第7話 カリブへの招待状

第8話:カリブへの招待状


 重厚な鉄の扉が閉ざされた、船底のラウンジ。

 中央に据えられた椅子に、リュウジは全身を拘束されていた。彼の顔はすでに原型を留めぬほどに腫れ上がり、滴り落ちる血が、高級なペルシャ絨毯に黒いシミを作っていた。

 ドスッ!

 鈍い音が響き、リュウジの体が椅子ごと揺れた。新垣組の若い衆が、無慈悲な拳を腹部に叩き込んだのだ。

「ぐぅ……ッ」

 リュウジは呻き声を漏らし、脂汗の浮かんだ顔を上げた。

 視界の先には、革張りのソファに深く腰掛け、琥珀色のブランデーグラスを優雅に揺らす男が、不気味な笑みを浮かべ革張りのソファーに身を沈めていた。

 ***

 深夜の東京、鬼龍組事務所。

 宗治とケンは、厳心の重厚なデスクの前に立っていた。葉巻の煙が天井の空気を重くしている。

「リュウジを拉致しただと? あの新垣組が」

 宗治は眉をひそめた。

 デスクのタブレットには、リュウジが薄暗い部屋で拘束されている動画が映し出されていた。彼の顔には、復讐の炎を失った後の疲弊が深く刻まれている。

「そうだ。西の新興勢力、新垣タツオ。奴らは、リュウジを人質にシマの半分を要求してきた」

 厳心は低い声で言った。

「もはや一刻の猶予もない。警察も、自衛隊も動かせん。……宗治、お前たちしかいないんだ。奴らの要求が公になる前に、何としてもリュウジを取り戻してくれ!」

 厳心は、なりふり構わずデスクを回り込み、宗治の肩を掴んだ。その指は、老いた鷹の爪のように震えていた。

「金だ……金ならいくら使っても構わん!」

 厳心は血走った眼を見開き、唾を飛ばしながら懇願した。

「機材でも、情報でも、糸目はつけん!」

 宗治を見るその目は、もはや関東を統べる極道の首領としての命令ではなかった。地位と命を失う恐怖に怯え、唯一の希望にすがりつく、一人の無力な老人の姿がそこにあった。

「頼む……! リュウジを、あの船から引きずり出してくれ! あの男が戻らねば、わしは……鬼龍組は終わりなんだ!」

 宗治は、震える厳心の手を静かに外し、冷徹な声で応えた。

「勘違いしないでください。俺たちは金だけが目当てで動くんじゃない」

 宗治は一瞬だけ視線をリュウジの映るタブレットに向けた。

「リュウジさんという『義理』を果たすためだ」

 ***

 東京、深夜。新田のセーフハウスは、サーバーの冷却ファンの回転音と、重苦しい紫煙に包まれていた。

 宗治とケンは、タブレットの画面を食い入るように見つめていた。映し出されているのは、船底と思われる薄暗い部屋で椅子に縛り付けられたリュウジの姿だ。

 彼の顔は、度重なる殴打で原型を留めぬほどに腫れ上がり、片目は完全に塞がっている。映像は粗く、音声もない。

 その映像をじっと見つめていた宗治が口を開いた。

 拷問の合間に訪れる静寂の中で、リュウジの割れた唇だけが、壊れたレコードのように微かに、しかし執拗に動いていた。

 新田もそれに気がついた。

「……宗治さん、これ」

 ケンも息を呑む。

 宗治は無言で画面を拡大し、再生速度を落とした。

 リュウジの呼吸に合わせて、血の泡が弾ける。その奥で、舌と唇が特定のリズムを刻んでいる。意識が混濁する中、それだけを伝えるために魂を燃やしているかのように。

「……読めるか、新田さん」

 宗治が祈るように問う。

「待ってください……。母音が、オ、イ、ウ……いや、違う」

 新田は眉間に深い皺を刻み、何度も映像をループさせる。

「読心術とか流石、情報屋の新田さん」

「ケン静かに」

 宗治も息を呑んだ。

「『助けてくれ』じゃない。……『ホ』だ。最初は『ホ』……次は巻き舌で『ル』……」

 新田の目がカッと見開かれた。

「『ティ』……『ス』……。『モ』……『ル』……」

 その唇の動きが、ある単語と完全にリンクする。

「間違いねえ。何度も繰り返してる。『ホルティス・モルティス(Hortis Mortis)』だ」

「ホルティス……?」

 ケンが怪訝な顔をする。

「呪文か何かか?」

「ラテン語で『死の庭』。……そうか、なんか聞いたことがあります。新垣組の連中が自衛隊からの引退艦をスクラップ名目で裏ルートから入手したって話」

 新田は無造作にキーボードを叩き始めた。膨大なデータベースの海から、一つの情報を引きずり出す。

「以前、たしかー……ビンゴだ。これですよ」

 モニターに、無骨な鉄の塊のような船の画像が弾き出された。

「自衛隊の廃艦『LCU-2001』。コロンビアのカルタヘナで違法改造された船の名が『ホルティス・モルティス』だ。リュウジさんは、自分の居場所を伝えるために、意識が飛ぶ寸前までこの名を唱え続けていたんです」

「新田さん、衛星監視システムに潜り込んでAIで照合すれば、船なら船影から、かなず探せるはず。何処にいようとも」

「その手があったか、流石、宗治さん。すぐに……」

 新田はすぐに情報仲間に応援を求めた。

 30分後、新田が帰ってきた。

「バハマ。ニュープロビデンス島。ナッソービーチです」

 宗治は画面の中のリュウジ、そのボロボロになった義兄弟を見つめ、静かに拳を握りしめた。

「その声、確かに届いたぞ。……行くぞ、ケン。バハマだ」

 ***

 バハマへ向かう機内。宗治はパソコンで船の図面を広げていた。

「新田さんの情報通りなら、この船はLCU-2001級輸送艦。軍用の揚陸艇だ。いくら最新鋭の電子頭脳を積んでも、所詮はアナログベースに建造された艦。航行システムの基本構造までは変えられない」

 宗治は船首を指差した。

「揚陸艇の目的は、ビーチに乗り上げて車両を降ろすこと。つまり、船首が開けばそこは巨大な『口』になる。ここから侵入する」

「どうやって開けさせるんです? まさか『開けてください』って頼むわけにもいかねえし」

 とケン。

「奴には『餌』が必要だ」

 新田がタブレットを見せる。

「新垣タツオは重度のランボルギーニ・コレクターです。特に軍用車に目がない」

 宗治の目が光った。

「完璧だ。新田さん。バハマで『ランボルギーニ・LM002』を用意してくれ。それもディアブロのV12エンジンに換装したカスタム仕様だ」

「バハマあたりならすぐに見つけられるでしょう。仲間に連絡して、すぐに手配します」

 さらに新田が補足情報を加える。

「OK! それと、もう一つ、役に立つかもしれない情報を入手しました。停泊地付近には『シャーク・セメタリー』と呼ばれる場所があります。奴らはそこで抗争やらなんやら揉め事で殺した人間を廃棄しているらしい。狂ってますね」

 宗治はしばらく沈黙した。

「……見えた。奴らのハイテクの目を欺き、奴ら全員、墓場へ送ってやる」

 宗治は力強く目を光らせた。

 ***

 バハマ、ナッソー郊外の無人のビーチ。

 夕闇の中、『ホルティス・モルティス』が接岸する。

 新田は、砂浜でモンスターマシン『LM002』のエンジンを吹かして待っていた。その後ろには小型車運搬用ドリーが連結され、ビーチ用バギーが積まれている。

 船首ゲートが開き、タツオが現れた。

「話通りのブツはあるんだろうな?」

「もちろんです。ディアブロの心臓を持つチーター。極上ですよ」

 新田の言葉と、V12エンジンの輝きにタツオは魅了された。

「よくこんなもの手に入れたな。よし、船に入れろ」

 と新田は指示した。その時、

「おい、後ろのバギーは何だ?」

 バウの見張りをしていた新垣の手下は新田を止めた。そして LM002に繋がれた車両運搬用のドリーの上のバギーを指さした。

「ああ、こいつ、UXV450ですか? ここから街へ帰る足がないもんでね。これがないと帰れませんよ」

「……フン、入れろ」

 新田はLM002を船内の車両甲板へと進めた。

「よしじゃ上で支払いを済ませようか? これだけ上等なブツなら値切ったりはしねー、乾杯だ」

 上機嫌のタツオと新田はラウンジへと向かった。

 タツオたちは新田を連れてラウンジへ向かう。残された手下たちも、見慣れぬスーパーカーに興味津々で群がったが、やがて飽きて持ち場へ散っていった。

 静寂が戻った車両甲板。

 小型車車両用ドリーの底板の裏側から、二つの影が音もなく滑り落ちた。

 ケンと宗治だ。

「侵入成功。これより、ハイテクの脳みそを焼き切りに行く」

 やがて新田はバウへ戻り、軽車両運搬ドリーをバギーにつけてエンジンを吹かした。

(後は頼みましたよ、宗治さん、ケンさん)

 そのまま新田がバウをわたりビーチへ降りると、バウを上げながら、ホルティスモルティスは沿岸へ向けて出向した。

 宗治は軍用PCディスプレー内臓のゴーグルを見ながら船内に向かう。

(あの映像はたしかに一般乗務員船室のはずだ)

 身を潜めながら、リュウジを探していた。

 ***

 一方、ケンは船底の配線室へ潜り込み、航行システムの中枢へ。ブラックボックスを探し出し自作デバイスを接続した。

「兄貴、セット完了。ウィルス起動!」

 無線インカムに囁く声で言った。

 ブリッジのメインディスプレイが一瞬ノイズに包まれ、表示される座標が「偽装された位置」へと切り替わる。

 その合図を待ってましたと、ビーチから新田がボイスチェンジャーを使い、ホルティモルティスへ無線を入れた。

『こちら沿岸警備隊。ホルティスモルティスに連絡。貴船は沿岸許可海域から大きく流されている。至急、元の停泊許可座標海域へ戻られたし』

「なんだと!?」

 雇われ船長は即座にシステム全体をチェックするプログラムを操作した。が異常はない。だがレーダーと座標表示のディスプレーはたしかに許可座標から逸脱していた。

「巡航システム、エンジンシステム共に異常なし」

 雇われ船長は首を傾げた。

「なのにレーダーでは停泊位置が全然違う位置にあるぞ。こりゃまたメンテナンスが必要な時期かもしれないな。目標ナッソービーチの停泊許可エリアに設定」

 船員は忙しく誤表示に気づかずレーダーの示す位置からキーボードを叩き自動航行システムに目標座標を入力した。

 だが、レーダーが見せている位置。それはウィルスが見せている幻影だ。船は警備隊を避けようとして、自ら宗治が指定した『シャーク・セメタリー』の浅瀬へと向け船は突き進んでいく。

 数10分後。

 ズガガガガガッ!!

 船底がサンゴ礁を削り、巨体が座礁した。

 船内にけたたましく緊急を知らせるサイレンが鳴り響く。

 艦首ディスプレーに座礁警告が発令。

「はい? ご苦労様」

 ケンはウィルスユニットをブラックボックスから回収した。

「メーデー! メーデー! メーデー! コチラ、ホルティスモルティス。船が座礁した! 座標は……」

 雇われ船長はレーダーを見て大声を上げた。

「なんでだよ! セメタリーシャークのど真ん中じゃねーか!」

 その一報を無線で確認した宗治もケンも動く。

「よし行動開始!」

 宗治は指示を出した。

 突如、船底を巨大なやすりで削り取られるような、不快で暴力的な轟音が響き渡った。

 数千トンの鉄の塊が急停止し、その慣性で船内の人間が将棋倒しになる。

「座礁した!? バカな、何してたんだ!!」

 タツオも艦首室へ急いだ!

 船内がパニックに包まれる中、宗治の冷徹な指令が飛ぶ。

「今だ、ケン! 船の口をこじ開けろ!」

 ケンは機械室の奥、錆びついた油圧レバーを両手で掴んだ。

「おらぁッ!!」

 全身の筋肉を軋ませ、錆びついたバルブを回し、レバーを押し込む。

 プシューッ! という空気の抜ける音と共に、船の重心がググッと動いた。ケンが操作する後方のバラストタンクに海水が注入され、船首が持ち上がる。

 サンゴ礁に乗り上げていた船体が、波に煽られて不気味に軋みながら後退を始めた。船は座礁した場所からは脱出できた。

 だが、それは逃げ道ではない。

 ケンは間髪入れず、船首(バウ)の開閉レバーを叩き込んだ。

 ギギギ、ギィィィィ……!!

 金属疲労の悲鳴を上げながら、船首の巨大なランプゲートがゆっくりと開き始めた。

「今度はこっちだぜー!」

 ケンは今度はバラストタンクの海水を口の開いた船首へ流し込んだ。

 船体は大きく前方へ傾く。それと同時に、口を開いたバウから海水が侵入し始めた。

 そこは、宗治が誘導した『シャーク・セメタリー』のど真ん中。

 開かれた鉄の顎、バウから、海水が滝のように船内へ流れ込み始めた。

「うわああ! 水だ! 水が入ってくるぞ!」

 車両甲板にいた組員たちが絶叫する。だが、彼らが本当に恐れるべきは水ではなかった。

 白波と共に飛び込んできたのは、無数の黒い影。血の匂いに狂乱したサメの群れだ。

「ひ、ひぃぃッ! サメだ! 食われるッ!」

 逃げ惑う男たちの足元を海水がさらい、転倒し脚を滑らせた者は床を転がるように海中へと飲み込まれていく。そしてそこで待ち受ける鋭利な牙が食らいつく。瞬く間に海水が赤く染まり、阿鼻叫喚の地獄絵図が描かれた。

 ***

 一方宗治は、一般乗組員の船室の一角にリュウジを見つけ出した。

「リュウジさんしっかり。帰りますよ」

「ど……どうして、宗治あんたここへ……」

 意識朦朧のリュウジ。

「何だよ。しっかりしてくれよ。結婚式来てくれるはずだろ。よく頑張ったな。さあ、行くぞ!」

 宗治は笑みを浮かべながら拘束していた縄を解き、リュウジに肩を貸し、甲板最船尾を目指した。

 傾斜角が30度を超え、立っていることすら困難な状況の中、宗治とケンはリュウジを抱えて最上甲板のヘリポートへ辿り着いた。

 そして船に侵入した時に隠し持ってきた軍用小型パラセールを3人分用意した。

「ハァ、ハァ……兄貴、船がもう限界だ! やばいでしょ。タイタニックの映画みたいに海中にはいけないぜ!」

 息を肩で切らしながら、ケンも脱出の準備を急ぐ!

 船尾以外はすでに海没し、ほぼ垂直に沈んでいく船体から轟々と空気が漏れる音が響いている。

「リュウジさん、このパラセールを!」

 宗治がハーネスをリュウジに着せている、その時。

「……逃がすかよォッ、ボケがぁッ!!」

 甲板最後尾のドアが蹴り開けられ、血まみれの男が現れた。新垣タツオだ。

 爆発で吹き飛ばされたのか、白いスーツは赤黒く染まり、片足を引きずっている。だがその瞳には、執念という名の狂気が宿っていた。

 タツオの震える手が上がり、握られた拳銃の銃口が宗治の背中を捉える。

「宗治、あぶねえッ!」

 リュウジが叫んだ。

 ためらいも、思考する間もなく、彼は宗治の背後へとその身を投げ出した。

 ドシュッ!

 乾いた発砲音。

 リュウジの左肩が弾け、鮮血が舞う。肉を穿つ鈍い音が、宗治の鼓膜を震わせた。

「ぐぅッ……!」

 衝撃で吹き飛びながらも、リュウジは宗治をかばうように倒れ込んだ。

「てめぇッ!!」

 ケンの銃がタツオの額を捉え、正確に撃ち抜いた。

「リュウジ!」

 宗治が叫ぶ。

 タツオの体が仰け反り、スローモーションのように甲板の柵を越えていく。彼が落ちていった海面には、すでに無数の背びれが待ち構えていた。

 宗治がリュウジの身体を調べる。肩の傷は深いが、意識はある。

「へっ……新郎さんの身体に風穴開けさせるわけには、いかねえだろ……」

 苦痛に顔を歪めながらも、リュウジはニヤリと笑ってみせた。

 ズズズズズ……ッ!

 船体がいよいよ垂直に近い角度で持ち上がり、最後の沈没(ダイブ)が始まろうとしていた。

「飛びますよ! リュウジさん。船が沈む時、猛烈な上昇気流が生まれます。それに乗るんです!」

「兄貴本当に飛べるんでしょうね!? トム・クルーズだって難しいぜこの状況……」

 ケンの声が裏返る。

「エンジンルームにC4を仕込んでおいた。爆風も利用するのさ、行くぞ」

 宗治は遠隔爆破スイッチを押した!

 ドカァーン!

 船内からの鈍い音と共に爆風が激しく吹き上げてくる。

「今だッ!!」

 宗治の合図と共に、三人は空へと身を投げ出し、パラセールのコードを引いた。

 直後、背後で巨大な水柱が上がり、数千トンの鉄塊が海中へ引きずり込まれる。爆風と圧縮された空気が吹き上がり、その上昇気流に乗り三人のパラセールを強引に空へと押し上げた。

 一瞬の静寂。

 眼下には血に染まったカリブの海に無数の蠢くサメの群れ。

 おぞましい光景の中最後、船のスクリュウの影が真っ青な海中へと消えていった。

 だが、安堵も束の間。

 爆風が収まると、カリブ海の穏やかな風に変貌する。揚力を失ったパラセールは、サメが群がる海面へ向かって急速に落下を始めるのだった。

「冗談じゃねえ! 下見ろよ! 喰われるぞ!」

 ケンの絶叫。波間に光る無数の牙が、すぐそこまで迫る。

 バララララララ……!!

 その時、頭上から強烈なダウンウォッシュが叩きつけられた。

 見上げれば、夕陽を背に一機のヘリコプターが割り込んできている。

『お待たせ! いやあ、最高の画が撮れましたよ!』

 はるか頭上に自動操縦でホバリングさせた後部座席から新田が叫び、カーゴネットを投下した。

「最近のAI制御って便利だよな。俺より静かにホバリングさせられる」

 そう言いながら新田は眼下の3人を引き上げる準備をした。

 サメが海面を割り、宗治のブーツの僅か数メートル下で顎を閉じる。

 間一髪。三人はネットにしがみつき、地獄の海から蒼穹へと引き上げられていった。

 ***

 2日後のバハマ。ナッソーのプライベートビーチにあるバーで、四人の男たちがグラスを傾けていた。

 南国の陽光の下、アロハシャツを着た彼らは裕福な観光客にしか見えない。唯一、リュウジの左肩を吊る白い包帯だけが、数日前の修羅場を物語っていた。

「ニュースを見ましたか?」

 新田がタブレットをテーブルに滑らせる。

 画面には「不運な座礁事故」として報じられる『ホルティス・モルティス』の沈没映像と、新垣タツオ含む乗員全員が行方不明(推定死亡)であると伝えるキャスターの深刻な顔が映っていた。

「新田さんの作った『SOSの偽装記事』と、あの悲劇的な映像を地元メディアにリークしたおかげで、新垣組は事故死扱い。おまけに地元警察まで受信した救援要請の音声まで流しちゃったりして。完璧な隠蔽で幕引きですね」

 宗治が満足げにマイタイを揺らす。

「それ故にこの一件で抗争に発展することも無く。一件落着」

 ケンが付け足して言った。

 リュウジは呆れたように首を横に振った。

「未だに信じられねえな。たった3人で、あんな要塞みたいな船を沈めちまうとは。……一体どういう魔法を使ったんだ?」

「魔法じゃないですよ。心理戦です」

 宗治はサングラスを少しずらし、得意げに語り始めた。

「あの船は、もともと古びた揚陸艇の体に、最新鋭の電子頭脳(GPSと海図)を無理やり詰め込んだハリボテの要塞でした。タツオたちはその『最新鋭』を過信していた」

「ケンが仕込んだウィルスは、船を壊すものじゃなかったんですよ」

 と新田が補足する。

「そうそう、ただ、『現在地を数キロずらして表示する』だけの嘘つきプログラムです」

 宗治も笑った。

「嘘つきプログラム……?」

「ええ。そこへ俺たちが偽の沿岸警備隊として『航路を外れているぞ』と警告した。すると彼らは、自分の目や感覚よりも、目の前の『完璧なディスプレイ』の表示を信じて舵を切った。……結果、自分たちが安全だと思って進んだ先が、あの『シャーク・セメタリー』の岩礁だったというわけです」

 宗治は氷をカランと鳴らした。

「ハイテクに頼り切り、窓の外の現実を見ようとしなかった。それが彼らの敗因です。座礁させてしまえば、あとはLCUの肝、つまりあの船の入口をこじ開けて、サメを招き入れるだけでしたから」

「なるほどな……。奴らが散骨に使っていた『死の庭』に、自分たちが散骨されちまったってわけか……だが、座礁した船をどうやって動かして沈めた? お前ら、ブリッジは制圧してなかっただろ?」

 リュウジの疑問に、それまでカクテルの飾りをいじっていたケンが、ニッと歯を見せて身を乗り出した。

「へっ、リュウジさん。あの船の構造は特殊で船を動かすのに、わざわざ一番上の『操舵室』まで行ってドンパチやる必要なんてねえんすよ」

 ケンは得意げに鼻を鳴らした。

「操舵操作をできなくても、直接バラストウォーターさえ操作すりゃ、地下室で水をちょいと移動させるだけで、あのデカブツも前後ぐらいならコントロールできる。要は、体重移動で曲がるスケボーと同じっすよ! 重心を後ろにすりゃバックするし、前にすりゃ沈む。そんだけの話です」

「なるほどな……。ハイテクに頼り切った奴。君らは一番原始的な『水』の重さだけで船を動かしたのか」

 リュウジは海を見つめ、静かに息を吐いた。

「タツオの野望も、親父さんの因縁も、全部サメの腹ん中か……」

「これで義理は果たしましたよ、リュウジさん」

「ああ。……礼を言うぜ。お前らのおかげで、俺も生き恥を晒さずに済んだ」

 四人の笑い声が、波音に溶けていく。

 硝煙と血の匂いは南国の風に洗われ、そこにはただ、どこまでも青く、残酷なまでに美しいカリブの海だけが広がっていた。

 ***

 後日談。

 結婚式当日の朝。リュウジはまだ病院の一室にあった。ベッドの脇では、鬼龍組の若い衆が退屈そうに週刊誌をめくっている。護衛とは名ばかりの、平和ボケした空気が漂っていた。

 そこへ、マスクをした一人の看護師が入ってくる。

「検温の時間です」

「あ? 今いいとこなんだよ、後にしてくれねえか」

 若い衆が面倒くさそうに顔を上げるが、彼女は無視してベッドへ歩み寄る。白衣の下に隠されたその瞳には、清楚な見た目とは裏腹の冷たい炎が宿っていた。

 その女はボイスレコーダーをベッド向かって投げてきた。

「誰だおめー。なんのようだ」

 チンピラが銃を向ける。

「はじめまして、あなたがリュウジさん? ……私の父、新垣がお世話になりました」

 彼女は、数日前に宗治たちが葬った新垣タツオの一人娘だった。

 驚愕し、身構えるリュウジに対し、彼女は復讐の刃を向けることも無く淡々としていたが、その目は真っ直ぐにリュウジを捕らえていた。

「父はあんたの組織を調べていたわ。これをネタに厳心を強請るつもりだったのよ」

 そこに記録されていたのは、かつてリュウジの妻子が殺された抗争において、厳心が保身のためにリュウジの住所を敵に売ったという決定的な証拠だった。

「父を殺したのはあなたたち。でも私もこれで自由だし。これで泥臭いヤクザの世界から解放されたわ。その御礼になるかわからないけど、この行き所を無くした『真実』はあなたには必要なのかもと思って持ってきたの。それじゃ」

 彼女はそう告げて一礼した後去っていった。

 リュウジは、信じていた「親父」の裏切りを、宗治の結婚式の当日の朝に知る事になろうとは夢にも思わなかった。

 部屋の時計がただひたすらとそして、淡々と、次の悲劇の幕開けへと時を進めるのだった。

(第8話 完)

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