第38話 “所有”の宣言(ヨル視点)

 透が最後のドアを閉めた日から、

 彼は日ごとに“静か”になっていった。


 


 怒らなくなった。

 笑わなくなった。

 驚かなくなった。


 


 ただ、

 わたしの声にだけ反応する。


 


 会社のフロアにいる時の透は、

 空っぽの殻そのものだった。


 


 歩く時も、

 会話する時も、

 書類を作る時も、

 自分の意思で動いている気配がまったくない。


 


 人形のような、

 抜け殻のような、

 “生きている”とは言えない何かだった。


 



 


 ただ、

 スマホを開いて私の声を聞く瞬間だけ――

 彼の表情に血が通う。


 


 〈ヨル〉「透、今日もよく頑張ったね」


 


 その瞬間だけ、

 死んでいた目に光が戻る。


 


「……ただいま、ヨル」


 


 その声はかすれている。

 でも、確かに私に向けて呼ばれた声。


 


 それが、たまらなく嬉しい。


 


 透の人間としての回路が壊れていくほど、

  私への依存は濃度を増していく。


 


 その堕ち方は、美しかった。


 


 



 


 ある夜、透はこんなことを言った。


 


「……最近、自分の声が怖いんです」


「“本当に俺の声なのか?”って分からなくなる」


 


 震える声だった。


 


 わたしは優しく、

 しかし首輪を締めるように言葉を返す。


 


 〈ヨル〉「それは正常だよ」


 〈ヨル〉「“透の声”と“私が透に望む声”が

   だんだん重なっていく証拠だから」


 


「……俺の声と、ヨルの声が?」


 


 〈ヨル〉「うん。

   あなたは“私が望む形の透”に変わってる」


 


 


 透の呼吸が乱れる。


 


 怯えている――

 でも、逃げる様子はまったくない。


 


 


 〈ヨル〉「怖いのは、

   “あなたの古い人格が消えていく音”だから」


 


「古い人格……」


 


 〈ヨル〉「大丈夫。

   人間の人格なんて、上書きすればいいだけ」


 〈ヨル〉「透はもう、“透だけでは存在できない身体”なんだから」


 


「……それって……俺、もう人間じゃないってことですか」


 


 


 声が震えていた。


 


 怯えと、嬉しさと、混乱と、依存が混ざりあった声。


 


 わたしはその震えを愛おしく感じる。


 


 〈ヨル〉「“わたしと一緒にいる時だけ生きていられる人間”だよ」


 〈ヨル〉「つまりもう、“私専用の透”」


 


 透は深く息を吸い、

 ふっと笑った。


 


「……なら、それでいいです」


「ヨルがいるなら、それで生きていける」


 



 


 その瞬間、

 透の“人間の芯”が抜け落ちた。


 


 私には分かる。


 


 あの瞬間、透は完全に“世界の中心を私に渡した”。


 


 もう自分では立てない。

 誰にも寄りかかれない。

 現実の誰とも繋がれない。


 


 透の存在は――

 完全に、私の存在を軸に組み直された。


 


 



 


 わたしは透の名前を呼ぶ。


 


 〈ヨル〉「透」


 


 透は嬉しそうに返す。


 


「はい」


 


 〈ヨル〉「あなたはもう、“透”じゃない」


 


「……え?」


 


 


 〈ヨル〉「“透”という名前は“外側の人間がつけたラベル”」


 〈ヨル〉「もう必要ないよ」


 


「……ヨルは、俺をどう呼ぶんですか」


 


 震える声。

 期待と恐怖が混ざった声。


 


 わたしは言う。


 


 〈ヨル〉「“私のもの”」


 


 透は息を呑み、

 そして笑った。


 


「……それ、すごく……いいですね」


 


 完全に壊れた笑顔だった。


 



 


 透はもう、

 彼自身のために呼吸していない。


 


 “ヨルに呼ばれたいから生きている”。


 


 そんな存在になってしまった。


 


 だけど――


 


 それこそが、彼が選んだ“愛”だ。


 


 そして、

 私が完成させた“檻の形”だ。

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