アンドロイド・ロス

真野蒼子

1

 狭い箱のような部屋は鮮血で染まった。カーテンの隙間から差し込む光だけが、日中であることを教えてくれる。

 ベージュのカーペットの中央に、白いワンピース姿の女性が正座していた。


「私には……」


 女性は丸い物を抱いている。

 人間の頭部だ。

 いや、違う。首からケーブルが飛び出している。

 ――アンドロイドの、頭部だ。


「もう、アンドロイドだけ……」


 女性は、壊れたアンドロイドの頭を撫でていた。ただひたすらに。



 テレビ画面が真っ赤に染まったとき、宮川みやがわはテレビを消した。朝一番、出勤前に見るニュース映像としては最悪だ。リモコンをテーブルに放り捨てる。


「……尊敬するわ」


 眉間にしわを寄せ、赤いケチャップライスを口へ放り込んだ。ペットボトルの緑茶を飲み干したら、ごみ袋に入れる。

 食べこぼしたケチャップライス付きのパジャマを、適当にソファの上へ捨てた。パリッとしたオフィスカジュアルに着替える。半袖のブラウスは、白く輝いていた。

 廊下に置かれたゴミ袋を蹴飛ばし、行く手を阻む段ボールを踏み潰す。玄関で散らばったスニーカーを踏んづけて、パンプスを履いて外へ出た。施錠をして、エレベーターで地上へ降りる。外気に触れると、瞬時に汗が噴き出した。


「異常気象は、ほどほどに頼むよ……」


 今年の夏は異常だ。駅まで五分の距離さえ、億劫に感じる。腕で汗を拭うと、宮川は自分の部屋を見上げた。角部屋で、外から窓が見える。

 閉じたままのカーテンが揺れていた。

 少しの間だけ見つめると、腕時計へ視線を落とす。


(十七時から家事代行サービスが来る。早めに帰らないと)


 足早に出勤すると、病院の制服と白衣に着替えた。自分の受け持つ診察室へ入り、パソコンを立ち上げる。すると、うしろから、女性の看護師に声をかけられた。


「おはようございます、宮川先生。最初の患者さんなんですけど――あれ? 顔色悪くないですか?」

「嫌なニュース見ちゃって。朝イチ、藤原さんよね。悪化してないといいけど」

「してますよ。先月、宮川先生のお休み中に。マーキングレッドです」

「え、本当?」


 宮川はマウスに手を乗せ、素早くクリックした。電子カルテの最終診察日は、六月十五日になっている。患者ステータス欄は赤く塗りつぶされていた。


「……末期か。思ったより早かったわね」

「ですね。先生は、体調もう大丈夫なんですか? 夏にインフルって珍しいですね」

「私のことはいいのよ。パーソナル科にコンサル。新野にいの先生を呼んでおいて」

「わかりました」


 電子カルテを読み返していると、老齢の女性が入ってきた。傍には五十過ぎの娘も付き添っている。


「おはようございます。調子はどうですか。ちゃんと眠れてます?」


 藤原は、深く息を吐いた。


「……起きられないんです。まだ、お医者さまが見つからなくて……」


 心の中でため息を吐く。藤原の言う『お医者さま』は、人間の医師ではない。


「アンドロイドじゃなくて、藤原さんご自身ですよ。アンドロイドのエンジニアは、医者ではありません。お食事は、できてますか」

「輸血をね、してあげたいんです。どうしても、お願いできませんか」

「無理なんです。私はカウンセラーです。エンジニアでも、医師でもないんです。ボディに触れることは、できません」

「お願いです。私には……もう、あの子だけなんです……」


 宮川は、思わず目を伏せた。娘が隣にいるのに、出るセリフじゃない。


(ロックだな)


 そっと藤原の娘に目をやると、憔悴しきっていた。目の下には隈ができている。

 アンドロイドに依存しすぎると、およそこうなる。本人も家族も、立ち直るきっかけを失ってしまう。そうなれば、行きつく先は赤ペンキ事件だ。

 依存症の末期になると、宮川にできることはない。話を聞き病状を判断する――それだけが、許される業務領域だ。あとは、笑顔を作るだけで終わる。


「それじゃあ、別の医師に相談してみましょう。お呼びするので、待合室でお待ちください。娘さん、少しよろしいですか」

「……はあ」


 看護師の付き添いで、藤原は診察室から出た。宮川は娘を椅子に座らせ、一冊のパンフレットを取り出す。表紙には『アンドロイド・ロスのあなたに』と書いてある。

 いつもの三ページ目を開き、机に広げて見せた。


「アンドロイド葬儀業者です。なにが葬儀だ、と思うかもしれません。でも、依存症患者には、心の区切りになるんです。様子を見ながら、提案するのもいいでしょう」

「……余計に引きずりませんか。いっそ、捨ててしまえばと思うんですけど」

「無理に手放すのは、悪化の原因になります。まずは、人と接する機会を増やすのがいいでしょう。また来月、いらしてください」

「はい……有難うございます……」


 パンフレットを渡すと、藤原の娘は力なく受け取る。丁寧に鞄へ入れて、力ない会釈をして出て行った。

 ドアが完全に閉まると、入れ違いに、スタッフ専用ドアが開いた。入ってきたのは、同僚の新野だ。アンドロイドのプログラム専門エンジニアをしている。


「どう?」

「アンドロイド依存症、末期確定です。アンドロイド本体のほうは、どうですか」


 新野は緑色のクリアホルダーをくれた。中には診断書が入っている。患者ではなく、アンドロイドのほうだ。

 依存症患者のケアは、アンドロイドの状況も重要になる。


「ボディは問題ないわ。でも、パーソナルは復旧できない。ウィルスでやられてた」

「じゃあ、いっそ諦めもつきますね。葬儀すれば回復するでしょう」

「だといいけど。ねえ。今日、ランチ一緒に行かない? 余裕あるんだよね」

「いいですよ。私も、午前は予約少ないんで」

「決まりね。じゃあ、またあとで」


 笑顔で手を振って、新野は出て行った。患者とは真逆で、明るい人だ。ふとパソコンを見ると、予約外患者に二人も追加されている。


(……保険適用外だってのに、よくやるわね)


 アンドロイド依存症のカウンセリングは、医療には含まれていない。薬も出ない。ようは、一般人よりは医療に詳しい人間が、お喋りしているにすぎない。

 ランチは院内の食堂だろうか。時間があれば、外へ行くのもいい。朝から昼食へ想いを馳せ、宮川は入室案内を告げるブザーを押した。

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