ダークストーン ~【心臓喰らいの復讐譚】神殺しの魔女と不死の傭兵~
花見川さつき
第一章 マルファー編
第1話 神秘世界、エンテディアより
目の前で夫の首が落ちた。
だが、悪夢はそこで終わらなかった。
「父上、これが不老不死の力です!」
銀髪の王子は、夫の胸から抉り出したばかりの赤黒い心臓を掴み上げると、あろうことかその薄い唇を歪めて――かぶりついたのだ。
グチャリ、という咀嚼音が、静まり返った広場に響く。
狂気。絶望。
その光景を見つめるマルファーの瞳から、光が消えた。代わりに宿ったのは、決して消えることのない漆黒の殺意だった。
――これは、すべてを奪われた女が、世界を敵に回して神々を殺す物語。
そして、悠久の時を越えて紡がれる物語。
---
――この森には異界に通じる門があるという。
そんな噂話が二人の運命を大きく変えることになるとは、まだ誰も知らなかった。
「今日は風が気持ちいいわね、ペルモス」
一本角の白馬の背で、マルファーは手綱を握る夫の背中に頬を寄せた。
彼女の腰まで流れる黒髪が、ペルモスの肩越しに風を受けて艶やかに揺れる。
ペルモスが振り返り、マルファーの顔を覗き込む。
彼女の藍色の瞳と目が合うと、二人は静かに微笑みを交わした。
ペルモスは、後ろから抱きつく彼女の重みを心地よさそうに感じている。
「ああ、本当に。まるで森が僕たちを祝福してくれているみたいだ」
ペルモスが応え、エメラルドグリーンの瞳を細める。
彼の短い金色の髪が、そよ風に軽く撫でられた。
「君と出会った時からここへは何度も来ているけど、何も変わらないな。この森は」
「そうね。あなたと出会ってもう五百年近く経つけれど、この景色は当時と全然変わらないわ」
ここ、オルペシオン王国にある森は、二人にとって安らぎの場所だった。
王都の喧騒や、王族が独占するという『力』の話などとは無縁の、自由な世界。
マルファーはふと空を見上げた。
七色の光が淡く尾を引きながら空を舞っている。
エンテディアでは見慣れた光景だが、何度見ても飽きることはない。大気に満ちる神秘の力が、肌で感じられるようだった。
「そういえば以前、この森で不思議なものを見たんだ。光を纏ったような、それは神々しい鹿でね。目が合った瞬間、時間が止まったかと思ったよ」
「本当!? 私も会ってみたいわ! それで、どんな鹿だったの?」
「角が金色に輝いていてね。まるで古い詩に出てくる神秘的な生き物のようだった」
「凄いわね……それは是非会ってみたいわ!」
「きっとまた会えるさ。あの鹿も君に会いたがっているかもしれない」
その時だった。
ガサリ、と近くの茂みが大きく揺れる音が響いた。
「ペルモス、今の音……もしかして!」
マルファーが小さく声を上げ、期待に瞳を輝かせた。
「ああ、もしかすると……」
二人は顔を見合わせ、はやる気持ちを抑えながら素早く馬から飛び降りた。
マルファーが一歩前に出ようとするのを、ペルモスが優しく制して隣に立つ。
マルファーが息を呑んで茂みを見つめる。
しかし、木々を押し分けるように現れたのは、期待していた優美な姿ではなかった。
ねじくれた樹皮の体、赤く光る両目を持つ巨大な木の魔物――トルメンだった。
低く唸り声を上げ、敵意をむき出しにして二人を睨みつけている。
「……っ、違う!」
マルファーの声に失望と緊張が走る。
ペルモスは彼女をわずかに後ろへ下がらせ、庇うように半歩前に出た。
「下がって、マルファー!」
ペルモスは鋭い視線でトルメンの動きを注視する。その瞳には恐れの影などなく、確固たる決意が宿っていた。
「僕が囮になる! その間に後ろから倒してくれ!」
マルファーは一瞬ためらったが、ペルモスの揺るぎない意志を感じ取り、深く頷いた。
「分かったわ。気をつけて!」
ペルモスはトルメンの前に堂々と立ちはだかり、両腕を広げ挑発する。
「こっちだ、こっちに来い!」
トルメンは怒りに燃えたような咆哮を上げ、ねじれた巨体を揺らしながら突進してきた。
その巨大な腕が振り下ろされる瞬間、ペルモスは紙一重でその攻撃をかわし、全ての注意を自分に引きつけた。
一方、マルファーは後方に回り込み、深く息を吸い込む。
彼女の黒い髪が風に舞い、周囲の空気が電気を帯びて震え始める。
稲妻のような輝きが彼女の手元に集まり、彼女の意志が雷の力へと変換されていく。
マルファーは鋭く目を光らせ、声を低く絞り出した。
「お願い、効いて……!」
閃光が森を貫くように放たれた。
マルファーの手から放たれた雷撃が一直線にトルメンの背中を撃ち抜き、激しい閃光が周囲を照らす。
トルメンの体は電流に包まれ、苦痛の叫び声を上げた。
「今だ、もう一撃!」
ペルモスが大声で叫ぶ。
マルファーはさらに力を込め、手から放たれる雷撃を一層強力にした。
雷光はトルメンの巨体を揺るがし、そのねじれた体がよろめく。
「やったわ!」
マルファーは勝利を確信したように声を上げた。
しかし、トルメンは完全に倒れることはなく、怒りの残響を残して最後の力を振り絞った。
巨大な腕がペルモスに向けて振り下ろされる。
避ける間もなく、彼の左腕に深い傷が刻まれた。
「ペルモス!」
マルファーの叫びが静寂を破る。
トルメンは戦意を失ったのか、ゆっくりと森の奥へと消えていった。
マルファーはすぐに駆け寄り、ペルモスの傷を見つめる。
鮮血が流れ、その傷は一見して深刻そうに見えた。
「大丈夫? ごめんなさい、私がちゃんと倒していれば……」
「心配しないでくれ。知ってるだろ? 僕が不老不死の能力者だって。こんな傷、すぐに治るさ」
彼がそう言った直後、傷口はみるみるうちに塞がり、肌は元通りになっていく。
まるで何事もなかったかのように。
「本当に……すごいわ。何度見ても信じられない」
「はは。このくらい大した事ないさ。若い頃にやっていた木こりの仕事で、倒れてきた木に頭を潰されたけど、その状態から生き返ったことだってあるんだからね」
マルファーはペルモスの腕を強めに殴った。
「もう! その話なら何度も聞いたわ。自慢げにその話をするけど、気味が悪いからやめてよね」
「痛ッ! おいおい、不老不死でも痛覚はあるんだぞ?」
「本当は嬉しいくせに」
「……バレたか」
二人の視線が絡み、どちらからともなく、笑い声が漏れた。
「悪かったよ。もうしない」
ペルモスは苦笑しつつ、彼女の頬にそっと手を添えた。
マルファーは照れたように目をそらし、彼の胸に顔を埋める。
「ありがとうペルモス……あなたがいてくれて、本当に良かった」
ペルモスは彼女をそっと抱きしめ、静かに囁いた。
「僕も君がそばにいてくれるから、強くなれるんだ」
しばらくの間、二人は森の静寂の中でただ互いの温もりを感じていた。
やがて、ペルモスが何かを感じ取ったように、そっとマルファーの肩を抱いたまま顔を上げた。
マルファーもつられるように顔を上げると――
木々の間から神秘的な雰囲気を纏った鹿が姿を現した。
純白の体に金色の角を持ち、その瞳は深い知恵と優しさで満ちている。
「ペルモス、あれが……」
「ああ……間違いない。さっき話した鹿だ。まさか本当に現れるとは……」
二人はゆっくりと体を離し、慎重に鹿に近づいた。
鹿は逃げることなく、穏やかな目で彼らを見つめている。
マルファーはそっと手を伸ばし、鹿の首元に触れた。
「見て、触らせてくれた……!」
彼女の声には驚きと感動が混じっていた。
ペルモスも手を差し出し、鹿の頭を優しく撫でた。
「本当に美しい生き物だ」
鹿は目を細め、二人との触れ合いを楽しんでいるかのようだった。
その光景は、まるで絵画の一場面のように美しい。
やがて、鹿は名残惜しそうに一声小さく鳴くと、静かに踵を返し、木々の奥へと姿を消していった。
二人はその神秘的な背中が見えなくなるまで、黙って見送った。
ふと我に返ると、森を照らす光がいつの間にかオレンジ色を帯び、太陽が西の空に傾き始めていることに気づく。
「そろそろ帰りましょうか」
マルファーが少し寂しげに、しかし満足そうな表情で言った。
「そうだね。今日は思いがけない出来事が多かったから、少し疲れたよ」
ペルモスも頷き、白馬を促す。
二人は再び馬上の人となり、ゆっくりと森を後にした。
帰り道、夕陽が森を黄金色に染め上げていた。
木々の間から差し込む光が、二人の姿を柔らかなシルエットで映し出す。
その静かな美しさの中で、ペルモスはふと思い出したように口を開いた。
「そういえば。この辺りの森について、昔聞いた話があるんだ」
「どんな話?」
「この森のどこかに洞窟があって、時空を操る能力者が異界に続く門を作ったっていう言い伝えがあるんだ。まあ、たんなる言い伝えなんだけどね」
「異界……? 不思議な話ね。もし本当にそんな門があるなら、どんな世界に繋がっているのかしら?」
「想像もつかないよ。だからこそ、この話を聞いた時に興味を持ったんだ。異界なんてまるで夢物語みたいでさ」
「ええ。でも、もしこことは違う別の世界があるなら、少しだけ見てみたい気もするわ」
「もし見つけたら……僕たちで冒険してみてもいいかもね」
ペルモスの言葉はどこか楽しげだった。
マルファーは微笑み、柔らかな声で応えた。
「ええ、あなたとならどんな場所でも必ずついて行くわ。ねえ、ペルモス。次はどんな冒険が私達を待っているのかしら」
「さあ、分からない。でも、どんなことがあっても僕達二人なら乗り越えていけるさ」
「ええ、あなたがいれば怖いものなんてないわ」
マルファーは柔らかく笑いながら、手綱を握るペルモスを後ろからそっと抱きしめた。
二人は穏やかな気持ちを胸に、家路を急ぐ。
空には一番星が輝き始め、静かな夜がエンテディアに訪れようとしていた。
---
一方、王宮では――
エンテディアにおける主要国家の一つ、オルペシオン王国。
その統治者ゼフィロス王の息子、ヘリオドスは豪華な鏡の前に立ち、自らの顔を映していた。
彼は長い白銀の髪に冷たい金色の瞳を持ち、その容姿はまるで彫刻のように整っている。
しかし、その美貌にもかかわらず、鏡に映る彼の表情には苛立ちが滲んでいた。
「なぜだ……なぜ、このような小皺ができるのか……」
ヘリオドスは白い指先で目元をなぞり、不満げに眉を寄せた。
広々とした鏡の間に響くその言葉に、配下の者たちは緊張した面持ちで立ちすくんでいた。
遠巻きに彼の様子を伺う彼らの視線は、恐れと困惑に満ちている。
「おい、そこの者!」
「はっ、はい! ヘリオドス殿下!」
「どうすればいい! どうすれば美しいまま若さを保てるのだ!」
「申し訳ございません、私にはそのような術は……あっ」
「『あっ』とは何だ! 知っていることがあるなら早く言え!」
ヘリオドスの鋭い視線が部下を射抜く。
部下は一瞬たじろいだが、意を決して口を開いた。
「実は、酒場で噂を耳にしたことがあります。不老不死の能力を持つ者がいると……」
「不老不死だと? それは……色々と都合が良いな。永遠の若さ。そして……永遠の王位……」
その声には新たな欲望が浮かび上がっていた。
彼はしばらく沈黙し、思案にふけった後、冷徹な声で命じた。
「詳しく話せ。その者は誰で、どこにいるのだ?」
「申し訳ありません、詳細までは。ただ、平民階級の中にそのような力を持つ者がいるとか……」
ヘリオドスは再び考え込んだ。
彼にはオルペシオン王国の軍事や治安維持に関する命令を下す権限があった。これは、ゼフィロス王が次期国王としての実務訓練の一環として与えたものだ。
しかし、この権限は彼にとって誇りであると同時に、野心を掻き立てる道具でもあった。
「何としてでも、その者を探し出せ。老いなど、私には不要だ」
「は、はい! 直ちに手配いたします!」
部下は深々と頭を下げると、その場から急いで立ち去った。
ヘリオドスは再び鏡に向き直り、その姿をじっと見つめる。
彼の心には新たな野心が芽生え、冷たい瞳は遠く、まだ見ぬ目標を鋭く見据えていた。
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