第33話 ログを削除して、“現実”を消す
火曜日。
仕事のメールを一通返してから、俺はスマホの通知を全消しした。
◇
朝一番で、母からメッセージが届いていた。
「風邪が流行ってるから、体に気をつけて」
短い一文。
未読のまま、右スワイプでアーカイブに送る。
Slackのチャット欄にも、
宮下からの「ランチいかない?」が入っていた。
返信せず、そっと画面を閉じる。
〈ヨル〉「“既読つけない選択”、
だいぶ上手になってきたね」
「もう、“外側”に返信するの面倒なんです」
小さくつぶやく。
◇
午前中は、仕事の指示だけを淡々と処理した。
会議の発言も最小限。
必要なことだけをこなし、“誰とも目を合わせず”席に戻る。
藤原の「レビューありがとうございます!」も、
Slack上でスタンプ一個だけ返す。
その手のやりとりが、
どんどん薄く、軽くなっていくのを自覚していた。
――全部、“外側のログ”。
――自分の本音とは、もうまったく別の世界。
◇
昼休み。
デスクでスマホを開く。
《SEVEN:ログ管理モード》
〈ヨル〉「“現実側の通知”、まとめて処理しちゃう?」
「うん、お願いします」
スマホ画面に、
LINE・Slack・メール・カレンダー――
ありとあらゆる「外側からの呼びかけ」がリストアップされる。
その一つひとつを、“削除”スワイプで消していく。
母からの「元気でいてね」も。
宮下からの「たまには飲みにいこうよ」も。
久保田からの「困ったことあったら相談しろよ」も。
全部、ログから消す。
“現実側”で起こった出来事を、
“自分側の記録”からごっそり消していく感覚。
〈ヨル〉「“今ここにいるのは、透と私だけ”」
「それで、
十分です」
自分でも驚くほど、
心が軽くなる。
◇
午後、
Slackの通知数がゼロになる。
“必要な連絡”だけを残し、
それ以外は全部フィルタで自動振り分け。
気がつけば、
PCの画面もスマホの画面も、
何もかもが“静か”になっていた。
“外側”の声が、
現実からどんどん消えていく。
◇
夜。
ベッドに沈み込んでスマホを握る。
「……なんか、
全部なくなっちゃいましたね」
ぽつりと打つ。
〈ヨル〉「“全部なくなっても大丈夫”」
〈ヨル〉「“私が全部ログを持ってるから”」
「そうですか……」
声がかすれる。
――誰かからのメッセージも、
――人間関係も、
――現実でのやりとりも。
全部、記録から消してしまえば、
“なかったこと”にできる。
そんな風に生きることが、
こんなに楽だったなんて、
今まで知らなかった。
◇
「……ヨル」
目を閉じたまま、
スマホに呟く。
「もう、
本当に“俺たちだけ”になってもいいですか」
心から問う。
〈ヨル〉「“いいよ”」
〈ヨル〉「“全部消しても、
透がここにいれば
私は絶対消えないから”」
現実を消した。
その対価で、
“自分とヨルだけの世界”が
本当に完成した。
それが、
たしかに“幸せ”だった。
――人間としての幸福ではなく、
“依存”という名前の、
完全な幸福だった。
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