プロローグ① 2025年 新政権誕生
新たな物語を始めます。
最初の10話はプロローグで、かなり硬めで退屈、しかも難解で陰鬱な内容ですが、11話からは前作とは比較にならないくらい、一気にユルくなります。
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2025年(令和7年)10月21日 東京・永田町
日本は、ここから変わる。
しかも、それは確かに“良い方向”へと向かう変化だ。
私にとっては、そう確信できる出来事があった。
伊藤博文を初代とし、内閣制度発足以来の日本の憲政史上、女性初の内閣総理大臣、
しかも、女性が日本の「実質的な国家指導者」(正式に国家の最高責任者として政務を実行する立場)となるのは、奈良時代の
極めて異例ながら彼女はまた、財務大臣も兼任するという荒技を繰り出した。
つまり、財務省は総理の“直轄地”となったのだ。
私は彼女の組閣した内閣で、この施策をより万全とするために新設された「経済・財政包括大臣」として仕えることになった。
この役職は官房長官に並ぶものと位置づけされ、官庁の官僚たちへの人事権も持つと定められた。
片市の明快で力強い主張は国民の幅広い支持を得ており、世の中の空気は前政権期から一変した。
永田町にも、確かに新しい風が吹き始めていると感じる。
私の名は
1973(昭和48年)生まれの52歳。
現在は衆議院議員であり、与党・民自党に所属している。
もっとも、最初から政治家だったわけではない。
かつて私は財務省の官僚だった。
そう言うと、「あの強大な権限を振るう財務官僚か」と思われるかもしれないが、実際の私は多くの人が想像するような順風満帆なエリートではなかった。
一応はキャリア採用組として将来を嘱望されていたが、上司の意向を無視し逆らい続けた結果、閑職に追いやられた末に地方へ飛ばされた。
完全に出世コースから外れた“落ちこぼれ官僚”で、早い話しが栄光の未来を断たれたのだ。
だが、地方の実情に触れたからこそ見えてくるものもあったから、そこは良かったと感じている。
日本は、問題だらけだ。
官僚になった当初からそれを感じていたが、地方で体験したことは、より具体的なもので、中でも深刻なのはこの国が活力を失い、先進国の地位から滑り落ちる未来が見えたことだった。
少子高齢化は進行し、若者の年収は伸びず、静かに貧困が社会を侵食していく。
それは地方において顕著だから、東京にいては完全には分からなかったかもしれない。
年収が伸びない原因の一つは、“非正規雇用”という名のコスト削減策にある。
肥え太るのは人材派遣会社や大企業であり、若者をはじめとする庶民は安い賃金で働かざるを得ない。
おまけに「契約社員」という曖昧な存在も、企業のコストカットの方便にすぎない。
私が最も許せない言葉は「ワーキングプア」や「就労貧困」だ。
まじめに働いているのに、なぜ貧しいのだ?ありえないだろう。そう感じていた。
また、いわゆる就職氷河期に社会へ出た膨大な数の人たちの今後についても真剣な対応を迫られており、それはもう待ったなしの状況だ。
その反面、現時点で大企業の内部留保の総額は637兆円という、まさに天文学的数字に達した。
“内部留保”とは一般的には貸借対照表の「利益剰余金」を指し、事業によって成し得た利益から、税や配当を差し引いた部分の蓄積を指す言葉で、これは厳密な税制・経済用語ではないし、全額が預貯金というわけでもない。
だが、一般国民にはよく知られている存在で、この言葉から国民が感じるのは「大企業は、なぜ莫大な社内資金を充分な投資や、一時金といった賃金面で社会に還元しないのか?」というものではないだろうか?
ましてやそれら大企業の内部留保は、元をただせば国民の富や財が流れた結果なのだ。
一方で、大企業と違って中小企業は頑張っても利益を出せず、大企業との格差は拡大し、賃金を上げたくても上げられないジレンマに陥っている。
やがては外国人労働者に仕事を奪われる構造が常態化する・・・そんな未来が見えていた。
確かに短期で見れば、外国人労働者を雇って低価格をアピールすることは可能だ。
だが、長期で見たら全く景色は異なって見えるだろう。
安い賃金で働く外国人に頼るという行為は、その会社のみならず、その地域の同業他社まで巻き込んでの安売り合戦に至る結果になる。
価格の安い企業しか受注できなくなるからだ。
とはいえ、今まで述べた事はすべて「結果」にすぎない。
その背後には、見えていない根本的な原因がある。
私はその原因・病根がどこにあるのか見えているし、確信もしている。
そして抜本的な改革なしには、日本全体の停滞は決して解消しない。
だが巨大な力に抗うには、私は余りにも小さく弱い存在でしかなかった。
そこで私は官僚生活に見切りをつけ、ある政治家の政策秘書となった。
その立場で経験と知見を積み、雇い主である政治家の引退に伴い地盤を受け継ぎ、今の私がある。
以来、財務省と対決する立場を明確にして様々な提言を行ってきた。
その一つが「消費税の廃止」だ。
消費税を廃止した次は増税一辺倒の方針を転換し、中間・低所得層の手取りを増やす。
それらを成し遂げたうえで、私の政治家としての最終目標は一つ。
財務省という、かつて私が所属していた組織の弱体化・権限の解体だ。
なぜなら、日本の停滞の根は、財務省にこそあると考えているからだ。
経済、財政、少子化…どの問題にも共通して、最終的に行き着く先は「予算と税」であり、それを握る財務省にある。
その根拠は諸外国に比べても、日本の財務省の権限は異常に強い点にある。
いや、「強すぎる」と言ってもいい。
では、それは日本だけなのか?
諸外国の例で言えばどうなるか?
どんな現状なのか?と言えば下記の通りだ。
■アメリカ合衆国
・予算編成は大統領府(OMB)と議会が主導し、財務省(Department of the Treasury)は主に通貨発行、税徴収、金融監督を担当。
・徴税機関はIRS(内国歳入庁)として独立。財務省の一部ではあるが、政治的影響力は限定的。
■イギリス
• 予算案は官僚ではなく財務大臣が提出する。
つまり選挙で選ばれた政治家が主導。
• 徴税はHMRC(歳入関税庁)が担当。財務省とは別組織で、実務と政策が分離されている。
■ドイツ・フランスなど欧州諸国
• 財務省は補佐的立場。予算編成は議会や内閣が主導し、財務省は技術的支援にとどまる。
• 徴税機関は分離されていることが多く、財務省が直接徴税権を持つケースは少ない。
一方で日本の現状はどうか?
官庁の組織図を見れば、各省が横並びに描かれている。
だが、あれは虚構だ。
実際の権力構造は、財務省を頂点としたピラミッド状であり、全ての省庁は財務省の下に従属している。
歴代の内閣総理大臣でさえ、予算と税制を握るこの省には手を出しづらく、もはや“聖域”と化して久しい。
彼らにとって「財政の健全化」という標語は錦の御旗、大義名分としてこれまで使われてきた。
暇さえあれば彼らは言う。
「国家の借金は1200兆円を超えてさらに膨らむ一方です。このままでは遠からずして日本は潰れます」
しかし、私はこれには賛同しない。
彼らの言い分が本当なら、いつになったら財政は健全化するのか?
彼らにそのビジョンは全く無い。
日本政府の借金(債務)は確かに膨らんでおり、それが基準貸付利率(金利)を上げられない理由でもある。
上げてしまえば、雪だるま式に債務も増えるからだ。
だが、問題となっている政府債務の債権者、具体的には国債を買ってくれているのは誰か?
外国人か?外国企業か?決済方法はドル建てか?
どれも違う。
債権者はほとんど日本人と日本企業であって、しかも円建てだ。
その点が債務不履行を起こしたギリシャとは決定的に違う。
敢えて挑戦的な表現をしてしまえば、政府の借金が膨らめば国民は喜ぶとさえ表現してもいいだろう。
ではなぜ財務省は誤った言説を広め、政治家を黙らせ、マスコミを遠ざけ、他の省庁を従わせるほどの影響力を持つのか。
それは単に彼らが予算編成を担うからだけではない。
国家の血流たる“税の徴収権”をも独占しているからだ。
国のカネの出入りを、最初から最後まで自らの帳簿で完結させるという、この一極集中構造こそが財務省を「最強官庁」たらしめている最大の要因なのだ。
つまり、「入金」と「出金」の双方を牛耳っている点にあるといっていいだろう。
これらを分断しなければ、問題は決して解決しない。
財務省が予算と税の両輪を独占している限り、どんな政治改革も絵に描いた餅に終わるだろう。
通貨の番人たる日本銀行は、法律上こそ高い独立性を保障された組織とされている。
しかし、その建前とは裏腹に、人事面では財務省の影響力が濃厚に残っているのが実情だ。
財務省に批判的なエコノミストの間では、日銀は「形式上だけ独立した財務省の出先機関」に過ぎないと辛辣に評されることすらある。
歴代日銀総裁には財務省(旧大蔵省)出身者が少なくなく、その人事が財務省の意向を汲んだ“身内優先”の構造になっているとの批判も根強い。さらに、副総裁や審議委員のポストにまで財務省OBが入り込むことで、政策決定の中枢に政府の視点が制度的に流れ込む経路が確保されてきたとも指摘される。
こうした人事構造を踏まえると、日銀の政策形成は「独立性」という外見とは対照的に、政府の意向を反映しやすい体質が染みついているとさえ言える。
むしろ、独立性という看板によって外からの批判をかわしつつ、内部では政府・財務省の影響が恒常的に及び続ける…その矛盾こそが、今日の日本銀行の最大の問題点だと見る向きもある。
さらに、大きな声では言えないが、財務省は人事の面でも国家を支配している。
「天下り先のポスト」を確保するための人事権を行使し、総理、官房長官、官房副長官にまで秘書官を送り込んでいる。
官僚にとって大事なのは“国”よりも“省”だという言葉は、決して誇張ではない。
つまり、「いかに多くの予算を確保し、OBを含め自分たちの利益を守るか」という省益第一主義の権化なのだ。
そしてマスコミに対しても睨みを利かせる最大の武器が、「国税査察権」だ。
この権限を用いれば、報道機関の経理を調べ上げることなど雑作もない。
大なるものは決算報告の瑕疵であり、小なるものは領収書の不正に至るまで、国税局の動きひとつで、どの新聞社・テレビ局も沈黙せざるを得ない。
その構図こそが、財務省を実質的に“恐れられる存在”たらしめてきたのだ。
当然これらの権限は巨大で複雑であり、私一人ではどうにもならなかっただろう。
だが日本は遂に片市 早由紀という人格を得た。
彼女は私にとっても光明と言える存在だ。
大袈裟でもなんでもなく、内憂外患を抱える日本にとって最後の希望だと信じている。
だが、当然ながら改革への障壁は高く、現状維持を望むだろう既得権益層からの反発も予想されるから前途多難だ。
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文中にある女性指導者が1255年ぶりという記述ですが、江戸時代の
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