第16話 追いかける、方向で 〔輝咲〕
先週の土曜日。
お昼に、鈴音さんの家で、右足首のギプスがとれたお祝いをしてもらって。
夕方、のんびりとソファで膝枕をしてもらっていた時のことだ。
「いいところが、あるの」
と、鈴音さんが、微笑みながら、わたしにスマホを見せてくれた。
「ここ。久我さんの誕生日に、行かない?」
「……んー?…」
わたしの胸の上あたりに掲げられたスマホ画面を、頭だけ起こして覗き見る。
鈴音さんのスマホに映し出されていたのは、どこかのBARの公式サイトだった。ヘッダーには、夜景とカクテル。
アルファベットで書かれた、なんて読むのかもよくわからない店名。
「へー、すごい。大人の店、って感じだ」
「前に、職場の同僚と行ったの。担当した書籍の、重版出来のお祝いに」
きっとわたしが、和紗さんと行ったところなのかどうかを気にすると思ったのだろう、鈴音さんが先手を打って教えてくれる。
BARかぁ……。
自分のことはさておき、ここでカクテルを飲む鈴音さんはきっと綺麗だろうなぁ、なんて妄想してしまう。
……うん。行ってみたい、かもしれない。
「行ってみたい。ここで、お酒飲む鈴音さん、絶対、きれいだよ。見たい」
思ったままを口にすると、鈴音さんは、「動機が不純ね」とおかしそうに笑いながら、私の頭を撫でる。
「お酒は美味しいし、景色は綺麗だし、いいところなの。せっかくの20歳なんだから、ここで、お祝いしましょ」
そう言って微笑んだ鈴音さんの表情から、彼女がわたしの20歳の誕生日を、とても大切に思ってくれていることが伝わってきた。きっとこの店だって、いろいろ考えて、それなりに悩んで、提案してくれたんだろう。
今年の12月3日は金曜日で、鈴音さんは仕事もあるはずだった。
けれど、
「早く終わらせて、帰るから。楽しみにしててね」
って、張り切ってくれていた。
だから、素敵な誕生日に、なるはずだった。
忘れられない、幸せな20歳の誕生日に、なるはずだったんだ。
……なのに。
その、12月3日、わたしの誕生日、当日。
「……触らないで」
慌てて追いすがって握った手は、鈴音さんに振り払われた。
「……鈴音さん、ちょっと、話を…」
「聞きたくない」
鈴音さんは、わたしを頑なに拒み続けた。一瞬握った彼女の手は、ひどく、冷たかった。
こんなに怒っている鈴音さん、初めて見た。いや……違う、怒ってるんじゃない。傷ついてるんだ。
原因は、分かってる。
たぶん、ぜんぶ、わたしが悪い。
その、約1時間前。
サークルの練習の後、ちょっときれいめの服に着替えて。
待ち合わせ場所へ向かおうと、玄関で新しいスニーカーの紐を結んでいた時だった。
鈴音さんから、電話があった。
わたしはすぐに、通話ボタンをタップする。
「あ、鈴音さん、おつかれー」
「久我さん、ごめんなさい」
わたしののんびりとしたトーンとは異なり、鈴音さんの声には、緊張感があった。
「……何かあった?」
と、わたしも少し緊張気味に聞くと、鈴音さんは早口で答えた。
「ごめんなさい、どうしても、今日中にしないといけない仕事が入ったの。1時間くらいで終えられると思うから、少し、待っててもらえる? ご飯、軽く食べていてくれていいから」
ああ、鈴音さん、きっと何かを誰かにお願いされたんだな、と察する。ずいぶん急いでいる様子だから、たぶん、こうやって電話をかけてくれるのも、特別対応なんだろう。
大人って、たいへんだ。
「分かった、じゃあ駅前のサイゼに入って、軽く食べながら待ってるよ。気にしないで」
「……ありがとう。できるだけ急ぐわ。本当に、ごめんなさい。じゃあ」
……プツッ…
鈴音さんは、早口にそれだけ言って、電話を切った。
あんなに、楽しみにしててくれたのにな。
きっと不本意なんだろうなぁってことが、鈴音さんの声色から、伝わってきた。強張っていて、ピリピリしていて。たとえ早く帰りたくても、誰かが困っているのを見過ごして帰れるほど、不義理な人ではないから。
でも……今日くらいは、早く、会いたかったな。
「ま、しかたないか」
鈴音さんは、大人だから。大人には、いろいろと事情があるんだろうから。
わたしは、立ち上がって、玄関の姿見に映った自分と向き合ってみる。
新しいスニーカーを履いて、グレーのチェスターコートを着て。なんとも心もとない表情をした一人の大学生が、そこに映っていた。
「もう20歳なのか、わたしも」
お酒も飲めるし、そろそろ、りっぱな「大人」の仲間入りだ。
なんだか全然、実感が湧かないけれども。
気を取り直して駅前のサイゼリヤでモッツァレラのサラダを食べていたら、思わぬ人から、声をかけられた。
「きさ先輩?」
顔を上げると、
どうやら立花は、いま、店に入ってきたところらしい。
「おぁー、立花じゃん」
彼女がわたしのことを好きだって知ってからは、わたしもそれなりに、意識をして接するようになった。
極力「普通」に。でも身体接触だとか、期待を持たせるようなことが、ないように。
それは今のところ、けっこう成功しているんじゃないかと思っている。立花も、だんだん、前みたいに私の前で、元気な顔を見せてくれるうことが増えてきている気がするし。
「どしたの? 夕ご飯?」
「え、はい、わたしは、そうですけど……きさ先輩こそ、どうしたんですか?」
「え?」
立花はわたしの前で立ち止まったまま、怪訝そうにしている。
「今日、きさ先輩、誕生日でしょ? なんでひとりでサイゼでサラダ食べてるんです? 恋人のとこ、行かないんですか?」
「……あ、あー」
立花から「恋人」って言葉が出ると、変に緊張してしまう。
はっきり言って、いいものかどうか。
いや、いいんだろう……けど。
「アレだよ、わたしの彼女、社会人だからさ。仕事、長引いちゃって。待ってるとこなんだ」
「……そう、なんですか…」
立花はなんだか不満そうだ。
やっぱり彼女の話とかされるのは、嫌だったりするんだろうか。まずかったかな。
なんて、思っていたら。
「きさ先輩、前、いいですか?」
「んぇ?」
答える前に、立花は私の向かい側の席に、背負っていたリュックを置き、マフラーとコートを脱ぎ始める。
「先輩が待っている間、いっしょにいてあげます」
「え、あ、そう……? でもたぶんもうあと30分くら……」
「いいんです! お誕生日、でしょ? お祝いさせてください」
あ、いつもの立花だ。
グイグイ来て、元気よく笑顔を振りまいてくれる、その感じ。
なんだかそんな風に接してくれるのが久しぶりな気がして、嬉しくて、思わず、顔がほころんでしまう。
「あーうん。じゃあ、ありがと。立花」
「……はい」
ずずずっとリュックとコートを奥にずらして、立花が若干怒ったような顔で、わたしの前に座る。
なんだ、なんで怒ってるんだろ。
わたしはモッツァレラチーズを頬張りながら、それを見つめる。
「立花は、何食べんの?」
「わたしは、ミラノ風ドリアです。今日はそれ食べたくて来たので」
立花はさっそく、QRコードを読み込んで、スマホで何やら、ぽちぽちと注文をしている。
なんだかすごく手慣れている感じがした。
「よく、ここ来るの?」
「そうですね、家から近いので。作るのがメンドクサイ時とか。安いから、助かります」
ぽちっ、と何らかの操作をして、立花がスマホを置く。どうやら注文し終わったらしかった。
「あー、ね。わたしもよく、家の近くの松屋行くもんなー」
「きさ先輩は、ほぼ作らないんでしょ。めちゃくちゃよく松屋でみるって聞きましたよ」
「え? 誰から?」
「けい先輩から。あそこの松屋に行ったら、ほぼ100%の確率で、きさ先輩がいる、って言ってました」
「いや、ほぼ100%ってことはないでしょ、住んでんじゃん、もはやそれ」
二人して、けらけらと笑う。
わたしたちはそんな風に、ここらへんにある安い店のレパートリーの話とか、サークル内の誰がどこに住んでいるとか、そういう他愛もない話をした。
なんだか安心した。いつもの立花だ、と思って。
さっきまで、正直なところ、ちょっと気分が落ち込んでたけど。立花としゃべってたら、気が紛れてきた、気がする。
「ありがとね、立花。なんか、元気になってきたよ」
「どういたしまして。誕生日にしょんぼりしてるのなんか、もったいないですからね」
立花が嬉しそうに笑う。
いい子だなー、立花。ほんとに。
そんな風に思っていたら、わたしたちのテーブルに、ミラノ風ドリアと、それから、プリンが置かれた。
……プリンだ!
あ、立花が食べるのかな。
と思っていると、立花がわたしの顔をのぞきこんだ。
「先輩、プリン、好きですよね?」
「あ、うん、好きだよ」
「……だから、これ。きさ先輩に、誕生日プレゼントです」
立花は、少し頬を赤らめて。すすっと、運ばれてきたプリンを、わたしの前に差し出す。
小さなプリンが、プルプルと動く。
「え、いいの?」
「はい、お誕生日なので。特別です」
「おー、そっかぁ……」
……うれしいなぁ。
立花、ほんとに、いい子だよなぁ。
なんか……申し訳ないな。ほんとに。
わたしの心に、ざわざわと、罪悪感のようなものが広がっていく。
気持ちに応えてあげられないのに。
こんなことまで、してもらってしまって。
サプライズは嬉しかったのに、笑顔が、上手く作れない。
「立花、ありがとね」
「……どう、いたしまして」
立花は頬を赤らめて、下を向いている。
どうか、この子があまり傷つくことなく、気持ちをどこかへやってしまえますように。
そんなことを想いながら、わたしは立花にもらったプリンを、大事に食べた。
鈴音さんから、メッセージがきたのは、それからだいたい30分くらいしてからのことだった。
〈ごめんなさい、いま終わったから。あと5分くらいで、サイゼリヤにつくわ〉
わたしは、
〈わかった、じゃあ店の前で待ってるね〉
と返して。
スマホから顔を上げたら、立花と目が合った。
「彼女さん、もう来れそう、ですか?」
少し、寂しそうな顔だった。
わたしはどこか申し訳ない気持ちで、「うん」とつぶやく。
……何やってるんだろう。わたし。
そもそも最初の段階で、断っていた方がよかったのかな、なんて、今になって思う。
こんな顔をさせたかったわけじゃ、ないのに。
「じゃ、出ましょうか」
立花はどこかさっぱりとした口調で、そう言った。座席から立ち、コートやマフラーを身に着け始める。
わたしも、コートを着て、クラッチバッグを持って。
立花といっしょに、サイゼリヤの外に出た。
会計は、ぜんぶ立花がもってくれた。「いや、わたしのが先輩なんだし、払わせてよ」って何度もお願いしたけれど、「何言ってんですか、誕生日プレゼントの意味がなくなっちゃうでしょ」って、全然取り合ってくれなかった。
店の外は空気が冷たくて、頬がひんやりと冷えた。
「寒いですねー」
と立花が言う。
「そうだねー、もう12月だしねー」
と、わたしが答える。
来年度になったら、わたしは就活がはじまるから、サークルにもあまり顔を出せなくなるだろう。
立花としっかりいっしょにプレーできるのだって、あと半年くらいしかないんだなー、なんて、当たり前のことを実感する。
「じゃあ、わたし、あっちなんで。帰りますね」
立花は、駅とは反対側の方の道を指さしながら、わたしに言う。
立花が指差した方角はかなり真っ暗な道で、少し心配になる。
「え、大丈夫? けっこう暗そうだけど」
「大丈夫ですよ、いつもこれくらいの時間に帰ってますから。バイトある日だと、もっと遅いですし」
それだけ言って、立花はわたしの顔を、のぞき込んだ。
「……あれ? 先輩、まつ毛に何かついてますよ」
「……え? あ、そう?」
「取ってあげますから。ちょっとしゃがんで、目、つむってください」
わたしは言われるままに、目をつむって、立花の手が届きやすいように、少し膝をかがめた。
すると。
……ふにっ。
柔らかい感触が、唇に触れて。
ちゅ、と小さな音を立てた。
………んぇ?
疑問に思って、目を開けると。
目の前に、切なげに眉を寄せ、耳まで真っ赤にした、立花の顔があって。
何をされたのかを、理解した。
「……ちょっ…! 立花、なにして…」
「きさ先輩が、言ったんですよ……」
しどろもどろなわたしの言葉を、立花が少し怒ったような声で、さえぎった。
「もっとズルくならないと、って」
「なっ…」
なんだそれ、そんなことわたし言って……
……いや、言ったな、それ。うん。言った。
……いやいやいや、でもそれは……
「バスケの、話でしょ……」
口元を手で覆いながら、わたしはどうしていいか分からずに、立花から目を逸らす。
なんだろ、いまの立花の表情を見てると、調子が狂ってしまう、気がして。
立花は、頬を染めたまま、へへ、と笑いながら、目を逸らしたわたしの視線の先に、ひょっこりと顔をのぞかせた。
「フェイント、上手くなりました? わたし」
「……ばか、なに言ってんの」
どうしよう、立花の顔を見ると、さっきの感触を思い出して、わたしまで赤面してしまう。
こんなとこ、鈴音さんに見られたら……
わたしはそこまで考えて、ハッと顔を上げて、鈴音さんがやってくるであろう道の方を、振り返る。
途端、心がぎゅっとした。
「……鈴音、さん…」
いつから、そこに居たんだろう。
私たちのいる道の、道路を挟んで、すぐ向こう側に、立っていたのは。
いつもより少し華やかなスーツ姿の、鈴音さんだった。
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