Track 11:何の曲

 急いで二年六組へ走る。月見里さんをこれ以上待たせるわけにはいかない。


「すみません、お待たせしました!」

「確かに長かったですね。それで、軽音部の問題は解決なさったのですか?」


 月見里さんが一人で教室で待っていた。他の生徒はもう帰ったはずだ。申し訳ない。


「一応解決したらしい……というか、俺は軽音部じゃないんです」

「ではなぜ軽音部の方々とご一緒なのですか?」

「もともと外で待ってたんですけど、なぜか一緒に連れ込まれて」

「そうですか。まあ、結構です。棗田先生から伺いましたが、わたくしへの資料をお持ちだそうですね」


 月見里さんの態度が昨日の温和な様子とは全く違う。かなり冷たくて、罪悪感がさらに重くなった。


「あ、はい、これです」


 フォルダーを月見里さんに渡す。彼女は見もせずに直接カバンにしまった。


「確かに受け取りました。では失礼します」

「あ、待ってください!」

「……何かご用ですか?」


 行く手を阻まれた月見里さんが、明らかに不快そうな表情を浮かべる。俺は迷わず頭を下げた。


「昨日は本当に申し訳ありませんでした!」

「……何のことでしょうか?」

「その、月見里さんのピアノを勝手に評価したことです」

「気にしていません。あなたはただ事実を言っただけですから」

「……え?」

「とにかく、以上です。謝る必要はありません。すべてはわたくしの力不足が原因ですので。不足を指摘された天晶さんに、非はありません」


 月見里さんが俺を避けて、足早に教室を出て行く。呼び止めなかった。追いかけもしなかった。月見里さんがあんな表情をしていたから。

 今にも泣き出しそうな表情を。


 ◆ ◆ ◆


 バイトがないから、月見里さんが帰った後、俺もそのまま家に帰った。

 結局今日も疲れた。主に生徒会室に連れ込まれたことと、月見里さんへの謝罪でエネルギーを使い果たした。

 夕飯までまだ時間がある。着替えてから、オフィスチェアに崩れ落ちた。

 疲れたけど、今日の昼のセッションを記録しておきたい。重要な作曲のヒントだから。パソコンとCK88を起動して、DAWを開く。記憶を頼りに昼の即興のメロディーとリズムをトラックに打ち込んでいく。

 作業の途中で、スマホの通知音が鳴った。望楽みこのからのメッセージ。


『今行っていい?』

『いいよ』


 数分後、部屋のドアをノックする音。


「どうぞ」

「お邪魔ー。作曲中?」

「セッションの内容を記録してるだけ」

「ほぼ同じじゃん。よいしょ」


 軽装の望楽がベッドの横に座り込む。俺の両親は一年のほとんど家にいない。緊急時のために、空元家にうちの合鍵がある。望楽はそれをいいことに勝手に来ることが多かったけど、高校に入ってからようやく事前連絡するようになった。


「何か用? まだ時間かかるけど」

「別に。夕飯まで暇だったから来ただけ」

「じゃあ続けるぞ」


 望楽は邪魔せず、静かにしている。約半時間後、三曲全部入力し終えた。ヘッドホンを外して、大きく息をつく。


「終わった? 聴いてもいい?」

「ああ」


 音声出力をスピーカーに切り替えて、ピアノとドラムとギターだけの音源を流す。


「いいじゃん。でも何でギターが入ってるの?」

「バイト先の雲井さん、今年たまたま同じクラスになったんだ。昼休みに来たいって言ったら、和響がギター持ってこいって」

「へぇー、ふーん。あたしの誘い断ったくせに、他の女の子にはギター弾かせるんだー」

「何だよ。別にバンド組んだわけじゃないし」


 それに女子かどうかは関係ない。


「そっかー。バンドじゃなければ勝手にセッションに入れていいんだー。あたしは全然誘ってくれないのにー」

「語尾伸ばすな。お前昼休み時間ないだろ。ランチ誘いたいやつが廊下まで並んでるじゃん」

「あー、言わないで。思い出すだけで疲れる。はぁ、あたしも音楽室に籠もってお前らと遊びたいのに。でも放置したらアンチが湧くし……」

「はいはい、有名人は大変だね」


 望楽は校内でミコ・ノートだと公表しているけど、個人情報は漏れていない。

 一つの理由は、彼女の円滑な対人スキルと他の生徒との信頼関係。誰にでも愛想よく、平等に接する、みんなのミコ・ノート。それが今の望楽の立場だ。

 だから休み時間も昼休みも、登下校の道も、ファンと話したり、コメント返したり、イメージを保つために使う。休憩時間を全部ファンサービスに変える。それが代償だ。


「そういえば、軽音部の件どうなった?」

「あの時聞いた通り。伴奏やってもらう。部長以外の全員がステージに立つ。ギター一人、ベース一人、ドラム一人」

「部長はボーカルオンリー?」

「うん。だから立てない。ギター弾けたらリズムギター譲れたんだけど、無理そう」


 あっさり出番を譲るのか。これから受験勉強が始まる三年生にとって、新歓は学校のステージに立てる最後のチャンスのはずだ。あの部長、本気で軽音部のために腹を括ったらしい。


「でも本当に間に合うのかな? 主に時間が短すぎる。雲井さんから聞いたけど、実績ないらしいし、実力もどうかと思うけど」

「その雲井さんが軽音部のギタリストだね。下手なの? 即興までできてたじゃん」

「雲井さんのギターはすごい。でもバンドで一人だけ上手くても、他がついてこれなきゃ意味ない」

「りつ、音楽の話になると容赦ないよね」


 ……そうか?

 いや、演奏者の前で「つまらない」って言ったからな。否定できない。


「そうだ、曲目を軽音部が元々演る予定だった曲に変えられない?」

「難しいな。今の曲もあたしが決めたわけじゃない。理事長が聴きたいって」

「……マジで?」

「嘘ついてどうする。だからダメなんだよ。理事長にも色々助けてもらってるし、一曲の義理も返せないのはちょっとな」

「そっか。じゃあ無理だな」


 望楽の個人情報の安全は、一部は本人と生徒の自主性、一部は学校側のサポートもある。

 うちの学校には新設された、在校生と教職員だけが使えるSNS「オミー」があって、ある程度望楽の情報流出を防いでいる。これもたぶん理事長関係だろう。

 他にもセキュリティ強化とか専門的な対策もあるけど、望楽一人のためじゃないにしても、結果的にすごく助かっている。


「まあ軽音部を信じるしかないな。最悪、ダブルギターとあたしの声で何とかなる」

「歌はともかく、お前のギターそんな上手くないだろ」

「うるさい」

「でも確かに、ドラムとベースがリズム崩さなくて、お前と雲井さんの音を大きめにすれば、初心者の興味を引くくらいの表現力は出せるだろうな」

「……りつがそこまで認めるなんて珍しいね。あたしのギターは一度も褒めたことないくせに」


 望楽が不満そうに唇を尖らせる。


「しょうがないだろ、雲井さんはそれくらいすごいんだから。初めての即興でついてこれて、しかも俺たちより強烈な存在感を放ってた。でも一人で暴走するわけでもない。高い技術だけじゃなくて、ギタリストとしての自覚もある。驚いたよ。あんな実力者がいる軽音部が無名だったなんて信じられない」


 俺の話を聞いて、望楽はさらに不機嫌そうになった。


「あたしのことは一度も褒めないくせに……」


 うわ、めんどくさ。


「はぁ、お前の強みはギターじゃなくて歌だろ」


 望楽のギターは決して下手じゃない。少なくともネットで何万人ものファンを惹きつけるレベルだ。でも望愛ねえや灯詩、雲井さんと比べると、やっぱり見劣りする。

 それに、あの抜群の歌声と比べたら、ギターはどうしても俺の意識の外になる。


「だからさっきも言っただろ、お前と雲井さんの音を大きくすれば。曲にアカペラとかギターソロがあれば、もっと効果的かもな」


 そういえば、こんなに話してるのに、望楽が何の曲を演るのかまだ聞いてない。本人も自分から言わないし。


「ところで、理事長が指定した曲って何?」


 望楽が小さく身じろぎした。目も微かに逸れている。何か隠し事がバレた時の反応だ。嫌な予感がする。


「望楽、何の曲演るんだ?」


 俺の声が勝手に低くなる。


「あ……」

「望楽」


 望楽は俺の目を見ようとしない。表情も強張っている。彼女は唇を引き結んで、なんとか俺と目を合わせてから、口を開いた。


「……『Radiant Rushラディアント・ラッシュ』」


 曲名を聞いた瞬間、頭の中で何かがブチ切れた。熱い液体がどんどん溢れ出す。

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