレーナー、黒のパンツ、黒のキャップを被った若い男」


 執行局と名乗った、リーダー格らしいスーツの男が部下に指示を飛ばし、店内を捜索させる。


 カウンター席の隅で、震えながら縮こまっていた男が、あっさりと見つかった。


 発見されたその方へ、スーツの男がツカツカと近づいていく。


「通報にあった挙動不審の人物とは、あなたのことで間違いありませんか?」


 口調は丁寧、だが有無を言わせぬように。


 一挙手一投足すら見逃すまいと、男の視線が鋭さを増す。


「カっ、カウンセリングはちゃんと受けています!」


「否定はなさらないのですね。確認のため、個人カードをお借りしても?」


 必死の叫びも虚しく、若い男は渋々といった様子で財布から個人カードを取り出すと、スーツの男へ差し出した。


 スーツの男が部下から受け取ったデバイスにカードをかざすと、若い男の個人情報が、ディスプレイにずらりと並ぶ。


 そして、ある項目に目を通した男が、表情を歪める。


 “最新受診歴 半年前”


「5条違反だ。連れて行け」


 喚く若い男は取り押さえられ、店外へ連行されていく。喫茶店は瞬く間に、元の静寂を取り戻した。


「情報部の怠慢も、ここまで来ると笑えてくるな」


 ぼやく男は店内を見回すと、沈黙を保つ客や店員に向かって頭を下げた。


「お騒がせしました。ご歓談を邪魔したこと、お詫びいたします。それでは、我々はこれで」


 と、笑みを浮かべて去っていった。


 迅速、無慈悲。


 例外はなく、融通もきかず、ただ抑制法と完全人間規範に則り行動する黒い使者。


 それが執行局鎮圧隊。


 時には警察以上の畏怖を以て、市民から迎えられる彼らの行動に、一点の曇りもない。


 彼らの使命は一つ。抑制法4条、5条に違反した異常者を捕らえることだった。


第4条

『異常傾向にある者は、執行局指定のカウンセリングを月1回以上受診し、抑制剤αを投与されなければならない。』


第5条

『第4条を遵守しない異常傾向にある者、または通報により異常性が疑われる者は、矯正管理棟A号に収容され、矯正プログラムを受けなければならない。』


 その徹底した姿勢から彼らは、ある意味で、異常者より抑制法に縛られていると、評されていた。


 鎮圧隊の刃は、通報があるところすべてに届く。


 どんな闇の中であっても深く。


 それが彼らの存在意義なのだから。

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