滅び行く世界への鎮魂歌

天乃聖樹

第1話・下級市民

 その日も、ごく普通の平凡な朝だった。

 都市ネストの地上エリアには、下級市民ハタラキアリが住むスラム街、工場街、処分場などがある。

 一応、上空は透明な防御フィールドで囲まれているものの、それだけでは弱く、破壊的な朝の紫外線が降り注いでいた。

 地上エリアの建物は昔に建てられたものばかり。倒壊した外壁やむき出しの鉄筋が生々しい。

 そんな家々の一つから、一人の少年が姿を現した。

 少年の名前はアヤト、17歳。着古した洋服の上に、ぼろぼろのシーツを被っている。

 地上エリアの紫外線は強く、肌を覆わなければ命が危ない。

 アヤトは家のドアを閉めて、学校へ出発した。閉めたといっても、折れ曲がったドアはきちんと閉まるはずもなく、ただ家の中が見えないような位置に動かしただけ。

 道に散乱する壁の残骸やごみを器用に避けて歩く。ごみを片付けようとする者は、地上エリアにはいない。そんな無料奉仕を行う余裕がある者など、ここにいるわけがない。

(今日も熱いな)

 アヤトは手袋をした右手を目の前にかざした。シーツから露出した目と鼻が、紫外線に灼けてひりひりと痛む。

 ちょうど通勤通学のラッシュ時間。スラムからは、ぼろで身を包んだ人々がちらほら出てきていた。

 アヤトは、街の中心部にある、地下エリアとの唯一のゲートに入った。地上と地下は、ここのエスカレーターで繋がっていた。

 はしたないと思いながらも、エスカレーターの段に腰を下ろす。

 最近、妙に体が疲れやすい。まだ朝だというのに、ちょっと歩くとこれだ。

 エスカレーターが地下エリアに進むにつれ、冷たく澄んだ空気が広がった。顔に掛けていたシーツを外す。顔が露わになる。意志の強そうな瞳と、固く結ばれた唇。

 エスカレーターを下りてゲートから出ると、地上とはうって変わって庭園のような景観が開けた。地下エリアには、上級市民ハタラキバチの住む高級住宅街、官公庁、学校などが建ち並んでいる。

 塗装が剥がれた建物などないし、ちゃんとしたドアに加え、窓ガラスまで付いている。

 『大天使』という称号で呼ばれる都市ネストの主の城も、この地下エリアの中心にあった。

 道沿いには本物の樹が植えられている。劣悪な環境でも育つよう改良された品種だが、地上ではこの樹さえなかなか育たない。たとえ育ったとしても、下級市民ハタラキアリには苗を買う余裕などない。

 ゲートからは通学中の子供たちがたくさん降りてきていた。皆、粗末な服を着ていて、地上で被っていたぼろ布を脇に抱えている。

 着飾った上級市民ハタラキバチの人々は、嫌悪と侮蔑の混じった目でアヤトたち下級市民ハタラキアリを見た。

(ふん、見下したければ好きにしろ)

 アヤトはその種の視線は慣れっこだったから、気にもせずに学校への道を急いだ。

 車は一台も走っていない。人口が減少し、人間の住む領域も縮小した現代、都市ネストの中で車を使う者はいない。

 並木道を進むと、白亜の建物が見えてくる。アヤトの通う学校は、横に広い一階建ての平屋根の建物で、百人の児童を収容することができた。この都市ネストに学校は一つきりだが、それでも十分に事足りる。

 学校前の大道路には、地上・地下両方の子供たちが登校中だ。

 上級市民ハタラキバチの子供たちは食べ物に恵まれているため、血色や体格が良い。彼らは、皺も穴もない洋服を着て、意気揚々と歩いている。

 対照的なのは下級市民ハタラキアリの子供たちだ。顔は青ざめ、骨と皮だけの者が多い。地下エリアは自分たちのいるべき場所でないと分かっているので、身を縮め、申し訳なさそうに歩いている。

(情けない。人間の価値なんて、ハチかアリかで決まるわけじゃないだろうが)

 アヤトは努めて背を伸ばし、大股で歩いた。貧しさは嫌いではなかったが、貧しさに尊厳を奪われるのだけは我慢ならない。

 学校の入り口の前に到着し、足を一歩踏み入れると、アヤトは意識を失った。

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