【常世の君の物語】No.15:鳥絵

くさかはる@五十音

第1話:鳥絵

一筋の涙が、頬をついと流れた。


鳥絵(とりえ)はしばらくそれを流れるがままにして、頭上に広がる青空を眺めていた。

青く、抜けるような空がどこまでも広がっている。

雲一つない晴天で、鬱屈した気分を余すことなく吸い取ってくれそうな気がする。


このまま空に溶けてしまえたら――。


がりがりに痩せた腕を空へと伸ばす。

しかしすぐに、いけない、気弱になっては。と気持ちを切り替えた。


この年、ここ近江国を、大規模な飢饉が襲っていた。

人々は日々、食べるものを探して野山に分け入り、我先にと木の実をもいだり拾ったりしている。

それも尽きると道端の草を湯がいたものを口にし、飢えをしのいだりしていた。

軒先にはやせ細った子供を抱く物乞いの母親や、病に倒れた人々の屍が並び、町という町から活気が失われ、金貸し以外の商いは立ち行く術を持てずにいた。


小高い丘の上にあって、眼下に広がる近江の町、そして国の惨状など微塵も介さぬ堂々たる琵琶湖のたたずまいを眺めながら、十六歳になる鳥絵は、そのやせ細った体を真夏の太陽の下にさらしていた。

十分な物を食べていないせいか、容赦ない太陽の日差しの下にあっても、汗の出る気配はまったくない。

このままからからに干からびてしまうのではないかと思うほどである。

鳥絵の胸中に、再び気弱の虫が這い寄ってきたかと思った時、一人の少女が丘を登ってきた。


「鳥絵ったら、こんな所にいた!暑いんだから、家の中にいればいいのに」

そう声をかけてきたのは、近所に住むセツである。


「家の中にいると、町中の病や死体の匂いが体に染みついてしまうだろう。それに気分だって暗くなる。せっかくお天道様が顔を出しているんだ、天気もいい。ここに寝転んで風に吹かれている方が百倍ましというものだ」

鳥絵は、隣に座ってきたセツにそう説明した。


「お父さんの手伝いをしなくて大丈夫なの?」

と、息を整えながらセツが問う。


「今の近江国の状態を聞きつけて、旅人は激減してるし、あらゆる商いはあがったりだよ。そんな中にあって、今、この国で馬借に仕事を頼みたいっていう人間がいたらその顔を拝んでみたいよ」

鳥絵は面白くなさそうに言い捨てた。

馬借とは、依頼を受けて馬で物を運ぶことを生業としている者のことであるが、その多くが貧しい農民でもあった。


それから二人はしばらく丘の上で風に吹かれていた。

やせ細り、汗もかかない二人の若い体の表面を、真夏の太陽が容赦なく焦がしていた。


どれほど経ったろうか。

「そろそろ行こう。子供たち、みんな、鳥絵を待ってるよ」

と、火照ってのぼせた頭に、セツの声が響いた。


そうだ、みんなが待ってる。


「うん、行こう」

鳥絵は太い眉をきりりとあげると、しっかと目を見開いて、セツの手を取った。


丘を下り町に消えてゆく二つの影を、空の高いところで飛び交う鳥たちの目が、はるか彼方からとらえていた。

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