第四話 vase−2

 気が付くと見知らぬ場所にいた。

 おかしいな。

 さっき僕は粉々に割られて……。


 辺りを見渡してみる。

 どうやらここは倉庫のようだ。僕はたくさんの食器に囲まれている。


 別のに移ったのか?


 頭がくらくらする。

 薄暗いせいで、僕の体と周囲の影との境界が曖昧だからだろう。

 今は何時なんだ。

 もしも夕方や夜なら、これから朝まで苦しみが続くのか。

 いやだ。

 辛いのは嫌だ。

 誰か、灯りをつけて。

 あかりを……。


   *


 完全な闇が、僕を包んでいる。

 あれから辺りはどんどん暗くなっていった。

 夜が、来たのだ。

 これからまだ十数時間苦しむのかと思うとぞっとする。


 何で、こんな目に……。

 死んだからか? それだけで?

 それとも!僕は何か罪を犯したのか?

 ここは、地獄なのか?

 楽になる方法はないのか?


 色々な考えが頭の中を過ぎっては、黒く染まって消えていく。


 襲い来る喪失感。

 今、また何かを忘れたのか?

 それは何だ?

 大切な思い出だったのだろうか。

 わからない。

 思い出せない。

 僕は……僕は……。

 だんだんと意識が遠ざかる。

 良かった。

 これで、楽になる……。


   *


 気が付くと、僕は棚に並んでいた。

 辺りを見渡す。

 どうやら、小さな雑貨屋のようだ。


 今まで気付かなかったが、僕はまた花瓶に成っていたらしい。


 僕は陳列棚の一番上に置かれている。明々とした照明が空間を照らし、僕の体を壁に這わせている。そのため店内の様子がよく見ることが出来る。

 遠巻きに『本体』を観察してみる。

 なかなか、お洒落なデザインじゃないか。

 だんだんと頭がはっきりとしてきた。

 この明るさのおかげだろう。

 気を失っている間に記憶が全て消えてくれるのなら良いが、どちらかといえばやはり明るいところの方が好ましい。暗闇は、しばらくは勘弁して欲しい。あの意識が闇に溶ける感覚はたまったものではない。

 店員などはいないのだろうか。

 自分がどれくらいの間、意識を失っていたのかはわからないが、今は店がやっているような時間ではないのだろうか。それにしては照明が明るすぎるだろう。開店の準備中なのだろうか。そういえば遠くから何か声が聞こえる。どこかで朝礼でもしているのだろうか。


 店の入り口を見てみる。扉にかかった札には『OPEN』という文字が書かれている。ということはつまり、外には『CLOSE』の面が向いているのだろう。

 扉の外は道路のようだ。ここは一階なのか。外は明るい。まだ午前中なのだろう。

 部屋の奥へと視線を移す。奥の壁には扉がひとつ。あちらが事務所か物置なのだろう。


 小さく軋んで奥の扉が開く。そして二人の女性が現われた。

 店員だろう。同じエプロンを着けている。

 一人はにこやかな中年女性。長い髪を無造作にまとめ、化粧っ気のない顔をしている。しかし、よく見ればかなりの美人だ。眼鏡をコンタクトにして化粧をすれば相当化けるだろう。この女性が店長なのだろうか。

 もう一人は、もしかしたらこの女性の娘なのかも知れない。歳は二十歳前後といったところか。顔立ちというか雰囲気が似ている。

 二人は何かを話しているが、その内容までは聞き取ることが出来ない。音としては聞こえているのだが、何故か言葉の意味するところが理解出来ないのだ。

 これは、どういうことだろうか。

 さっきまで気を失っていたせいなのだろうか。

 出来れば、治って欲しいものだ。


 娘の方が扉へと歩いて行く。

 そしてプレートを裏返し、鍵を開ける。

 開店らしい。

 店長はレジで何か操作をしている。

 今日、僕は誰かに買われるのだろうか。

 しばらくは、この店にいるのも良いかも知れない。

 どちらにせよ、決定権は僕にはないが……。


   *


 結局、今日は誰にも買われることなく店仕舞いとなった。

 しかし、商品として棚に並ぶのは思ったより良い気分だった。正確にいえば自分は影なので、花瓶の方は自分ではないのだが、客の手に取られ品定めされている時には何ともいえない快感を覚えた。売れなかったのは悔しいが、明日もまた客に見られると思うと、少しだけ興奮した。死んだ後に新たな性癖を発見するなど、とんだ笑い話だ。

 いや、もしかしたら忘れているだけで僕はそういった類いの変態だったのかも知れない。

 ……やめよう。思い出す必要はないし、どうせ思い出せやしないだろう。

 それに興奮したからといって、即ち性欲というわけでもないだろう。高校の文化祭で、初めてステージに上がった時のような興奮だ。優越感、とは違うだろうか。

 そもそも僕はもう死んでいるのだから、こんな影の体で性欲を感じるはずもない。

 ……って、僕は誰に言い訳をしているのだろうか。

 話し相手がいないため、ついつい一人で会話してしまう。変な癖がついてしまった。


 それにしても、一日中誰ともコミュニケーションを取らずにいることがこんなに退屈とは思わなかった。

 元よりそこまで人付き合いの良い人間ではないが、自分からコミュニケーションを取らないのと、取れないのとでは全く違う。選択枝がない状態というのは堪らない。


 何だか少し、気持ちが滅入ってきた。

 気分転換に店内を見渡す。

 店長は売り上げの計算でもしているのか、レジのところで作業をしている。

 娘の方は商品にをかけて回っている。僕の埃もくれるのだろうか。楽しみだ。


 扉の外を見る。

 もうすっかり暗くなっているようだ。

 と、いうことは、これからまた、辛く苦しい時間が待っているということか……。

 早く、気を失えれば良いけれど……。

 娘が僕に近付く。

 思いがけないことに、娘は僕──花瓶をひょいと手に取った。

 そして店長に何か声をかける。


「──。ネエ、──。───オカアサン──。」


 今「お母さん」と言ったか?

 前後の言葉は判別出来なかったが、確かに今店長に向かって「お母さん」と言った。

 やはり親子だったか。

 店長に対して自分の母親がどうだと話している可能性もあるにはあるが、言い方からしてそれは違うように思える。


 そうかそうか。

 思った通り親子だったんだな。

 他人にしては見た目が似すぎてるもんな。

 そうかそうか。やっぱりなあ……。

 ……まあ、わかったからどう、ということもないけど。

 娘が花瓶を棚に戻す。

 なんだ。戻しちゃうのか。

 てっきり「気に入ったから家に持って帰っても良い?」などと話しているのかと思った。

 娘は僕を置くとはたきがけを再開する。

 時折、店長と何か話しているが、何と言っているのかはわからない。

 しばらくして、二人はお互いの作業を終え、奥の事務所へと消えた。

 照明の光度が一段階下がる。

 いよいよ、また僕に夜が来るのだ。

 ああ、いやだ。

 こんな時、苦しみを分かち合える仲間がいたら良いのに。

 何故、僕はこんな罰をうけなくてはいけないんだ。

 生前に罪を犯したからか?

 思い出せない。

 思い出せない罪を償わなくてはいけないのか。

 本当に僕は悪い人間だったのか?

 騙されてるんじゃないか?

 だって……そんな記憶はないのに……。

 僕はただの学生で……。

 あ、いや、違う。もう、僕は大人で……。

 ああああ、そんなことは良い。どうでも良い。

 いやだ。

 苦しいのはいやだ。

 ふっと店内の灯りが消える。

 いやだ。

 体が、闇に飲み込まれる。

 いやだいやだいやだ。

 心と体が千切られ、自我と夜とを撹拌させられるような感覚。


「やめろおおおおおおおおおおおお!」


 思わず叫ぶ。

 しかし声は空気を震わせることもなく、僕の魂に刺さって、消えた。

 長い夜が、始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る