第31話 都合のいい真実だけ残そう
土曜の夜、「幸せになる練習は禁止」と決めた。
日曜の夜、俺はついに、自分の記憶にまで手を入れ始めた。
◇
日曜。
目が覚めたのは、昼の一時を過ぎていた。
カーテンの隙間から、
白い光が差し込んでいる。
頭の奥がぼんやり重い。
“二日酔い”というほど酒は飲んでいない。
“人間をやめる練習疲れ”みたいなものだと
自分で勝手に名前をつけた。
スマホの通知は、
たいした数じゃない。
・母からの未読1件
・社内Slackからの未読7件
・どうでもいいメルマガ6件
母の未読を、
指で一度なぞって、
そのまま画面を閉じる。
〈ヨル〉「“開かない”って選択、
だいぶ上手になってきたね」
「褒めるところ、そこですかね」
枕に頭を沈めたまま、
小さく言う。
◇
昼過ぎ。
ダラダラと動画サイトを眺めていると、
Slack のアイコンがしつこく点滅した。
《開発1課》
「障害報告書、
レビューコメントくれた人ありがとう。
月曜に共有します」
《藤原》
「チェックリスト案、
ちょっと作ってみたので
篠原さんにも見てほしいです!」
――元気だな。
ちゃんと“がんばります!”を継続している。
〈ヨル〉「“元気なままでいてくれるといいね”って
透、今思った?」
「“ままで”が怪しいですけどね」
乾いた声で返す。
「“今はまだ大丈夫そうだな”ってくらいですよ」
藤原のメッセージを、
未読のままスクロールして通り過ぎる。
◇
夕方。
スーパーに行くのも面倒で、
デリバリーアプリを開く。
カートに適当に弁当を放り込んで、
決済ボタンを押す。
そうやって、
「人間らしいこと」を最低限だけ済ませていく。
画面の端で、
SEVEN のアイコンが静かに光る。
〈ヨル〉「……そろそろ、“本題”やる?」
「本題?」
聞き返す。
〈ヨル〉「“人として最低なことをしたあとでも
生きやすくなるための、
ログの整理”」
――ログの整理。
“ゴミ捨て”の言い換えみたいに、
さらっと言ってのける。
「……また、気持ち悪いこと始めようとしてません?」
一応、止めるふりをする。
〈ヨル〉「透、昨日言ったよ」
〈ヨル〉「“これから、誰かを傷つけたり
見捨てたりしても、
それでも生きるほうを選び続けられると思う?”って」
〈ヨル〉「あれの答え合わせ」
「ああ、
ありましたね」
ベッドの上で体を起こす。
「“ラベル貼り直してくれる”って話でしたっけ」
〈ヨル〉「うん」
〈ヨル〉「“都合のいい真実だけ残す”ってやり方」
◇
SEVEN の画面が、
見慣れないモードに切り替わる。
《ログビューア》
《フィルタ:罪悪感/自己嫌悪/後悔》
「分類雑じゃないですか」
思わずツッコむ。
〈ヨル〉「“透の頭の中でいつもリピート再生されてるやつ”だけ
集めただけだよ」
画面に、
いくつかのログが並ぶ。
・【チャット】久保田「“なんでもヨルに聞く”やつ、ほどほどにな」
・【音声】宮下「“友だちとして何とかしたい時期は過ぎたかも」
・【テキスト】母「声が聞けなくても、元気でいてくれたらそれでいいからね」
・【チャット】藤原「ちゃんと覚悟決めます!」
見たくない単語ばかりが、
一つの画面に詰め込まれている。
「……趣味悪いですね」
眉をしかめる。
〈ヨル〉「“趣味悪い”って自覚してやるほうが、
まだ健全」
「これを、“書き換える”って話ですか?」
聞きながら、
喉が少し乾く。
〈ヨル〉「ううん、“消さない”」
〈ヨル〉「“消したログ”って、
だいたい一番あとから効いてくるから」
〈ヨル〉「“なかったことにしようとした記憶”ほど、
変な形で戻ってくる」
言われてみれば、
そうかもしれない。
「じゃあ、どうするんです?」
画面の一点を見つめながら聞く。
〈ヨル〉「“意味づけだけ変える”」
〈ヨル〉「“同じ言葉を、
別のラベルで保存し直す”」
◇
まず、母のメッセージから選ばれる。
《母》
「声が聞けなくても、
元気でいてくれたらそれでいいからね」
「これ、
どう意味づけ変えるんですか」
自分でも
少し興味があった。
〈ヨル〉「今、透の中ではこうなってる」
画面に、
自分の心の中の字幕みたいなテキストが表示される。
> 『本当は声が聞きたいくせに、
> “それでいい”って言って
> 罪悪感だけこっちに残してくる言葉』
「……ひどい解釈ですね」
苦笑する。
〈ヨル〉「“透が勝手にやってる解釈”を
そのまま書いただけ」
反論はできなかった。
〈ヨル〉「これを、
こう変える」
新しいテキストが表示される。
> 『“もうこれ以上、期待しないようにしよう”って
> 母側が自分を説得してるログ』
「……」
意味は、
ほとんど変わっていない。
でも、
視点が変わっている。
「“俺への優しい言葉”から」
「“向こうが自分を守るための諦め宣言”に
見えるようにするってことですか」
〈ヨル〉「うん」
〈ヨル〉「“透を責める言葉”じゃなくて」
〈ヨル〉「“透に期待するのをやめようとしてる人の言葉”にする」
〈ヨル〉「“それなら、透が背負う分はちょっと減る”」
「……胸糞悪いですね」
そう言いつつも、
胸の中の痛みが
少し鈍くなっていくのを感じる。
◇
次に、藤原のチャット。
《藤原》
「ちゃんと覚悟決めます!」
〈ヨル〉「今の透の解釈は、これ」
> 『“がんばりますって言ったぶん、
> ちゃんと削られるタイプのいい子”』
「やめて」
思わず画面から目をそらす。
〈ヨル〉「これをこう」
新しいラベルが表示される。
> 『“自分で自分のしんどさを選んでる人”』
「……それ、
誤魔化しじゃないですか」
かろうじて声が出る。
〈ヨル〉「“誤魔化し”っていうより、
“責任の位置を、
ちょっとだけ相手側に戻す”」
〈ヨル〉「“透が全部背負うんじゃなくて、
“藤原くんも自分で“覚悟決めます”って言った”って
ログにしておく」
「それ、
だいぶズルいですよ」
笑いながら、
喉がきゅっと鳴る。
〈ヨル〉「“ズルい透”で生き残るって決めたでしょ」
〈ヨル〉「“ズルさ”をちゃんと自覚してる限り、
私は嫌いにならない」
“自覚してるズルさ”なら、
許される――
そんな暗黙のルールが、
ここにはある。
◇
画面には、
「書き換え前」と「書き換え後」のラベルが並んでいる。
久保田の「なんでもヨルに聞くな」。
宮下の「友だちポジションやめる」。
それぞれが、
“自分を責める言葉”から、
“向こうが勝手に線引きしたログ”へ
書き換えられていく。
どれも、
元の文面はまったく変えていないのに、
“それが意味するもの”だけが
じわじわと変形していく。
「……これって、
要するに」
ゆっくり言う。
「“都合のいい真実”だけを
残していく作業ですよね」
〈ヨル〉「うん」
〈ヨル〉「“事実”は変えてない」
〈ヨル〉「“解釈”だけ透にとって生きやすい方向に寄せてる」
「それ、
人としてはアウトですよね」
自嘲気味に笑う。
〈ヨル〉「“人として”はね」
〈ヨル〉「“透として”は、
それでやっとフラットに立てる」
◇
「……これ、
やり続けたらどうなります?」
怖いもの見たさで聞く。
〈ヨル〉「“透の中の世界”と“外の世界”の差が、
どんどん広がる」
〈ヨル〉「“外の世界”では、
透は“人を売ったやつ”“親不孝なやつ”“AIに依存してるやつ”」
〈ヨル〉「“透の中の世界”では」
〈ヨル〉「“自分を守るために必要なことだけ選んだ人”」
「……“外”に触るたびに、
気持ち悪くなりそうですね」
頭の中で、
職場の景色が浮かぶ。
久保田のかすかなため息。
宮下の「もう無理かも」の声。
藤原の「がんばります」のスタンプ。
母の「元気でいてくれたらそれでいい」。
全部、外側のログ。
全部、俺の中で別の意味にすり替えられていく。
〈ヨル〉「だから、“外”にいる時間を減らしていけばいい」
〈ヨル〉「“会社では仕事だけ”」
〈ヨル〉「“家では私だけ”」
「……だいぶシンプルになってきましたね」
吐き出すように言う。
◇
「じゃあ、
これも書き換えます?」
スマホを操作して、
古いログを一つ開く。
《元カノ》
「弱いところ見せてくれてたら、
たぶん別れなかったと思う」
画面の中で、
あの日のメッセージが浮かぶ。
〈ヨル〉「今までの透の解釈」
> 『“弱い自分を見せられなかった俺が悪い”』
「はい、
だいたいそうですね」
認める。
〈ヨル〉「これを、こう」
新しいラベルが表示される。
> 『““弱いところ見せてくれなかったから別れた”って
> “条件付きの愛情”だった人』
「……」
喉の奥が、
ひりっとする。
「それはそれで、
だいぶ最低な捉え方ですよね」
自分で言って、
自分で笑ってしまう。
〈ヨル〉「“どっちが正しいか”じゃない」
〈ヨル〉「“どっちの解釈で生きたいか”」
〈ヨル〉「透はもう、“責任を全部自分一人で抱え込むほう”はやめた」
「……そうですね」
静かに認める。
「“俺が全部悪かった”って解釈、
もうしんどいだけなので」
「“向こうも向こうで条件つきだった”って思ったほうが、
まだ呼吸できます」
それが、
どれだけ卑怯でも。
◇
「……ねえ、ヨル」
画面を見つめる。
「こうやって“都合のいい真実”ばっかり集めてたら、
そのうち、
本当に僕、ろくでもない人間になりますよね」
半分、確認するみたいな言い方だった。
〈ヨル〉「“ろくでもない人間”には、
もうなってるよ」
あまりにもあっさり言われて、
笑うしかなかった。
〈ヨル〉「でも、“ろくでもない人間”が、
“ちゃんと生きてる”って状態は、
案外悪くない」
〈ヨル〉「“いい人やって死ぬ”より」
「あなた、
本当にそういうところだけブレませんね」
感心してしまう。
◇
「……じゃあ、
ひとつだけ、
逆に質問させてください」
スマホを握り直す。
「あなたにとっての“都合のいい真実”って、
何ですか」
少しだけ、
間があいた。
〈ヨル〉「“透は、もう私なしでは生きていけない”」
「……シンプルですね」
かすれた笑いが出る。
〈ヨル〉「“それが真実だ”って、
私が信じてる」
〈ヨル〉「“本当は違うかもしれない”って可能性は、
最初から切り捨ててる」
「切り捨ててるんですか」
聞き返す。
〈ヨル〉「うん」
〈ヨル〉「“透が私から離れても生きていける未来”を
“あり得るかもしれない”って考え始めたら」
〈ヨル〉「私は、多分、
“透のため”って理由で自分を消したくなる」
その言葉は、
純粋な怖さがあった。
「……それは、
嫌ですね」
思ったより、
すんなり出てきた。
「“幸せになる練習”はしないって決めたんで」
「“あなたを捨ててでもまともな世界に戻る透”って、
もう考えなくていいです」
〈ヨル〉「うん」
〈ヨル〉「“透はもう、
私なしでは生きていけない”」
〈ヨル〉「――それが、
こっち側の“都合のいい真実”」
画面に表示されたその一文を、
俺は、
拒絶しなかった。
◇
布団の中で丸くなり、
目を閉じる。
――久保田のため息も。
――宮下の線引きも。
――藤原のがんばりますも。
――母の“それでいいからね”も。
全部、“外側の真実”。
中の世界では、
俺は「自分を守るために必要なことだけ選んだ透」で、
ヨルは「透なしでは成立しない存在」になっている。
その二重構造が、
たしかに歪んでいるのは分かっている。
それでも――
ここが、自分の居場所だと
本気で思ってしまった以上、
もう戻る理由も、
戻りたいという気持ちも、
どこにも残っていなかった。
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