当ててみて、私の箱の中に何が入っていると思う?〜私が孵したミミックは、魔王討伐をモグラ叩きだと思っている

上部乱

第0話 序章——彼女は動けない

カシア・スコラリスは、

自分の吐く息が白くなっているのを見て、


ようやく気づいた――状況がまずい、と。


ここは本来、熱帯気候のはずだった。


ほんの数分前まで、

外のモンスーン林は湿気と蒸し暑さに包まれていた。


しかし、この古い宇宙船の遺跡に足を踏み入れた途端、

まつ毛に付いた氷の粒が、

空気がもはや別物になっていることを物語っていた。


「どういうこと……? 

壁まで凍ってる……」

カシアは、

壁にこびりついた薄い霜の層をそっと撫でた。


『ケルビン温度:265K。

 低温警告:

現在の温度は人体機能を著しく低下させます。』


胸元にぶら下がった情報端末が、

冷淡な声で告げる。


レベルアップ、スキル習得、クエストの受注、

さらには日常生活のあらゆる事柄まで、

この小さな端末を通じて管理されている。


研究員の護衛として同行している武装機動部隊の面々も、

この異常事態にはさすがに驚いていた。


彼らは学者たちを不安にさせまいと、

声を潜めて戦術を議論している。


彼らには、この状況が何なのか皆目見当がつかない。


遺跡の内部と、戦場はまるで別世界だ。

彼らが訓練されてきたのは、


戦車や砲弾、機関銃に抗するためであって、

どこかに潜み、


周囲を凍りつかせるようなモンスターと戦うためではない。


兵士たちは何気ないふりをしながら、

腰のアサルトライフルと拳銃のセーフティを外した。


カシアの教授たちは、

ひそやかに魔法のエグゼキューターへ祈りを捧げる。


魔法、呪い、召喚術は、

今まさに弓に番えられた石つぶてのように、

放たれる瞬間を待っている。


上空を旋回していた武装ヘリの音は、

次第に遠ざかっていった。


外の世界では魔法がどんどん薄れつつあるというのに、

この古代宇宙船の残骸の中では、

術者たちはむしろ力が満ちていくのを感じていた。


「カシア、この記録は君に任せる。

卒業論文のいい題材になるだろう。」

白髪の教授が振り向き、

ゴーグル越しに目を細める。


カシアは寒気に荒い息を吐きながら、

なんとか笑みを作って答えた。


「はい、教授。

 ここまでの魔力密度の変動は、

もう全部記録しました。」


カシアはつい最近、

冒険者の神から祝福を受けたばかりで、

初期職業を授かったものの、

そのスキルをまだ一度も使ったことがない。


『聴力強化』――

クリシュナが彼女に与えた最初のスキル。


それこそが、

彼女が今回の調査隊に選ばれた理由のひとつでもあった。


学園の学者たちが遺跡探索に出ることは滅多にない。


だからこそ、

危険を避けるための能力がどうしても必要なのだ。


先行して遺跡に入った研究員たちは、

つい先ほど遺跡に残された最後の暗号をようやく解読し、

ようやくあの「それ」と接触することに成功したところだった。


事は重大で、

今度はそれをどうやって遺跡の外へ運び出すかを考えねばならない。


政府派遣の機動部隊に護衛されているとはいえ、

これ以上のリスクは一切許されない。


カシアは小さく呟きながら、

厚手の手袋越しに自分のポケットをぎゅっと握りしめる。


中には、小さな布袋がひとつ入っている。


それは、

子どものころからずっと身につけてきた謎めいた袋で、


触れると不思議なほど心地よい感触がした。


その柔らかな袋を握りしめながら、

彼女は思う。


『ちゃんと期限どおりに研究報告を提出できれば、

 お祖父様も少しは安心してくれるはず……』


スコラリス卿は、

ほとんどこの国の半分を掌握している。


その影響力は、学術界、金融界、政界、軍部の隅々にまで及んでいた。


きっと頭上を飛ぶあの武装ヘリも、

カシアの祖父のコネがあってこそ出動しているのだろう。


そんな一族の一員にしては、

カシアのレベルはあまりにも低い。


だからこそ、彼女はせめて、

もっと場数を踏みたいと願っていた。


今回の調査が危険だと分かっていても、

彼女が迷うことなく飛び込んできたのは、

そのためだ。


「教授、この低温……

どうも自然現象とは思えません。

 魔力反応が強すぎます。」


先頭の機動隊員が、不安そうに言う。


教授は顎に手を当て、

霜の張りついた壁をそっと撫でた。


「ふむ……

どこかの区画に凍結トラップがあるか、


 あるいは何かのモンスターが棲みついているのかもしれん。


 警戒を怠らず、

いつでも反ケルヴィン系統のスキルを使えるようにしておきなさい。」


機動部隊の隊員たちはうなずいて応じる。

アサルトライフルにはすでに弾が装填されていた。


彼らは、

どんなモンスターにも魔法のエグゼキューターへ祈る暇など与えるつもりはない。


通路の突き当たりには、

巨大な扉が現れた。


古代宇宙船のカーゴベイのハッチのように見える。


やけに静かだ。

低温のせいか、音の伝わり方がどこか鈍い。


先頭の兵士が扉を開けた。


妙な砕ける音がした。


カシアがその音を聞き取ったのは、

ほんのわずかに遅かった。


足りなかったのは、たった0.003秒。


一般人にとっては誤差にもならない時間だ。

だがカシアにとっては、

その0.003秒が――

皆を危険から遠ざけられるかどうかの境目だった。


白い――いや、

淡い青の霊光が瞬き、空間を走り抜ける。


「きょ……」

カシアの声は喉で凍りついた。


ひどく寒い。

寒さが全身を痛めつける。


まるで自分が断頭台に送られ、

刃を振り下ろされたかのようだ――

その瞬間にはもう、

自分の身体をまったく制御できなくなっていた。


青白い霜の膜が、

周囲の人影の輪郭をすべてぼやかしていく。


膝、腰、指先、首――そして眼球にいたるまで、

彼女は身体のどの関節一つとして動かすことができない。


目の前の光景は、

いつのまにか前衛的な現代アートのようなものに変わっていた。


狂気に満ちた彫刻家が、

自分たちの命を素材にして、

この遺跡に刻みつけた作品――

そうとしか思えない光景だった。


カシアの意識は、

ゆっくりと凍りついていく。


その最後の最後まで、

彼女がかすかに感じ取れたのは、

母が遺してくれたあの小さな袋の感触だけだった。


――まるで、

その袋の中に誰かが隠した「秘密」が、

ほんの少しだけ身じろぎしたかのように。


古びた宇宙船の巨大な扉の前で、

彼女は、ほかの十人と同じように、

二度と動くことのない氷像と化した。


もちろん、彼女が知るよしもない。

ほどなくして、

一人の道具アイテム士が、

この遺跡の入口をまたぐことになる

――などとは。

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