【短編】again
高天ガ原
1. 虚勢
死に物狂いで別れようとする凜の相手に疲れていた。口を開く度に「私なんかが彼女で良いの?」と不安げそうだから、励まし方が分からない。
彼女はいわゆる婚外子と呼ばれる存在で、親の不貞によって生まれた。そのせいか、親戚からは忌み嫌われ、親からも良い教育を受けていたとは言えない環境に居たようだ。それを裏付けるように凜の自己肯定感が養われていない。
むしろ、自己否定感とでも言うべき加虐思考があり、不安が高まれば「私なんかと一緒に居たら不幸だ」と決めつけて混乱し始めてしまう。だけど、僕はそんな凜が大好きだった。
彼女は自分を犠牲にしてでも大好きな人を幸せにしようとするし、見知らぬ人にでもお節介をしてしまうような優しい人なんだ。「私なんかと一緒に居たら不幸だ」と言っている割には、ちゃんと尻拭いのように善行を積んでいるので報われるべき人だと思う。ただ、本人が自身の凄さをなかなか自覚してくれなくて困っていた。
「ねぇ、祐くん。ボーッとしないで。あなたのために言ってるの」
カフェの外を眺めながらボーッと雨粒を数えてみたが、やはり凜は落ち着かない。不安で興奮状態の彼女には沈黙が毒になるようだ。このままでは違う方向にも暴走しそうなので、対処しなければなるまい。だからといって、僕も言えることは全て言ってきた。何度、好きだと直接的に言ったことか。何度、君の好きなところを指折りして数えたことか。そして、何度……君を泣かせてきたか。
それでも足りないとばかりに、凜は今日も私を問い詰める。信じてもらえていない、と感じるけども信じさせれるような人間でない自分も悪いと思っている。だからといって、彼女を振ることだけはしたくなかった。僕は静かに言う。
「凜。僕は、君が大好きだよ。あなたがどんな人間になろうと、僕は君を支えたいんだ。君が気づいていないだけで、僕は君への返しきれない恩で壊れちゃいそうなんだから。せめて、返しきったと思うまで、一緒に居させてよ」
その言葉を聞いた凜は一瞬だけ頬を緩めたが、すぐに顔をこわばらせる。
「別に、自己破産って感じで私を捨てても良いんだよ? 私はあなたを恩で縛り付けたいわけじゃないの」
相変わらず悲観的なことを言う彼女に僕は優しく言う。
「別に、恩がなくても僕は君のそばに居たいんだ。何度も行ってきたが、僕は君の目が好きなんだ。唇が好きなんだ。そして、声も紡ぐ言葉も大好きなんだ。ちょうど良い身長で、抱き心地がよくて、髪からはふわっと甘い香りがする。君の好きなところを僕は何度、君の前で数えたことだろう」
すると、凜は悲しそうに目を下げる。
「ごめんね、何度も言わせちゃって。一回で分かれば良いのに」
そんな彼女へ僕は笑いかける。
「辛いときに自然と思い出せるまで、僕は君に言い続けるよ。君は魅力的だ、って」
それを聞いた凜が少しだけ涙を流した。愛されていると分かっているのに、不安だからだろう。本当に愛されていて良いのかも分からないし、愛されていると感じているかさえも不安なのだろう。彼女の話を聞く限り、凜は相当、愛に対して鈍感だ。重すぎるほどの愛を受けてなお、足りないと言っている彼女だから当然かも知れないのだけども。でも、その鈍感さが可哀想にさえ思える。
「ねぇ、凜。雨って必要かな?」
もう一度窓の外に視線を向けながら、僕はそう尋ねる。何気ない雑談に見えるが、これこそが大事な話なんだ。僕はそう思いながら、凜の答えを待つ。すると、凜は短絡的に「何が言いたいの?」と尋ねてきた。本題すら話していないのに本題を知りたがる凜に僕はため息をつく。いきなり趣旨を尋ねるのは無粋じゃないか? そう思いながらも僕は「良いから、率直な意見を聞かせてよ」と答える。
すると、そこから数分、凜は真面目に黙り込んで考えていたようだ。しかし、やっと口を開いた。
「うーん……。雨なんてジメジメするし、頭が痛くなるし、良いことなんて無いから要らないかな」
雨の日に調子を崩しがちな凜らしい答えだ。予想通りの答えに僕は内心でほくそ笑む。本当はここで二元論にとらわれた答えを言うこと自体が間違いなのだが、まぁ、底は今から説明するとして。
「じゃあ、雨がなくなったら世界は平和かな?」
僕の問いかけに凜は「きっとそうだよ」と口を尖らせた。でもね、そうじゃないんだよ。
「そっか。なら、凜は世界中が砂漠になっても同じことを言えるかい? 雨って地球の温度を調節する大事な機能なんだよ。それに、農業をしている人からすれば雨が降らないなんて地獄過ぎる」
すると、それを聞いた凜は不満そうにしながら僕の手を握った。
「じゃあ、私が間違っているって言うの?」
彼女が手を握るときは大抵、不安なときだ。それを分かっているからこそ、僕は彼女を否定しない。
「誰も君の考えを否定することはできないよ。だって、君の考えは君のモノだから他人がどうこう言う筋合いはない。ただ、君の見えていないところで役に立っているモノを本当に捨てないで欲しいってこと」
それを聞いた凜は意味を悟ったのか不満そうに「えー」と言った。凜はきっと分かっているんだよ。自身を信じられないから無いことにしているだけで、凜が様々な人に良い影響を及ぼしていることくらい。ただ、命を捨ててしまいたいと思うほどに苦しんでいるのも理解しているから、僕は必死に君を救おうとしているんだ。
「凜から見て、僕は損しているように見えるかも知れない。だけど、僕は凜といることが幸せなんだ。僕の考えを否定しないで受け止めてくれよ。ボクが幸せだって言っているんだから、よしってことにして欲しいんだ」
僕の言葉に凜は食らいつく。
「信じられないよ。雨と祐くんの幸せは違うもの。雨はさ、ちゃんと目で見て分かるけど、祐くんの幸せなんて見ても分からないよ。祐くんが幸せだなんて信じられないよ。だって、祐くんはもっと幸せになれる……」
「凜」
僕は凜の言葉を遮った。根本的に見落としていることがあるからだ。いや、凜が直視したくない現実がよく分かるからかもしれない。
「凜が思っているほど、幸せってわかりやすくないからさ。そんな勝手に僕の幸せを決めつけないでよ」
僕の言葉に凜は黙り込む。きっと、彼女は幸せというモノを理解していない。もっと言えば、彼女はきっと……。
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