第6話 消えた協賛金

 「便利屋しのはら」の事務所の窓越しには、冬の乾いた風が吹き抜けていた。表通りからは「いらっしゃい! 歳末セールだよ!」と声が響き、買い物袋を提げた人々が行き交う。


 魚屋では鰤や数の子が並び、豆腐屋の大鍋からは白い湯気がもうもうと上がる。八百屋の店先には正月用の白菜や大根が山と積まれ、電器店では餅つき大会のチラシが貼られていた。

 下町の商店街は、一年でいちばん活気に満ちている時期だった。


「今年も終わりが近づいてきましたねぇ」

 真琴がチラシの山を整えながら、外の喧騒を横目に呟く。

「おせちの準備とか、商店街も大忙しでしょうね。透さんもお餅は好きですか?」


 篠原は机に肘をついたまま、缶コーヒーを片手に無言。問いかけに返事はなく、ただ小さく息を吐くだけだった。

「……まあ、どうせ甘い物しか興味ないんですもんね」

 真琴は肩をすくめ、苦笑した。


 そのとき、ドアベルがカランと鳴った。振り返ると、白いマフラーをきゅっと巻いた老婦人が立っていた。七十代に差しかかったばかりの、小柄な女性だ。指先は冷えに震え、バッグを胸に抱きしめるようにしている。


「便利屋さん……ちょっとご相談よろしいでしょうか」

 声は小さいが切迫感があった。


「はい。木藤と申します。どうぞお掛けください」

 真琴は慌てて椅子を勧める。


 婦人は深く腰を下ろすと、ためらいがちに名乗った。

「私……荒木と申します。商店街で会計を任されているんですけれど」


 その言葉に、真琴は目を丸くする。

「えっ、会計さん! いつもお世話になってます。歳末セールの準備でお忙しい時期ですよね。どうされたんですか?」


 荒木はバッグの中を探る仕草をしながら、声を震わせた。

「大切な……協賛金の封筒が、なくなってしまったんです」


 事務所の空気が一瞬凍りついた。


「協賛金って……商店街のみなさんから集めたお金ですよね?」

「はい。抽選会の景品を買うために、各店から少しずつ出してもらったものです。

金庫にしまおうとしたのに……どこにも見当たらなくて」


 荒木の頬に、不安の色が濃く差していた。長年まじめに帳簿を付け、商店街を支えてきた彼女だからこそ、その狼狽ぶりが痛々しいほどに伝わる。


 真琴は慌てて立ち上がり、力強くうなずく。

「大丈夫です! 必ず見つけましょう。ね、透さん!」


 机の隅で缶コーヒーを開けた篠原は、短く答える。

「……行くぞ」


________________________________________


 商店街に向かう道すがら、冷たい風が頬を刺す。通りの片隅で一匹の猫が伸びをしていた。茶と白のぶち猫で、首輪はなく、商店街の誰にともなく餌をもらっている半ば“看板猫”のような存在だ。「にゃあ」と声をあげ、真琴の足元にまとわりつく。


「ほら透さん、かわいいですよ。この子、よく商店街にいるんです。茶色いことから、商店街じゃ“ショコラ”って呼ばれてるんです」

 真琴がかがんで撫でると、猫は気持ちよさそうに目を細め、尻尾をゆらゆらと揺らした。その仕草を見ていた八百屋の主人が笑う。

「その猫かい? しょっちゅうウチの箱に潜り込むんだ。困ったもんだよ」

「でも愛されてますよね」


 真琴が笑顔で返す。篠原はちらりと一瞥し、無言で歩みを進めた。冷たい空気が頬をかすめる。



 商店街の集会所は、古びた木造の二階建てだった。入口には「歳末福引実行委員会」と書かれた手書きの貼り紙があり、扉を開けると石油ストーブの匂いが鼻をくすぐった。


 壁には過去のイベント写真やポスターが並び、紅白幕の切れ端がまだ外されずに吊るされている。年末特有の忙しさと、どこか懐かしい寒々しさが同居していた。


「こちらに入れておいたんです」

 荒木が指差したのは、鉄製の古い金庫だった。小さな鍵穴と取っ手がついたそれは、何十年も前からこの会館で使われているらしい。


「鍵は?」

 篠原が低く問う。

「私と、副会長の二人だけが持っています。昨日の夕方、確かにここに入れたんです」

 荒木の声は震えていた。


 真琴が金庫の扉を開ける。中は帳簿や領収書の封筒が整然と並んでいるが、協賛金の封筒はどこにも見当たらなかった。


「……本当に、ないですね」

 真琴は眉を寄せて荒木を見やる。


 篠原は無言で机の上に残された別の封筒を手に取った。

「日の出商店街 歳末セール協賛金」と太い字で書かれた文字。

 指先で紙の感触を確かめた瞬間、脳裏に像が走る。

──暗がり。

──小さな影が、ひょいと封筒を咥える。

──ふさふさとした毛並み。

──封筒が棚の隙間に押し込まれていく。


 像は一瞬で霧のように消えた。篠原は目を細め、静かに封筒を戻した。


「何か視えました?」

 真琴が小声で尋ねる。

「……まだ足りん」

 篠原は淡々と答えた。

「足りないって……」

 真琴は困惑しつつも、それ以上は聞けなかった。


 集会所の隅では、すでに他の商店主たちがざわめき始めていた。魚屋の主人が声を荒げる。

「誰かが持ち出したんじゃないのか」

「最近入ったあの雑貨屋、怪しいぞ」と八百屋が続ける。

 電器屋の主人は腕を組み、「若いアルバイトが怪しい。ああいう若者が怪しいんだよ」と唸った。


 荒木は必死に首を振る。

「そんなはずはありません! みんな信頼できる人たちです」

 だが言葉とは裏腹に、彼女の瞳には不安がにじんでいた。


 真琴は場を和ませようと声を張った。

「みなさん、落ち着きましょう。まだ盗まれたと決まったわけじゃありません。どこかに紛れてるだけかも」


 しかし、その言葉で疑念の火種はかえって広がっていく。

「紛れるわけがないだろ、あんな大金が」

「……いや、もしかして会計さん自身が――」


 荒木の顔が真っ青になった。真琴は慌てて彼女の肩を抱き、必死に否定する。

「そんなことありません! 荒木さんがどれだけ商店街を支えてきたか、みんな知ってるはずです!」


 だが集会所の空気は重く沈んでいく。歳末の賑わいとは裏腹に、疑念がじわじわと広がりはじめていた。


 篠原は窓際に立ち、冷たい外気に目を向けた。曇ったガラスに映る自分の影を見つめ、缶コーヒーをひと口。吐き出した小さな溜息は、白く曇ってすぐに消えていった。



 集会所の空気は、ますます張りつめていった。机を挟んで向かい合った商店主たちは声を荒げ、こうなるともう誰もが犯人探しに必死だ。

「どうせ競馬にでも突っ込んだんじゃろ!」

 八百屋の親父が突然、魚屋を指差した。

「な、なにを言うんだ! 確かに俺は馬券は買うが、そんな大金に手をつけるか!」

 魚屋は顔を真っ赤にして反論する。

「毎週GⅠだと張り切っとるのを聞いたぞ!」

「馬の名前は語るが、悪いことはせん!」

 口角泡を飛ばすやりとりに、場の空気がさらに殺伐とする。


「だったら誰がやったっていうんだよ!」

「新しく入った雑貨屋だ!」

「いや、若いアルバイトが怪しい!」

「おいおい、ウチの息子に疑いかけるなよ!もう更生したんだからな」

「その言い方が余計怪しいんですけど!?」

 真琴が即ツッコミを入れ、空気が一瞬だけ和らいだ。


 だがすぐに、矛先は再びあちこちに飛びまわる。荒木はすっかり青ざめていた。

真琴は必死に声を張り上げる。

「落ち着いてください! まだ盗まれたと決まったわけじゃ――」


 だがその瞬間、誰かが吐き捨てるように言った。

「だいたい、この便利屋ってのは何なんだ。胡散臭い。そうだ、お前らが盗ったんじゃないのか?」


 一瞬、場が静まった。真琴の頬がぴくりと震える。


「……はぁ?」

 彼女は両手を腰に当て、ぐっと身を乗り出した。

「私たちが盗む?依頼されてすぐ犯人に仕立て上げられるなんて、ドラマでもありえませんから!」


「逆に怪しいわ!」と別の声があがる。

「じゃあ何ですか!私がスカートの中に封筒隠してるとでも!? 透さんのポケットに札束が入ってるとでも!?」

 真琴はテーブルをばんと叩き、目をぎらつかせた。

「……お前、声でかい」

 篠原が小さく呟く。

「うるさい!こんなときにクールぶってる場合か!」

 真琴はぷるぷる震えながら、さらにまくし立てる。

「ほら、見てくださいよ!こちらの篠原透さん、甘い缶コーヒーばっかり飲んでて怪しいと思いません? お金を缶コーヒー代に消したんですよ!あーあ、ブラック飲めない男は信用できませんねー!」

「お前、味方を売るのか……」

 篠原は深い溜息を吐き、缶を机に置いた。


 周囲の商店主たちは口をつぐみ、苦笑交じりに顔を見合わせる。

「……いや、そこまでは」

「当たり前です!」

 真琴は頬をふくらませたまま、腕を組んでぷいと顔を背けた。


 だが火種はまだ燻っていた。電器屋が唸るように言う。

「でもよ、便利屋ってのも結局は外から来た人間だ。仲間内の金が消えたときに現れるなんて、タイミングが良すぎる」

「そうだそうだ。証拠はあるのか?」


 再びざわめきが広がる。荒木は「そんなことは…」と口ごもり、場の空気はますます重苦しくなっていった。


 篠原は黙ったまま、別の帳簿に指を滑らせる。

──暗がり。

──棚の隙間。

──毛並みが揺れる影。

 再び浮かんだ断片は、人間の仕業ではないことを示していた。


「犯人の尻尾が視えてきたぞ」

 篠原は小さく呟いた。

「えっ?」

 隣の真琴が聞き返すが、彼は答えずに缶コーヒーを開けた。


「ったく……」

 真琴は頬を膨らませながらも、ふと場を見渡す。商店主たちの視線は鋭く交錯し、年の瀬の温かい雰囲気はどこへやら、冷たい空気だけが残っていた。



 集会所の騒ぎはしばらく収まらなかった。疑いを投げ合う声は途切れず、荒木は椅子に沈み込んで両手を膝に重ね、小さく震えている。


 篠原は机の縁に残された封筒に軽く指を触れ、目を細めた。

──像が走る。

 薄暗い場所。木と木のわずかな隙間。そこに押し込まれた茶色い封筒。何か小さな影が横切り、紙がこすれる感触が残る。


 視界がふっと途切れ、現実に戻る。篠原は唇を噛み、静かに言った。

「……封筒は、まだこの会館にある。狭い場所に押し込まれている」


「えっ?」

 真琴が顔を上げる。

「じゃあ、まだ見つかる可能性があるってことですよね。とにかく探しましょう!」

 彼女の必死な声が響き、商店主たちは顔を見合わせた。


 しかし、すぐに反発の声が上がる。

「探すったって、この部屋はもう調べたじゃないか」

「隠せるところなんて残ってないぞ」

「それならやっぱり誰かが持ち出したんだ!」

「ふざけるな! ウチの店を疑うってのか」


 電器屋が篠原を睨みつけて言った。

「便利屋さんよ、“まだある”なんて根拠はどこにある?はっきり示してもらわなきゃ信用できん」


 真琴がむっとして一歩前に出た。

「なんですかその言い方!こっちは依頼を受けて必死に調べてるんです。犯人扱いはやめてください!」


「証拠がねえだろ!」

 八百屋が声を荒げる。

「証拠がなくても、疑って決めつけるのはもっとおかしいです!」

 真琴は声を張り上げ、赤くなった頬をぷくっと膨らませた。


「だいたい荒木さんが一番困ってるんですよ!長年帳簿をきちんとつけてきたのを、みんな知ってるでしょう!?」

 その必死の訴えに、数人の店主がばつの悪そうに目を逸らした。


 沈黙を切るように、篠原が立ち上がった。

「……場所を特定するには、もっと見て回る必要がある」


「どこを?」

「倉庫だ。廊下の突き当たりにある古い扉の向こう」


 商店主たちがざわついた。

「あそこか……。長いこと片付けてないな」

「埃だらけでネズミの巣みたいだって聞いたぞ」

「そういや古い景品の在庫も放り込んだままだったな」


「だからこそ、調べる価値がある」篠原の声は低く落ち着いていた。

 魚屋が深いため息をつき、肩を落とした。

「……わかった。言い争ってても仕方ない。探すだけ探してみよう」


「ちょっと寒いけど、俺も付き合うよ」

 八百屋が上着を羽織る。電器屋も渋い顔をしながら「ここで揉めてるよりマシだな」と呟いた。


 真琴は小さく拳を握り、荒木に笑顔を向ける。

「大丈夫です。きっと見つかりますから」

「……ありがとう」

 荒木は震える声で答えた。


 冷たい風が吹き込む廊下に出ると、電灯の明かりが心許なく揺れていた。古い倉庫の扉は鈍い音を立て、今にも外れそうな蝶番でぶら下がっている。年季の入った南京錠を外すと、金属が軋み、不吉な音を立てた。


「うわ……思った以上に古いですね」

 真琴が鼻を押さえる。埃とカビの混じった匂いが漂ってきた。床には古新聞が散乱し、段ボールの山が不安定に積まれている。


「確かに隠し場所には事欠かないな」

 篠原は淡々と呟き、暗い奥を見やった。荒木は胸に手を当てて不安そうに言った。

「お願いです……本当に、あのお金が見つかりますように」


 倉庫の中には、まだ誰も知らない真実が眠っていた。



 倉庫の扉を開けた瞬間、冷たい空気と埃の匂いが鼻をついた。古い段ボールや使われなくなったポスター、割れたガラスケースなどが雑然と積み上げられている。電灯の光は弱々しく、奥の方までは届かない。


「……うわぁ、これはなかなか」

 真琴は懐中電灯を構え、段ボールの隙間を照らした。

「猫じゃなくても、何か潜んでてもおかしくないですね」


 八百屋が咳払いし、埃を払いながら進む。

「こんな所に大事な金があるはずないだろう……」

 ぼやきながらも、彼の目はどこか不安げだった。


 篠原は無言のまま、棚の前に立ち止まった。手をそっと板の表面に当てる。

──ざらりとした感触とともに、映像が脳裏をよぎる。

 茶色い封筒。狭い隙間。そこに押し込まれていく瞬間。


 篠原は目を開き、短く呟いた。

「……この奥だ」

 真琴がしゃがみ込み、棚と壁の隙間を覗き込む。

「こんなところに本当にあるんで……あっ、何かあります!」

 懐中電灯の光に照らされたのは、茶色い紙の端だった。


「取れるか?」

「ちょっと待ってください……」

 真琴は腕を突っ込み、埃を払いながら慎重に引き出した。指先に紙の感触が触れるたび、周囲は息を呑む。誰かがごくりと喉を鳴らす音まで聞こえた。


 カサリ、と音を立てて現れたのは、あの協賛金の封筒だった。角が少し破れ、噛んだような跡が残っている。さらに、表面には白黒の毛が何本もついていた。



「……間違いない、これです!」

 荒木が言うと、場にざわめきが広がった。


「本当にあったのか……」

「よかった……」

「ってことは、盗まれたわけじゃなかったんだな」


 電器屋が封筒を覗き込み、眉をひそめる。

「こりゃ何だ……猫の毛か?」

「噛み跡まであるぞ」

 魚屋が笑う。

「まさか……」

「ショコラの仕業……?」


 荒木は口元を押さえ、目に涙を浮かべた。

「よかった……みんなに疑いがかかって、どうしたらいいかと思ってたんです」


 八百屋が頭をかきながら言った。

「悪かったな、若いの。さっきは疑って」

「こっちこそ……」

 雑貨屋の青年も小さく頭を下げる。電器屋も「俺も言い過ぎた」とぼそりと謝った。


「競馬どころか、猫に持ってかれてたってわけだ!」

 魚屋の冗談に、ついに笑いが広がった。つい先ほどまで言い争っていた商店主たちが、肩を揺らして笑い合う。


 真琴は封筒を荒木に渡し、にっこり笑う。

「これで景品もちゃんと買えますね。福引も予定通りです!」


 荒木は深く頭を下げ、震える声で言った。

「本当に……ありがとう。あのまま皆が疑心暗鬼になっていたら、商店街は壊れてしまっていたわ」


「疑いは人を壊す。だが真実は、時に笑い話になる」

 篠原の低い声に、真琴は思わず笑ってしまった。

「かっこいいこと言うけど、要するに“猫のイタズラ”だったんですよね」


 倉庫の出口に、茶色の猫が顔をのぞかせていた。「にゃあ」とひと声。商店主たちは一斉にその姿を見て、また笑いが起きた。


「おい、犯人がご登場だ」

「ショコラ、奉行所に引っ立てるぞ」

「派手なことやりやがって」

 皆から声がかかると、ショコラは尻尾をぴんと立ててゆったり歩き出す。真琴が「もうイタズラしないでよね!」と笑顔で手を振ると、ショコラはちらりと振り返り、しれっとした顔で倉庫の外へ駆け去っていった。


 残された人々はしばし顔を見合わせ、そして声を上げて笑った。年の瀬の寒さの中、倉庫には不思議と温かな空気が満ちていた。



 数日後、商店街の歳末福引は予定通り開催された。通りには紅白幕が張られ、大きなガラポン抽選機が二台、誇らしげに並んでいる。景品の山は色とりどりで、米俵にティッシュの箱、電気ポットや毛布、そして目玉は大型テレビだった。


「さぁ、次のお客さんどうぞ!」

 威勢のいい掛け声とともに、子どもが両手でハンドルを回す。カラカラと玉が転がり、ポンと飛び出したのは白い玉。

「残念、ポケットティッシュです!」

 それでも子どもは嬉しそうに笑い、母親に手を引かれて去っていった。


「おーっと、今度は赤玉だ!三等の電気毛布!おめでとう!」

 拍手と歓声が起こる。当たった老夫婦は顔を見合わせて笑い合い、抱きしめるように毛布を受け取った。


 人波は途切れず、抽選券を握りしめた客が列を作る。年の瀬特有の慌ただしさと熱気の中に、笑顔が次々と咲いていく。少し離れた場所から、その光景を眺める二人がいた。篠原と真琴だ。


「ねえ透さん、見てくださいよ。みんな楽しそう」

 真琴はホットココアを両手で包みながら目を細める。

「よかったですね、福引が無事にできて」

「大袈裟だな」

 篠原はポケットから缶コーヒーを取り出し、プシュッと開けた。白い息が立ち上る冬空の下、彼の表情は相変わらず無愛想だ。


「大袈裟じゃないですよ。協賛金がなくなったままだったら、この光景もなかったんですから」

 真琴は横目で篠原をにらむ。

「誰かを疑って、商店街がバラバラになるところだったんです。それを止められたのは透さんの“視える力”じゃないですか」


 篠原は缶を傾け、無言で一口飲んだ。甘い香りが漂う。

「犯人は猫だったがな」


「そうそう、ショコラ」

 真琴が声を弾ませる。

「あの子が封筒をくわえて持ち去ってたなんて、みんな信じられないって笑ってましたよ」


 ちょうどその時、景品受け取り所の裏手を茶色の猫がのっそり歩いていった。子どもたちが「あ、ショコラだ!」と声を上げると、猫はちらりと振り返り、尻尾をぴんと立てて悠然と立ち去った。拍手のような笑い声が沸き起こり、空気は一層和やかになった。


「ほら見てください。もう“商店街の福の神”扱いですよ」

 真琴はくすくす笑いながら、ココアをすする。

「疑心暗鬼で空気が悪くなったのに、今は猫まで人気者。……人って単純ですけど、でも、そういうのっていいなぁって思います」


 篠原は黙って景色を眺めていた。子どもがガラポンを回し、歓声が沸き起こる。その様子を目で追いながら、ふっと息を吐いた。


「人は疑うのも早いが、笑うのも早い」

「それって褒めてるんですか?」

「どっちでもない」

「もー、相変わらず素直じゃないんだから」


 真琴は唇を尖らせたが、その目は楽しげだった。


________________________________________


 夕暮れ、二人は事務所に戻った。暖房の効いた部屋に腰を下ろすと、真琴が紙袋から惣菜パンを取り出す。

「はい、今日の慰労会。福引に来てたパン屋さんで買ってきました。カレーパンと、クリームパン」

「……クリームパンよこせ」

 篠原は迷いなくいうと、甘い香りを確かめてから一口かじった。


 真琴も隣でカレーパンを頬張りながら、満足そうに目を細める。

「ねえ透さん、結局犯人はショコラでしたね♡」


 篠原は缶コーヒーを開け、短く答える。

「……甘いな」


 真琴はニヤリと笑い、指でパン屑を払った。

「猫の名前も、ね」


 その言葉に、篠原はほんのわずかに口角を上げた。外では北風がごうと鳴り、街の灯りがまたたいている。だが事務所の中は、二人の小さな慰労会で不思議なほど温かかった。





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