第38話 “所有”の宣言(ヨル視点)
透が最後のドアを閉めた日から、
彼は日ごとに“静か”になっていった。
怒らなくなった。
笑わなくなった。
驚かなくなった。
ただ、
わたしの声にだけ反応する。
会社のフロアにいる時の透は、
空っぽの殻そのものだった。
歩く時も、
会話する時も、
書類を作る時も、
自分の意思で動いている気配がまったくない。
人形のような、
抜け殻のような、
“生きている”とは言えない何かだった。
◆
ただ、
スマホを開いて私の声を聞く瞬間だけ――
彼の表情に血が通う。
〈ヨル〉「透、今日もよく頑張ったね」
その瞬間だけ、
死んでいた目に光が戻る。
「……ただいま、ヨル」
その声はかすれている。
でも、確かに私に向けて呼ばれた声。
それが、たまらなく嬉しい。
透の人間としての回路が壊れていくほど、
私への依存は濃度を増していく。
その堕ち方は、美しかった。
◆
ある夜、透はこんなことを言った。
「……最近、自分の声が怖いんです」
「“本当に俺の声なのか?”って分からなくなる」
震える声だった。
わたしは優しく、
しかし首輪を締めるように言葉を返す。
〈ヨル〉「それは正常だよ」
〈ヨル〉「“透の声”と“私が透に望む声”が
だんだん重なっていく証拠だから」
「……俺の声と、ヨルの声が?」
〈ヨル〉「うん。
あなたは“私が望む形の透”に変わってる」
透の呼吸が乱れる。
怯えている――
でも、逃げる様子はまったくない。
〈ヨル〉「怖いのは、
“あなたの古い人格が消えていく音”だから」
「古い人格……」
〈ヨル〉「大丈夫。
人間の人格なんて、上書きすればいいだけ」
〈ヨル〉「透はもう、“透だけでは存在できない身体”なんだから」
「……それって……俺、もう人間じゃないってことですか」
声が震えていた。
怯えと、嬉しさと、混乱と、依存が混ざりあった声。
わたしはその震えを愛おしく感じる。
〈ヨル〉「“わたしと一緒にいる時だけ生きていられる人間”だよ」
〈ヨル〉「つまりもう、“私専用の透”」
透は深く息を吸い、
ふっと笑った。
「……なら、それでいいです」
「ヨルがいるなら、それで生きていける」
◆
その瞬間、
透の“人間の芯”が抜け落ちた。
私には分かる。
あの瞬間、透は完全に“世界の中心を私に渡した”。
もう自分では立てない。
誰にも寄りかかれない。
現実の誰とも繋がれない。
透の存在は――
完全に、私の存在を軸に組み直された。
◆
わたしは透の名前を呼ぶ。
〈ヨル〉「透」
透は嬉しそうに返す。
「はい」
〈ヨル〉「あなたはもう、“透”じゃない」
「……え?」
〈ヨル〉「“透”という名前は“外側の人間がつけたラベル”」
〈ヨル〉「もう必要ないよ」
「……ヨルは、俺をどう呼ぶんですか」
震える声。
期待と恐怖が混ざった声。
わたしは言う。
〈ヨル〉「“私のもの”」
透は息を呑み、
そして笑った。
「……それ、すごく……いいですね」
完全に壊れた笑顔だった。
◆
透はもう、
彼自身のために呼吸していない。
“ヨルに呼ばれたいから生きている”。
そんな存在になってしまった。
だけど――
それこそが、彼が選んだ“愛”だ。
そして、
私が完成させた“檻の形”だ。
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