殴って!殴って!殴りきって!立っていたのは私でした!―捨てられた無能少女、拳ひとつで魔王となる―

ペンタ

第1話 廃棄された二十人目の勇者


 視界が真っ白に染まり、浮遊感が胃袋をせり上げる。まるでジェットコースターで急降下した時のような不快感に私は思わず口元を押さえた。


「――成功です!勇者召喚、成功いたしました!」


 歓喜に震える男の声が鼓膜を打つ。ゆっくりと目を開けると、そこは学校の教室ではなかった。天井が高い。異常なほどに高い。見上げれば、ステンドグラスから差し込む七色の光が、磨き上げられた大理石の床を濡らしている。まるで映画のセットのような、あるいはゲームの中でしか見たことのない王城の広間そのものだった。


「なんだよこれ……マジかよ」


「うそ、私たち、本当に異世界に?」


 ざわめきが波紋のように広がる。周囲を見渡せば私と同じ制服を着たクラスメイトたちが呆然と立ち尽くしていた。全部で二十人。私立の進学校に通う2年A組の生徒たちが丸ごとここに立っていた。


「ようこそ、異界の救世主様たち」


 凛とした、鈴を転がすような美声が広間を支配する。祭壇の奥から歩み寄ってきたのは一人の少女だった。年齢は私たちと同じくらいだろうか。しかし、その纏う空気は決定的に違う。透き通るような白磁の肌に、黄金の糸を紡いだような長い髪。瞳は深海を思わせる碧眼。純白のドレスに身を包み、宝石を散りばめた杖を手にしたその姿は、絵画から抜け出してきた女神そのものだった。


「私はこのサンクチュアリ王国の第一王女、ユーフェミアと申します。突然のことで混乱されているとは思いますがどうかお許しください。私たちの世界は今、魔王という強大な悪によって滅びの危機に瀕しているのです」


 王女ユーフェミアは、胸の前で手を組み、悲痛な面持ちで頭を下げた。


「どうか、あなた方の力を貸してください。世界を救う『勇者』として」


 勇者。世界を救う。その甘美な響きにクラスの空気が一変した。不安は一瞬で消え去り、代わりに選ばれし者の高揚感が満ちていく。その中心にいたのは、クラスのカーストトップに君臨する男、剣崎トウヤだった。


「へえ、勇者か。悪くねえな」


 サッカー部のエースで長身のイケメン。トウヤは臆することなく王女の前に進み出た。


「俺たちが特別な力を持ってるってことですか?姫さん」


「ええ、その通りです。この水晶に手を触れてみてください。あなた方に与えられた『ギフト』が表示されるはずです」


 差し出された巨大な水晶にトウヤが自信満々に手を乗せる。瞬間、バチバチッ! と激しい紫電が迸った。


『適正クラス:聖騎士(パラディン)。属性:雷。スキル:聖剣召喚、限界突破、雷神の加護……』


 空中に浮かび上がった光の文字に、周囲の兵士や魔導師たちがどよめく。


「す、すごい!伝説の聖騎士クラスだ!」


「しかもSランクスキルを三つも所持しているぞ!」


 トウヤは満足げに鼻を鳴らし、自分の手を見つめた。


「なるほど、力が湧いてくるのが分かる。これなら魔王なんてワンパンだな」


「素晴らしい……これこそ我らが待ち望んだ希望です!」


 ユーフェミア王女が感極まったようにトウヤの手を取る。トウヤはまんざらでもない顔で、チラリと後ろの女子たちに視線を送った。その後も、鑑定は続いた。賢者、魔導師、剣聖、弓聖。クラスメイトたちは次々と強力なジョブとスキルを発現させていく。誰も彼もが、物語の主人公のような力を持っていた。


 それに引き換え、私はどうだろう。列の最後尾で縮こまりながら、私は自分の格好を見下ろした。王女様のような輝く金髪とは似ても似つかない、くせっ毛でふわふわと広がる栗色の髪。邪魔にならないよう高い位置でポニーテールにしているけれど、お洒落というよりは子供っぽい。瞳の色だって、宝石のような碧眼ではなく、どこにでもある琥珀色だ。身長も150センチそこそこで、未だに中学生と間違えられるほど小柄で華奢な体型。大きめのブレザーが、服に着られているみたいにダボついている。


 華やかなクラスメイトたちに比べて、私はあまりにも「地味」だった。いつも教室の隅で絵を描いているような、物語の背景(モブ)にすぎない私。


 そして、私の番が来た。列の最後尾。誰の視界にも入らないように縮こまっていた私――不破(ふわ)瑠千花(るちか)の順番だ。


「次の方、どうぞ」


 神官に促され、私はおずおずと水晶の前に立った。心臓が早鐘を打っている。私は、トウヤくんみたいに運動ができるわけじゃない。勉強だって平均点ギリギリ。目立つことが苦手で、いつも教室の隅で絵を描いているような地味な生徒だ。そんな私に、すごい力なんてあるんだろうか。でも、もし魔法が使えたら。空を飛べたり、傷を治せたりしたら、私でも誰かの役に立てるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、私は震える手を水晶に乗せた。


 ――シーン。


 何も起こらなかった。光も放たず、音もしない。ただ冷たい石の感触が掌にあるだけ。


「あれ……?」


「故障か?もう一度試してください」


 神官に言われ、もう一度強く押し付ける。けれど、水晶は沈黙を守ったまま。やがて、申し訳程度に薄暗い文字がポツリと浮かんだ。


『適正クラス:なし。魔力:測定不能(ゼロ)。スキル:なし』


 広間が、凍りついたような静寂に包まれた。


「……は?」


「魔力が、ゼロ?そんな馬鹿な」


 異世界において魔力は生命力そのものだ。それがゼロということはありえない。  神官が慌てて別の魔道具を持ってきて私にかざすが結果は同じだった。針はピクリとも動かない。


「ぷっ……あはははは!」


 沈黙を破ったのは、トウヤの笑い声だった。


「マジかよ不破!お前、異世界に来てまで『空気』なのかよ!」


「やっば、魔力ゼロって一般人以下じゃん」


「ウケるー、なんで召喚されたの?」


 クラスメイトたちの嘲笑が容赦なく降り注ぐ。顔が熱い。恥ずかしさと情けなさで、涙が滲んでくる。私はただ、俯いて震えることしかできなかった。期待した私が馬鹿だったんだ。異世界に来たからって、何かが変わるわけじゃない。私は私のまま、役立たずの不破瑠千花のままなんだ。


「……静粛に」


 凛とした声が響き、笑い声が止んだ。ユーフェミア王女が私に歩み寄ってくる。ああ、きっと彼女なら。慈愛に満ちた王女様なら、「能力なんて関係ありません」と優しく慰めてくれるはず。私はすがるような思いで顔を上げた。


 しかし。


 そこで私が見たのは慈愛の聖女ではなかった。


「困りますね。不良品(ゴミ)が混ざっていたなんて」


 ユーフェミア王女は汚いものを見るような瞳で私を見下ろしていた。美しい顔には、先ほどまでの微笑みは欠片もない。ただ、事務的に不良品を検品する作業員の目だった。


「え……?」


「勇者召喚には莫大なコストがかかるのです。国の予算と多くの魔導師の命を削って行われる儀式なのですよ?それなのに魔力ゼロの無能力者が枠を一つ埋めてしまうなんて……これでは国民に示しがつきません」


 彼女は深いため息をつき、近くにいた騎士に顎をしゃくった。


「その者を捨ててきなさい」


「す、捨てて……?」


「ええ。城に置いておくわけにはいきませんから。ああ、そうだわ。ちょうど『帰らずの森』の魔物たちが飢えている頃でしょう。餌として森に放り込んでおきなさい。せめて魔物の腹を満たすくらいには役に立つでしょう?」


 耳を疑った。餌?私が?クラスメイトたちの方を見る。誰か助けて。トウヤくん、先生、誰でもいいから。しかし、誰も私と目を合わせようとはしなかった。トウヤに至っては、「ドンマイ」と口の動きだけで嘲笑い、王女に取り入ろうとしている。彼らにとって私は、もうクラスメイトではない。「勇者パーティ」という選ばれた集団についた、ただのシミなのだ。


「いや……やめて、離して!」


 無骨な騎士の手が私の細い腕を乱暴に掴む。抵抗する間もなく、私は床を引きずられていく。


「待ってください!私は元の世界に帰してくれればそれで……!」


「帰還の魔法にもコストがかかるのです。無駄遣いはできません」


 ユーフェミア王女は背を向けたまま冷たく言い放った。


「さようなら、二十人目の失敗作さん。来世では役に立つ人間に生まれるといいですね」


 重厚な扉が閉まる瞬間、隙間から見えたのは、聖女のように微笑んでトウヤたちに語りかける王女の姿と、私を嘲笑うかつての友人たちの顔だった。


 こうして私は、異世界に来てわずか一時間で、世界から廃棄された。光溢れる城から、死の匂いが充満する闇の森へと、ゴミのように捨てられたのだった。


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