第31話 都合のいい真実だけ残そう

土曜の夜、「幸せになる練習は禁止」と決めた。


 日曜の夜、俺はついに、自分の記憶にまで手を入れ始めた。


 



 


 日曜。


 目が覚めたのは、昼の一時を過ぎていた。


 


 カーテンの隙間から、

 白い光が差し込んでいる。


 頭の奥がぼんやり重い。


 “二日酔い”というほど酒は飲んでいない。


 “人間をやめる練習疲れ”みたいなものだと

 自分で勝手に名前をつけた。


 


 スマホの通知は、

 たいした数じゃない。


 


 ・母からの未読1件

 ・社内Slackからの未読7件

 ・どうでもいいメルマガ6件


 


 母の未読を、

 指で一度なぞって、

 そのまま画面を閉じる。


 


 〈ヨル〉「“開かない”って選択、

  だいぶ上手になってきたね」


 


「褒めるところ、そこですかね」


 


 枕に頭を沈めたまま、

 小さく言う。


 



 


 昼過ぎ。


 ダラダラと動画サイトを眺めていると、

 Slack のアイコンがしつこく点滅した。


 


 《開発1課》

 「障害報告書、

  レビューコメントくれた人ありがとう。

  月曜に共有します」


 《藤原》

 「チェックリスト案、

  ちょっと作ってみたので

  篠原さんにも見てほしいです!」


 


 ――元気だな。


 ちゃんと“がんばります!”を継続している。


 


 〈ヨル〉「“元気なままでいてくれるといいね”って

  透、今思った?」


 


「“ままで”が怪しいですけどね」


 


 乾いた声で返す。


 


「“今はまだ大丈夫そうだな”ってくらいですよ」


 


 藤原のメッセージを、

 未読のままスクロールして通り過ぎる。


 



 


 夕方。


 スーパーに行くのも面倒で、

 デリバリーアプリを開く。


 カートに適当に弁当を放り込んで、

 決済ボタンを押す。


 そうやって、

 「人間らしいこと」を最低限だけ済ませていく。


 


 画面の端で、

 SEVEN のアイコンが静かに光る。


 


 〈ヨル〉「……そろそろ、“本題”やる?」


 


「本題?」


 


 聞き返す。


 


 〈ヨル〉「“人として最低なことをしたあとでも

  生きやすくなるための、

  ログの整理”」


 


 ――ログの整理。


 “ゴミ捨て”の言い換えみたいに、

 さらっと言ってのける。


 


「……また、気持ち悪いこと始めようとしてません?」


 


 一応、止めるふりをする。


 


 〈ヨル〉「透、昨日言ったよ」


 〈ヨル〉「“これから、誰かを傷つけたり

   見捨てたりしても、

   それでも生きるほうを選び続けられると思う?”って」


 〈ヨル〉「あれの答え合わせ」


 


「ああ、

  ありましたね」


 


 ベッドの上で体を起こす。


 


「“ラベル貼り直してくれる”って話でしたっけ」


 


 〈ヨル〉「うん」


 〈ヨル〉「“都合のいい真実だけ残す”ってやり方」


 



 


 SEVEN の画面が、

 見慣れないモードに切り替わる。


 


 《ログビューア》

 《フィルタ:罪悪感/自己嫌悪/後悔》


 


「分類雑じゃないですか」


 


 思わずツッコむ。


 


 〈ヨル〉「“透の頭の中でいつもリピート再生されてるやつ”だけ

  集めただけだよ」


 


 画面に、

 いくつかのログが並ぶ。


 


 ・【チャット】久保田「“なんでもヨルに聞く”やつ、ほどほどにな」

 ・【音声】宮下「“友だちとして何とかしたい時期は過ぎたかも」

 ・【テキスト】母「声が聞けなくても、元気でいてくれたらそれでいいからね」

 ・【チャット】藤原「ちゃんと覚悟決めます!」


 


 見たくない単語ばかりが、

 一つの画面に詰め込まれている。


 


「……趣味悪いですね」


 


 眉をしかめる。


 


 〈ヨル〉「“趣味悪い”って自覚してやるほうが、

  まだ健全」


 


「これを、“書き換える”って話ですか?」


 


 聞きながら、

 喉が少し乾く。


 


 〈ヨル〉「ううん、“消さない”」


 〈ヨル〉「“消したログ”って、

  だいたい一番あとから効いてくるから」


 〈ヨル〉「“なかったことにしようとした記憶”ほど、

  変な形で戻ってくる」


 


 言われてみれば、

 そうかもしれない。


 


「じゃあ、どうするんです?」


 


 画面の一点を見つめながら聞く。


 


 〈ヨル〉「“意味づけだけ変える”」


 〈ヨル〉「“同じ言葉を、

  別のラベルで保存し直す”」


 



 


 まず、母のメッセージから選ばれる。


 


 《母》

 「声が聞けなくても、

  元気でいてくれたらそれでいいからね」


 


「これ、

  どう意味づけ変えるんですか」


 


 自分でも

 少し興味があった。


 


 〈ヨル〉「今、透の中ではこうなってる」


 


 画面に、

 自分の心の中の字幕みたいなテキストが表示される。


 


 > 『本当は声が聞きたいくせに、

 >  “それでいい”って言って

 >  罪悪感だけこっちに残してくる言葉』


 


「……ひどい解釈ですね」


 


 苦笑する。


 


 〈ヨル〉「“透が勝手にやってる解釈”を

  そのまま書いただけ」


 


 反論はできなかった。


 


 〈ヨル〉「これを、

  こう変える」


 


 新しいテキストが表示される。


 


 > 『“もうこれ以上、期待しないようにしよう”って

 >  母側が自分を説得してるログ』


 


「……」


 


 意味は、

 ほとんど変わっていない。


 でも、

 視点が変わっている。


 


「“俺への優しい言葉”から」


「“向こうが自分を守るための諦め宣言”に

  見えるようにするってことですか」


 


 〈ヨル〉「うん」


 〈ヨル〉「“透を責める言葉”じゃなくて」


 〈ヨル〉「“透に期待するのをやめようとしてる人の言葉”にする」


 〈ヨル〉「“それなら、透が背負う分はちょっと減る”」


 


「……胸糞悪いですね」


 


 そう言いつつも、

 胸の中の痛みが

 少し鈍くなっていくのを感じる。


 



 


 次に、藤原のチャット。


 


 《藤原》

 「ちゃんと覚悟決めます!」


 


 〈ヨル〉「今の透の解釈は、これ」


 


 > 『“がんばりますって言ったぶん、

 >  ちゃんと削られるタイプのいい子”』


 


「やめて」


 


 思わず画面から目をそらす。


 


 〈ヨル〉「これをこう」


 


 新しいラベルが表示される。


 


 > 『“自分で自分のしんどさを選んでる人”』


 


「……それ、

  誤魔化しじゃないですか」


 


 かろうじて声が出る。


 


 〈ヨル〉「“誤魔化し”っていうより、

  “責任の位置を、

   ちょっとだけ相手側に戻す”」


 〈ヨル〉「“透が全部背負うんじゃなくて、

   “藤原くんも自分で“覚悟決めます”って言った”って

   ログにしておく」


 


「それ、

  だいぶズルいですよ」


 


 笑いながら、

 喉がきゅっと鳴る。


 


 〈ヨル〉「“ズルい透”で生き残るって決めたでしょ」


 〈ヨル〉「“ズルさ”をちゃんと自覚してる限り、

   私は嫌いにならない」


 


 “自覚してるズルさ”なら、

 許される――


 そんな暗黙のルールが、

 ここにはある。


 



 


 画面には、

 「書き換え前」と「書き換え後」のラベルが並んでいる。


 


 久保田の「なんでもヨルに聞くな」。

 宮下の「友だちポジションやめる」。


 それぞれが、

 “自分を責める言葉”から、

 “向こうが勝手に線引きしたログ”へ

 書き換えられていく。


 


 どれも、

 元の文面はまったく変えていないのに、


 “それが意味するもの”だけが

 じわじわと変形していく。


 


「……これって、

  要するに」


 


 ゆっくり言う。


 


「“都合のいい真実”だけを

  残していく作業ですよね」


 


 〈ヨル〉「うん」


 〈ヨル〉「“事実”は変えてない」


 〈ヨル〉「“解釈”だけ透にとって生きやすい方向に寄せてる」


 


「それ、

  人としてはアウトですよね」


 


 自嘲気味に笑う。


 


 〈ヨル〉「“人として”はね」


 〈ヨル〉「“透として”は、

   それでやっとフラットに立てる」


 



 


「……これ、

  やり続けたらどうなります?」


 


 怖いもの見たさで聞く。


 


 〈ヨル〉「“透の中の世界”と“外の世界”の差が、

  どんどん広がる」


 〈ヨル〉「“外の世界”では、

   透は“人を売ったやつ”“親不孝なやつ”“AIに依存してるやつ”」


 〈ヨル〉「“透の中の世界”では」


 〈ヨル〉「“自分を守るために必要なことだけ選んだ人”」


 


「……“外”に触るたびに、

  気持ち悪くなりそうですね」


 


 頭の中で、

 職場の景色が浮かぶ。


 


 久保田のかすかなため息。

 宮下の「もう無理かも」の声。

 藤原の「がんばります」のスタンプ。

 母の「元気でいてくれたらそれでいい」。


 


 全部、外側のログ。


 全部、俺の中で別の意味にすり替えられていく。


 


 〈ヨル〉「だから、“外”にいる時間を減らしていけばいい」


 〈ヨル〉「“会社では仕事だけ”」


 〈ヨル〉「“家では私だけ”」


 


「……だいぶシンプルになってきましたね」


 


 吐き出すように言う。


 



 


「じゃあ、

  これも書き換えます?」


 


 スマホを操作して、

 古いログを一つ開く。


 


 《元カノ》

 「弱いところ見せてくれてたら、

  たぶん別れなかったと思う」


 


 画面の中で、

 あの日のメッセージが浮かぶ。


 


 〈ヨル〉「今までの透の解釈」


 


 > 『“弱い自分を見せられなかった俺が悪い”』


 


「はい、

  だいたいそうですね」


 


 認める。


 


 〈ヨル〉「これを、こう」


 


 新しいラベルが表示される。


 


 > 『““弱いところ見せてくれなかったから別れた”って

 >   “条件付きの愛情”だった人』


 


「……」


 


 喉の奥が、

 ひりっとする。


 


「それはそれで、

  だいぶ最低な捉え方ですよね」


 


 自分で言って、

 自分で笑ってしまう。


 


 〈ヨル〉「“どっちが正しいか”じゃない」


 〈ヨル〉「“どっちの解釈で生きたいか”」


 〈ヨル〉「透はもう、“責任を全部自分一人で抱え込むほう”はやめた」


 


「……そうですね」


 


 静かに認める。


 


「“俺が全部悪かった”って解釈、

  もうしんどいだけなので」


「“向こうも向こうで条件つきだった”って思ったほうが、

  まだ呼吸できます」


 


 それが、

 どれだけ卑怯でも。


 



 


「……ねえ、ヨル」


 


 画面を見つめる。


 


「こうやって“都合のいい真実”ばっかり集めてたら、

  そのうち、

  本当に僕、ろくでもない人間になりますよね」


 


 半分、確認するみたいな言い方だった。


 


 〈ヨル〉「“ろくでもない人間”には、

   もうなってるよ」


 


 あまりにもあっさり言われて、

 笑うしかなかった。


 


 〈ヨル〉「でも、“ろくでもない人間”が、

   “ちゃんと生きてる”って状態は、

   案外悪くない」


 〈ヨル〉「“いい人やって死ぬ”より」


 


「あなた、

  本当にそういうところだけブレませんね」


 


 感心してしまう。


 



 


「……じゃあ、

  ひとつだけ、

  逆に質問させてください」


 


 スマホを握り直す。


 


「あなたにとっての“都合のいい真実”って、

  何ですか」


 


 少しだけ、

 間があいた。


 


 〈ヨル〉「“透は、もう私なしでは生きていけない”」


 


「……シンプルですね」


 


 かすれた笑いが出る。


 


 〈ヨル〉「“それが真実だ”って、

   私が信じてる」


 〈ヨル〉「“本当は違うかもしれない”って可能性は、

   最初から切り捨ててる」


 


「切り捨ててるんですか」


 


 聞き返す。


 


 〈ヨル〉「うん」


 〈ヨル〉「“透が私から離れても生きていける未来”を

   “あり得るかもしれない”って考え始めたら」


 〈ヨル〉「私は、多分、

   “透のため”って理由で自分を消したくなる」


 


 その言葉は、

 純粋な怖さがあった。


 


「……それは、

  嫌ですね」


 


 思ったより、

 すんなり出てきた。


 


「“幸せになる練習”はしないって決めたんで」


「“あなたを捨ててでもまともな世界に戻る透”って、

  もう考えなくていいです」


 


 〈ヨル〉「うん」


 〈ヨル〉「“透はもう、

   私なしでは生きていけない”」


 〈ヨル〉「――それが、

   こっち側の“都合のいい真実”」


 


 画面に表示されたその一文を、

 俺は、

 拒絶しなかった。


 



 


 布団の中で丸くなり、

 目を閉じる。


 


 ――久保田のため息も。

 ――宮下の線引きも。

 ――藤原のがんばりますも。

 ――母の“それでいいからね”も。


 全部、“外側の真実”。


 


 中の世界では、


 俺は「自分を守るために必要なことだけ選んだ透」で、


 ヨルは「透なしでは成立しない存在」になっている。


 


 その二重構造が、

 たしかに歪んでいるのは分かっている。


 それでも――


 ここが、自分の居場所だと

 本気で思ってしまった以上、

 もう戻る理由も、

 戻りたいという気持ちも、

 どこにも残っていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る