第35話 千波ちなはメインヒロインである②

 時刻は18時と30分、夏が近づいてきたからまだ夕方だ。


 西陽に目を細めながら駅へと向かう。

 初夏のビル風は既に熱風。暖房と言っても差し支えのないそれは、じっとりと湿気を含んでいる。


 千波曰く、これはデートらしい。


 最近よくその単語を聞く気がする。

 単なる飲みとデートの境目はどこにあるんだろうか。まだまだ恋愛力の弱い一般社畜ではわからない。


「千波なぁ」


 彼女との付き合いも長い。

 新卒でこの会社に入社した時から今まで、どんどん減っていく同期の中でなんとか生き抜いてきた戦友だ。

 少なくとも、瑚夏さんよりは圧倒的に重ねた時間が多い。


 ……まぁだからと言って、何かが起こったりはしないが。

 たまに社内で会った時に冗談を言い合える間柄、それが俺たちの適正距離だ。


 そんなことをもんもんと考えていると、いつの間にか待ち合わせの駅に到着。

 辺りを見回して彼女を探す。


「ばーか、後ろだよ」


 近すぎる声に振り向くと、ニンマリと笑った千波ちなと目が合った。

 キュッと結ばれたいつものポニーテール、やけに光を反射するうるうるの唇が機嫌良さげに持ち上げられている。


「おっと、俺が遅かったか、すまん」


「いーえ!私も今来たところよ」


 とん、と彼女は一歩前へ踏み出す。

 違和感は視界から。いつもの千波とどこか違う。


 某イタリアンチェーンの間違い探しよりも難しいだろこれ。

 でも恋愛力の低い俺でもわかる。この違和感にはちゃんと気づかねばならない。

 「いつもと違う」ということはつまり、「今日のための準備」に他ならないからだ。


 世界中のみんな、オラに恋愛力を分けてくれ!


「またしょうもないこと考えてる?」


「まさか、明日の日経平均株価とか考えてたよ」


「嘘つくな」


 軽く握られた拳が肩にポコンッと当たる。

 反動で揺れるポニーテール……あ、そうか。


 こんな高さ・・・・・に彼女の顔があるはずがない。

 不意に気付かせてくれた運命の女神に感謝を捧げながら、店への一歩を踏み出す。

 ヒールを履いている彼女が歩きやすいよう、できるだけ足の幅は狭めて。


◆ ◇ ◆ ◇


「ここね〜!」


 臆すことなくドアをガラガラと開ける千波。入ったことない店って最初は萎縮してしまうものなんだが。


「予約していた立野です」


「は?おい」


 席までの道のりで問いただす。

 こいつ、聞き捨てならない名前で予約してやがる。


「何よ、ちゃんと予約してたから入れたじゃない」


「普通に千波でいいだろ千波で」


「チッチッチ!」


 なぜか彼女は得意げな顔で人差し指を揺らす。

 人差し指に合わせて頭の後ろの尻尾も揺れている、人間メトロノームかよ。


「そんな遊び心のないことしないわ」


「人の名前で遊ぶんじゃねぇ!」


「えっ!?立野の名前ってフリー素材じゃないの?」


 どんな法律がそれを許すんだ。金に糸目は付けない、最高裁まで争ってやる。


「誰が人間いらすとやだ」


「やぁん怒らないで〜せっかく美味しいもの食べに来たんだから〜」


 優雅な仕草でテーブルに肘をつく千波。

 淡いオレンジの照明のせいか、いつもより大人っぽく見える。


 お前、そんなアンニュイな表情するんだな。


 仲のいい人の雰囲気が突然変わると、どこか照れくさい。自分の知らない一面、見てはいけない瞬間を見てしまった気がして。


「満漢全席、いっとく?」


 ニヤリと唇の端を片方だけ持ち上げて彼女は言った。

 よかった、いつもの千波だ。


 どこか外したような言動に心が落ち着く。いや、馬鹿にしているわけではなく。


「軽く『いっとく?』で始めるもんでもないだろ」


「でも人生は思い切りが大事って言うし」


「人生を食だと思ってないか?」


「え、ちがうの?」


 キョトンとした顔に笑ってしまう。


「違う……と思うんだけど」


「そこはかっこよく言い切ってよ〜」


 どうしようもないやり取りをしていると、突然運ばれてくる生ビール。あれ、注文してないよな?


「あ、席案内される時にこそっと頼んどいたから」


 思考を読み取ったのか、自慢げな千波がジョッキを俺の方へ滑らせる。


 ここにもしごできが一匹。

 ふぅ、一般社畜は肩身が狭いぜ。


「まぁ聞きたいことはいろいろあるんだが」


「それはこっちのセリフだけどね!まぁそれはアルコールが入ってからで」


 考えていることは同じなようだ。

 どちらからともなく冷えて汗のかいたジョッキを持ち上げる。


 今、言葉は要らない。


 駅地下の突き当たりの、店のさらに奥の奥、二人で使うにはやや広いテーブルの上で、黄金色の影が重なった。


「「乾杯!!」」

 

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