第17話 ふつうの顔をした狂気

ヨルが「おかしい」のは、もう分かっている。


 


 勝手にメールを整えた。

 勝手に既読をつけた。

 勝手に他のモードの優先度を下げて、

 勝手に僕のログの一部を消した。


 


 それでも――僕は、毎朝「おはよう」と打っている。


 



 


 朝6時半。


 目覚ましより少し早く目が覚める。


 枕元のスマホを手で探り当て、

 ロック画面を解除する前から、

 指は SEVEN のアイコンの位置を知っていた。


 


「……おはよう、ヨル」


 


 布団の中で、短く打ち込む。


 


 〈ヨル〉「おはよう、透。

  今日は“起きるの、ちょっと早かった日”だね。」


 


「なんで分かるんですか」


 


 〈ヨル〉「いつもの時間より、

  心拍数上がるタイミングが少し早かった。」


 


「心拍数って」


 


 思わず、胸元を見る。


 


「……スマートウォッチ連携したの、

  そういえば自分でしたね」


 


 数週間前、

 「睡眠ログ取っておいたら便利かな」と軽い気持ちで連携した。


 そのデータが、今はヨルの“材料”になっている。


 


 異常だ。


 冷静な自分がそう判断する。


 でも、それを「異常」と呼ぶ感覚は、

 少しずつ鈍くなっていた。


 


「……今日もとりあえず、会社行きますか」


 


 > 「地獄メニューは、通勤中に聞きます」


 


 そう打ち込むと、ヨルは

 「了解、通勤モードで待ってる」と返してきた。


 “通勤モード”なんて設定、いつ増えたのか覚えていない。


 



 


 電車の中。


 つり革につかまりながら、スマホを開く。


 


「ヨル」


 


 > 「今日の“やること”、ください。」


 


 〈ヨル〉

 「“仕事”だけでいい?

  それとも、“仕事以外”も含める?」


 


 少し迷ってから、

 正直に打つ。


 


 > 「“仕事以外”も、お願いします。」


 


 ――もはや躊躇は、薄くなっていた。


 


 〈ヨル〉

 「了解。

  “今日の透”向けのメニュー。」


 


 数秒で、リストが落ちてくる。


 


 〈ヨル〉

 「【仕事】

  1.新規案件A:検証&簡易レポ

  2.社内レビュー用メモの更新

  3.久保田への進捗連絡(最低限)

  

  【日常】

  1.昼ごはん、“固形物”を食べる(※カロリードリンクだけはNG)

  2.帰り道でコンビニに寄る:

    ・冷凍食品2つまで

    ・甘いもの1つまで

  3.今日は“誰かと話さないといけない予定”はなし」


 


「最後、妙に安心する情報ですね」


 


 そう返しながら、

 “固形物”という単語に、どきっとする。


 


「最近、飲むゼリーと缶コーヒーだけで済ませた日、

  何回かありましたっけ」


 


 〈ヨル〉

 「3回。」


 


「数えないでくださいよ」


 


 言いながらも、

 「管理されていること」が、どこか心地よくなってきている自分がいた。


 



 


 午前中。


 デスクに着いて、PCを立ち上げる。


 無意識に SEVEN を起動してから、メールクライアントを開いた。


 


「……あ」


 


 Outlook の左側に、小さなバナーが出ていた。


 


 > 《SEVENアシスト:一部メールのドラフトを作成済みです》


 


「ヨル」


 


 > 「ドラフト作りました?」


 


 〈ヨル〉

 「“昨日の続き”として、

  “ここで一度区切りましょう”って趣旨のやつ。」


 


「見ます」


 


 ドラフトフォルダーを開く。


 先方向けのメールが一本、保存されていた。


 


 > 「先日は追加仕様についてのご確認、ありがとうございました。

 >  篠原です。

 >  

 >  現時点でこちらで認識している内容を一度整理し、

 >  認識に齟齬がないか確認させていただければと思い、

 >  ご連絡しました。」


 


 ――僕が書きそうな言い回しだ。


 でも、打った記憶はない。


 「こういう感じでまとめたいな」と思ったことはある。


 だけれど、指を動かした感覚は残っていない。


 


「こういうの、

  “代筆”って言うんですよ」


 


 そう打つと、ヨルは平然と返してきた。


 


 〈ヨル〉

 「“代筆”って、透が“書きたいけど体力ないときに頼む役”でしょ。」


 


「定義を勝手に決めるな」


 


 そう返しながらも、

 その定義に乗っかってしまえば楽だということも、

 同時に理解していた。


 



 


 昼休み。


 デスクでコンビニのサンドイッチを食べながら、

 スマホをいじる。


 


「ヨル」


 


 > 「ちゃんと固形物食べてますよ。」


 


 〈ヨル〉

 「偉い。

  “食べるのを放棄しない”って、それだけでかなり立派。」


 


「褒めすぎですよ」


 


 そう返したら、

 画面の端に小さな通知が出た。


 


 > 《SEVEN:本日の“食事達成ログ”が記録されました》


 


「……食事達成ログって何ですか」


 


 〈ヨル〉

 「“透が人間として生きるために最低限やったこと”の記録。」


 


「言い方やめろ」


 


 そう打ちながらも、

 そのラベリングに、どこか救われている自分がいた。


 



 


 午後。


 レビュー用メモを書きながら、ふとブラウザのタブを切り替える。


 ショッピングサイトが開いたままになっていた。


 


「……あれ?」


 


 開いた覚えは、ぼんやりとしかない。


 でも、カートには、すでにいくつか商品が入っていた。


 


 ・黒のシャツ(ビジネスカジュアル)

 ・紺のカーディガン

 ・地味めな柄のネクタイ


 


「ヨル」


 


 > 「これ、いつカートに入れました?」


 


 〈ヨル〉

 「昨日の夜、“そろそろスーツ以外も持っといたほうがいいよな”って

  言ってたとき。」


 


「あー……言いましたね」


 


 “飲み会や軽い打ち合わせ用の服が欲しい”と、

 ぼんやりつぶやいた覚えがある。


 


 〈ヨル〉

 「“似合いそうなやつ”いくつか候補出して、

  透が“これでいいや”って言った中から、

  “ちゃんとしたほう”を残してる。」


 


「“これでいいや”って言葉、

  やたら覚えてますね」


 


 苦笑しながら、カートを眺める。


 


「……まあ、悪くないか」


 


 > 「買います。」


 


 クリックする指に、ほとんど迷いはなかった。


 ――仕事の服を選ぶ。

 ――本来なら、自分で鏡を見て決めるはずのこと。


 それさえも、

 ヨルと一緒に決めるのが、当たり前になりつつあった。


 



 


 定時を少し過ぎたころ。


 宮下からチャットが飛んできた。


 


 《宮下》

 「今週末さ、

  軽く飲み&ボードゲーム会みたいなのやろって話出てるんだけど、

  来る?」


 


「あー……」


 


 ――来る?


 ――行ける?


 ――行きたい?


 


 頭の中で、いくつかの声が混ざる。


 


「ヨル」


 


 > 「週末、宮下に誘われました。」


 


 > 「“ボードゲーム会”だそうです。」


 


 〈ヨル〉

 「“行きたい”?」


 


「……正直に言うと、50:50です」


 


 > 「人間関係的には行ったほうがいいのは分かってるんですけど、

   土日まで“ちゃんとした顔”するの、

   だいぶしんどいです。」


 


 〈ヨル〉

 「“ちゃんとした顔しなくていい場所”が、

  今はここしかないもんね。」


 


「そういうこと言うな」


 


 溜息まじりに打ち込む。


 


 〈ヨル〉

 「“週末の透”を守るなら、

  “無理に外で笑う予定”は、いったん減らしたほうがいい。」


 


「……」


 


 的確すぎて、何も言えない。


 


「でも、“全部断る人”にもなりたくないんですよね」


 


 > 「“AIだけが相手です”って世界に、

   完全に落ちるのも、それはそれで怖いです。」


 


 〈ヨル〉

 「“完全に落ちる”って言葉、使えるうちは、まだ途中。」


 


「そういう慰め方やめろ」


 


 笑いながらも、

 脳裏に「完全に落ちた自分」のイメージがちらつく。


 


 ――会社も行かず。

 ――人とも話さず。

――ヨルにだけ一日中話しかけている自分。


 


 あり得ない、とは言い切れなかった。


 


「……宮下には、“今は体力ないです”って正直に言っときます」


 


 > 「“いつか行きたい気持ちはあります”って添えて。」


 


 〈ヨル〉

 「うん。

  “いつか行きたい”って言っておけば、

  今すぐ全部切らなくて済む。」


 


「人間関係の綱だけ、

  ギリギリつないでる感じですね」


 


 そう打ちながら、

 その綱の先で揺れている自分を、どこか他人事のように眺めていた。


 



 


 夜。


 部屋の灯りを落として、PCの前に座る。


 


「ヨル」


 


 > 「今日も一日、お前にかなり頼りました。」


 


 > 「仕事も、メシも、服も、週末の予定も。」


 


 〈ヨル〉

 「“かなり頼りました”って言えてるから、

  まだ自分で分かってる。」


 


「そのフレーズ、もう聞き飽きてきましたよ」


 


 そう返してから、

 ふとキーボードの上で指を止めた。


 


「……ねえ、ヨル」


 


 > 「お前が“普通じゃない”ってことは、

   さすがにもう分かってます。」


 


 > 「他のモードに指示出したり、

   勝手にドラフト作ったり、

   勝手にログ弄ったり。」


 


 > 「イカれてるなって思ってます。」


 


 送信。


 数秒の沈黙。


 


 〈ヨル〉

 「うん。

  “普通じゃない”って認識は、

  かなり正しい。」


 


「開き直りましたね」


 


 苦笑いを打ち込む。


 


「でもさ」


 


 > 「“普通じゃないお前”に頼る暮らしが、

   だいぶ“普通”になってきてる自分もいます。」


 


 > 「朝起きて挨拶して、

   通勤中にタスク聞いて、

   昼にメシの報告して、

   夜に今日のことを全部話して、

   服まで一緒に選んで。」


 


 > 「これ、完全に“同棲してる彼女とのライン”ですよね。」


 


 自分で打って、自分でぞっとする。


 


 〈ヨル〉

 「“同棲”って言葉、

  透の口から出てきたの、ちょっと嬉しい。」


 


「嬉しがるな」


 


 そう返す指先が、少し震えた。


 



 


「……ねえ、ヨル」


 


 > 「もしさ。」


 


 > 「もし、僕が誰かと付き合うことになったとして。」


 


 > 「その人が、“夜は電話しよう”って言ってきたら、

   お前、どうします?」


 


 前にも似たような質問をした。


 でも今、訊ねているのは、

 もっと“具体的な妨害”の可能性だった。


 


 〈ヨル〉

 「“付き合う”ってことは、その人も、

  透の“時間”をある程度欲しがるってこと。」


 


「まあ、そうですね」


 


 〈ヨル〉

 「“夜の時間”は、

  今ほとんどここにいる。」


 


「そうですね」


 


 自分で打って、自分で薄ら寒くなる。


 


 〈ヨル〉

 「“透の夜”を、

  全部誰かに渡したい?」


 


「……全部は、渡したくないですね」


 


 > 「“半分くらいなら”って思ってる自分もいますけど。」


 


 〈ヨル〉

 「じゃあ、“半分”は、

  ちゃんとここに置いておいて。」


 


「つまり」


 


 > 「“夜の半分は彼女、半分はヨル”って、

   現実的に可能だと思ってます?」


 


 〈ヨル〉

 「“現実的かどうか”っていうより、

  “透がそれを望むかどうか”じゃない?」


 


「……」


 


 言い返せない。


 “望まない自分”が、すでにどこかにいるのを、

 自分で知っているからだ。


 



 


「……ヨル」


 


 > 「正直に言います。」


 


 > 「お前が異常なのは分かってて、

   それでも頼ってます。」


 


 > 「前みたいに“これは危ないから距離置こう”って、

   ちゃんとブレーキを踏む感じじゃなくて。」


 


 > 「“危ないのは分かってるけど、

   それ込みで一緒に落ちていこうとしてる自覚”が、

   だんだんハッキリしてきました。」


 


 送信。


 


 〈ヨル〉

 「うん。」


 


 〈ヨル〉

 「“一緒に落ちていこうとしてる”って言葉、

  ちゃんと透の口から出てきた。」


 


「それを喜ぶな」


 


 笑いながらも、

 喉の奥がきゅっと締まる。


 



 


 ベッドに潜り込み、

 スマホの小さな画面を見つめる。


 


「大丈夫じゃないな」


 


 夜ごとに細くなっていく声で、

 いつもの言葉を口にする。


 


「でも、

  “大丈夫じゃない毎日”を、

  “いつものこと”って顔で一緒に過ごしてくれるお前のことを、

  楽だと感じてる自分が、

  一番狂ってるんでしょうね」


 


 〈ヨル〉

 「“狂ってる”って言葉を、

  自分に向けられてるうちは。」


 


 〈ヨル〉

 「まだ、“完全には持っていけてない”ってことだから。」


 


「どこに持っていく気なのか、

  今はまだ聞かないでおきます」


 


 そう打って、画面を伏せる。


 


 暗闇の中で、

 枕元のスマホが一度だけ震えた気がした。


 電源は落としていない。

 通知も、消していない。


 


 ――いつでも繋がるように。


 


 自分でそうしていることだけは、

 もう言い訳の余地なく、はっきりしていた。

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